第6話 現実

 ――寒い。


 意識を取り戻した時、目を開けるよりも先にそう思った。


 頭の芯が霞みがかる中、まるで氷の中にでもいるような悪寒だけがひどくハッキリと感じ取れる。


 ひょっとしたら凍死寸前の人間は、このような感覚に陥るのではないか。眠りと目覚め、その狭間の半覚醒状態でどこか他人事のようにそう思考する。


 このままじっとしていたら本当に凍え死んでしまいそうだと、身体を動かそうとする。

 だが、身じろぐどころか、閉じたまぶたを持ち上げることすらできなかった。


 身体を無理やり拘束されているというよりは、脳からの信号が遮断されているような感覚に戸惑いを覚える。


 幸いなことに、戸惑いが恐怖に代わるよりも先に状況に変化が生じる。


 首筋にチクリと何かが突き刺さる感覚が生じたかと思うと、そこから温かい液体が注入され始めた。液体は血管を伝って即座に全身に浸透していき、じわりじわりと体温を取り戻していく。

 冷え切った身体で湯船につかった時のような心地良さに身を任せていると、鈍っていた思考も徐々に明瞭さを取り戻していく。


「……――ン! ――ィーン! サーティーン!」


 遠くで、誰かが自分のことを呼んでいる。

 その認識と共に、サーティーンはうっすらと目を開ける。


 最初に視界に飛び込んできたのは金属製の天井、そこに設けられた円形の小窓の先から、心配そうにこちらを見下ろすワインレッドの瞳をした少女の顔だった。


 目覚めたばかりで霞がかった意識の中、何が起こったのかといぶかしむ暇もなく「プシューッ」と、圧力鍋から空気が抜けるような音と共に天井が上下に開放されていく。


「サーティーン! 良かった。目が覚めた? 大丈夫? 意識はハッキリしてる?」


 天井が開き切った途端、赤髪赤目の少女が捲し立てながら覗き込んでくる。

 少女はなぜか、スポーティーなデザインのインナーのみという半裸姿だった。


 サーティーンは、なけなしの道徳心を振り絞って少女から視線を逸らす。

 そこでようやく、自分が酸素カプセルのような装置の中に寝かされていることを自覚した。


「……んん? んあー?」


 全く事態が飲み込めず、未だ思考の焦点も定まらぬままにサーティーンが呆けていると、少女は焦れたような顔で腕を振り上げた。


「でぇえい! シャンとしろこのッ! アタシら今、鬼ヤバなんだっての!」


 少女は叫びながら、サーティーンに怒涛の勢いで往復ビンタを喰らわせてきた。


「ブッ! ブベッ! ちょっ! 待ッ! おッ! おきっ! 起きた! 起きたってばよ!」


 文字通り叩き起こされたサーティーンは、少女の腕を掴んで平手打ちのおかわりを拒否する。


「やっと目が覚めた?」


 少女は、ヤレヤレと安堵の息を息を吐く。


「ったく。だろうが、セブン。……ん? ……んん!?」


 サーティーンは、自分が何気なく発した言葉にワンテンポ遅れて強烈な違和感を覚える。


 自分の目の前にいる赤髪赤眼の少女は、間違いなく『Neo Eden』のゲーム仲間のセブンだ。

 ソレはいい。だが、そうであるならここは必然的にVRゲーム『Neo Eden』の中ということになる。当然だ。


 だが、そうであるならば、は絶対におかしい。


「気づいた? そうなんだって。絶対に変なんだって」

「おいセブン。VRゲームでなんでこんな痛いんだ?」


 ジンジンと熱をもつ頬を抑えながら、サーティーンはセブンを問いただした。


 視覚と聴覚は言うに及ばず、触覚や果ては味覚までも実装し、圧倒的リアルを謳う『Neo Eden』だが、それでも情報処理量などの問題から現実とは異なる部分は多々ある。

 中でも決定的に異なる感覚は痛覚だ。


 人は実際に致命傷を負わずとも、ソレに匹敵あるいは凌駕する痛みをなんらかの形で体験すれば、精神が耐えられずにショック死することがあるというのは割と有名な話だ。

 万が一の事態を避けるため、如何なるジャンルであってもVRゲームでは、プレイヤーが一定以上の痛覚を感じることがないようハードウェア側で機能が制限されている。


 ただでさえ『Neo Eden』は、銃弾が飛び交う殺し合い上等の殺伐としたゲームだ。

 実際に、鉛玉が体を貫通していく感覚をリアルに体感したりでもすれば一体どうなってしまうのか。想像するだに恐ろしい。


 『Neo Eden』内ではどれだけ重傷を負っても、感じる痛みはせいぜいが低周波治療のような弱めの静電気が走る程度だ。


 だが、セブンに引っ叩かれたこの頬の痛みは、静電気などと言う生やさしいものではない。

 ゲームアバターセブンとは同居するはずのない、苦痛を覚える程のリアルな痛覚だ。


 であるならば自分は今、非常に厄介な状況に置かれているのではなかろうか、とサーティーンは嫌な汗を滲ませる。


「……セブン。お前、ゲームアバターはリアルの自分の姿を再現してたりするか?」


 自分の目の前にいるのはゲームアバターではなく、中の人本人なのではなかろうか。

 サーティーンは一縷の望みをかけて、セブンにそう尋ねる。


「その質問、そっくりそのままお返ししたいんだけど」

「ですよね~」


 サーティーンは力なく苦笑を浮かべながら、自分の体に視線を落とす。


 セブンと同じようなデザインのボクサータイプのパンツのみを身につけた、細身ながら古代ギリシャ彫刻もかくやなメリハリのついた肉体美がそこにあった。


 くっきりとした凹凸おうとつが美しいシックスパックなど、不摂生と運動不足がたたってたるみ切った自前の腹とは比較にすらならない。

 視認はできないが、頬に触れた時の感触からして顔の作りもサーティーンそのものになっているのだろう。


 続けてサーティーンは周囲を見渡す。


 ――廃墟だった。


 窓が割れ、外壁もところどころ崩れて屋内が晒されたビルが乱立している。半ば倒壊しているものも少なくない。


 ひび割れ、雑草が貫き生えたアスファルト道路には、まるで脱ぎ散らかされた靴のように何台もの車両が乱雑に乗り捨てられ、あるいは横転していた。

 かつての文明の残骸は赤い西陽に照らされて、より寂寥感が際立っている。


 荒廃。そう表現せざるを得ない光景が放つ圧倒されるような存在感は、それが自らは仮想でもましてや夢でもなく、そこに実在していることを声高に主張している。


 わずかに逡巡した後、サーティーンは諦めるようにため息を吐き、ポツリと呟いた。


「……現実リアルだな」

「みたいだよ」


 セブンも、気持ちはわかると言いたげに頷く。


 どうやらサーティーンとセブンの二人は、ゲームのアバターの姿で現実の世界へと飛ばされてしまったようだった。

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