平行ときどき垂直

有くつろ

1

第1話 からかわないで

 耳が私の名前を呼ぶ声を聞き逃さなかった時、何かが弾けた。

喜びや感動のような、じわじわと心を染めていくようなものじゃなくて、もっと反射的に反応するような、何か。それを感じた。


 ずっと、ここに立ちたかった。名前を呼ばれたかった。練習生として厳しいオーディションを乗り越えた、プロレベルのアイドルが五人も居る中で、私だけを見てくれ

る人に、私の名前を魂を込めて叫んで欲しかった。


 それと同時に、涙がこの感情を表そうと外に出ようとする。初めてのパフォーマンスを終えた清々しい顔で息を切らしているメンバーをちらっと見る。ここで泣いてしまったらこの興奮に満ちた空間を壊してしまうと悟った。


 いつもそうしていたように、こみ上げる涙を飲み込むようにして無理矢理押し込んだ。喉がぎゅっと締め付けられたように痛くなって、余計泣いてしまいそうになる。


 そんなとき、いつも彼女は手を握ってくれる。私だけは分かってるから、と言うように強く、強く手を握ってくれる。離さないから、と言うように、強く。


 私の親友は、良い人とか悪い人とかではなくて、そういう人。


*


 「うわっ、佳世乃かよの。あまりにもスタイリングが優勝」

「私もそれ思った」

「てか普通にすごく楽しかったよね」

「語彙力無さすぎるけどめっちゃ分かるわ」


 初パフォーマンス映像を見返しているアイドルとは思えないような会話が飛び交う。私達は一人のメンバーのスマホで流れている映像を囲んで見ていた。自分のことながら私達の全ての行動が新人アイドルらしくて、なんだか笑ってしまいそうになる。


 ぼーっと、何も考えずにスマホの中で踊っている私達を見つめる。小さな画面に映る自分の表情があまりにも初々しくて、幼少期の自分の写真を見せられているような、自分なのに自分じゃないような、不思議な感覚がくすぐったかった。


 でも、くすぐったいのは物理的にも言える話だった。

麗香れいか

無意識に呆れを含んだ声で彼女の名前を呼ぶと、光井みつい麗香は「ん?」と言って何も分かっていない振りをする。


 「麗香の服、超チクチクするってさっきも言った気がする」

麗香は「あはは」と笑うと、何もなかったかのように画面を見つめ直した。

「あははじゃなくて、麗香。腕離してくれない?」


 「佳世乃ー。ちゃんと見なさい」

「え、私?」

麗香は反射的に声を上げる私を見てくすくすと笑う。

「そうだよかよちゃん。初ステージなんだよ」

「ねー」

私が戸惑っている横で笑い声を大きくする麗香。


 彼女と出会ったのは中学生の頃。可愛いから声掛けちゃった、なんて初対面からナンパ師のような台詞を口にする麗香を見て、ああこの子とは仲良くなれないんだろうな、と思っていたら、いつの間にか彼女と同じグループでデビューしていた。


 アイドルオタクだった私は、小さい頃からずっとアイドルを夢見ていた。なんだか口にするのも恥ずかしい夢で、親にも友達にも言ったことがないまま中学生になったというのに、なぜか麗香にはぽろりと言ってしまった。


 私の言葉に彼女は目を輝かせて、私も一緒にやる、と軽く言うから、すぐ挫折しそうだな、なんて思っていたらいつの間にか同じオーディション番組に出演していた。


 彼女の私への執着はいつも予想を上回る。


 今だって当たり前のように組んだ腕を離してくれないし、離す選択肢もなさそうな顔をしているし、光井麗香はそういう人だ。


 映像を見終わると、室内に拍手が沸き起こった。私も釣られて拍手をする。

曲もそう悪くはないし、きっとこの曲を数ヶ月いろんなところで歌うんだろうな、と分かってはいても、なんだか実感が沸かなかった。

アイドルは、私にとってあまりにも遠い世界だったから。


 それから私達は数時間話していた。

話すことがありすぎて時間が足りない、とすら思う。


 お風呂の話になり、初ステージを経験したということもありかなり疲れていた私は、最初にお風呂場に向かった。


 私達はデビューが決まってから同居をしている。

完全の日本の事務所で練習生も日本人しかいないけれど、うちの事務所は韓国の事務所を参考にしているらしくて、韓国アイドルによくある同居も当たり前のようにさせられた。メンバーの仲を深められるし、ファンから見ても仲の良いグループだと思われやすいんだそう。


 お風呂は、入ると目が覚めるときもあれば、疲れがどっと増すときもある。

今回の私は完全に後者だった。お風呂上がり、重たい瞼を無理矢理開けて、リビングに戻ってからスマホを手に取る。


 オーディション中に視聴者の評価を見るのが怖くて、エゴサなんてしなかったけれど、今なら出来る。

少し緊張しながらも、サイトの検索欄に『TOONS 麻生あそう佳世乃』とゆっくり打ち込み、検索ボタンを押した。


 否定的なコメントがあったらどうしよう、なんて考える隙も与えずにスマホは世間の声を映し出す。


 『さち推しだったのにかよが可愛すぎる』

『TOONS初ステージおめでとう!!皆スタイリング最高だったけど、推しフィルターかかってるからかかよちゃん可愛すぎた』

『TOONSのデビュー曲、麗香ちゃんとかよのパート良すぎ。めっちゃ聞きます』


 うわ、と思わず声を出していた。

嬉しいの一言に尽きる。


 昔私に推しが居たように、この人達も私やメンバーを推してくれている。

その事実がを理解してはいるものの、まだ実感が沸かなくて、なんだか恥ずかしくなってくる。


 疲れを癒やすように、温かい言葉で埋め尽くされた画面をスクロールしていると、ある一つの投稿を見つけた。


 『れいかよのパート入れた人マジ天才。ほんとにれいかよはみんな大好き』


 れいかよ。

聞き慣れないワードではあったけれど、それが麗香と私を指していることは分かった。そしてオタクはグループの中でカップリングを組ませることが好きなのも、分かっていた。かつて私がそうだったから。


 なんだか急に身体が熱くなるのを感じた。


 『れいかよはみんな大好き』?

オーディションのときもずっと仲が良かったからだろう。なんとなく、私は軽い気持ち『れいかよ』と検索する。


 すると、沢山の投稿が画面に表示された。


 『デビュー曲良すぎ。てかダンスパートもれいかよあんの?れいかよが公式に推されすぎてて幸せ』

『れいかよめっちゃ事務所に推されてる。得しかない』

『仲が良かった五人だからこれからの絡みはマジで期待。れいかよはガチだし。』


 「わっ」


 耳元で小さくそう囁かれ、私は勢いよく後ろを向く。

声で誰かは分かっていたけれど、案の定そこに居たのはお風呂から上がったばかりの麗香だった。


 くすぐったさの残る耳を撫でながら「何、いきなり」と言うと、麗香は薄っすらと微笑みながら私の正面に立った。


 なんだか不気味だ、なんて思いながらその顔を見ていると、いきなり彼女は私の膝の上に、抱きつくようにして座った。

彼女の柔らかい身体が私を包み込む。


 シャンプーの匂いがする。しっとりと濡れた麗香の髪が私の頬を撫で、急に恥ずかしくなって「何、って聞いてるじゃん」ともう一度言った。


 麗香は笑みを崩さずに私の首に手を回すと、「どんな気持ちで、あたしと自分のカップリングのエゴサしてたの?」と耳元で囁いた。

甘い声に身体が熱くなる。見られていた。


 「ねぇ」

麗香は一層私を強く抱きしめて優しく囁く。

なんだかすごくいけないことをしている気分になり、早く離れてもらいたい私は早口で言った。


 「エゴサ、してたら出てきたから、なんだろうって思って調べてただけだから」

なんだか、物凄く、恥ずかしくて、身体が熱い。

言い訳を並べても彼女は全てを分かっているような気がした。


 麗香は耳元で女子らしく「ふふ」と小さく笑った。生温かい息が耳をくすぐる。


 「そういうことにしといてあげるね」と悪戯に笑いながら言う麗香。

私は何も言い返せなかった。今、きっと物凄く顔が赤い。


 「カップル組まされてて興奮した?」

また麗香は優しく囁いた。

「なんでするの」

自分でも情けなくなるくらいに弱々しく言うと、彼女は

「私は、するよ」

と言って私の肩に顎を乗せた。


 言葉に詰まっていると、麗香はもう一度私を強く抱きしめ、唐突に「おやすみ」と言って私を離した。


 そのまま軽い足取りで二階へ向かう彼女。思わずため息をつく。

こんな風にからかわれるのは初めてじゃない。


 つまり、光井麗香はそういう人だ。

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