残り香

臣桜

第1話 大学オリエンテーション

 大学生の時、二つ上の同級生に恋をした。


 賢吾くんという名前の彼は、いまどきの男子らしく、パーマのかかった少し長めの髪型で、見えているのだか見えていないのだか分からない目元をしていた。


 入学してすぐのオリエンテーション合宿で、私たちは都内のホテルに宿泊した。


 説明などが終わったあと〝お楽しみ〟の時間になり、上クラスの女性の先輩が私たちに向けて尋ねた。


「高校卒業したての人ー!」


 高校を卒業して右も左も分からない私に、彼女の底なしの明るさは少し気持ち悪く感じられた。陰キャだという自覚があるからか、とても明るい人を見ると気後れしてしまう。


 何とも言えない嫌悪感を抱きながら、私は挙手する。周りのほとんどが挙手した。


 そのあとも女性の先輩は質問を続けた。


「一浪の人ー!」


 あ、そういう事を聞くんだ。


 人によってはデリケートな問題だろうに。


 共感羞恥というのか、彼女に質問されて少し居心地悪そうに手を挙げた人をチラッと見て、胸の奥がモゾモゾした。


「二浪の人ー!」


 容赦ないな。


 次の質問を聞いて呆れを覚えた私は、心の中で突っ込みを入れた。


 その時に手を挙げたのは、移動中に見て少し気になっていた、背の高い彼だった。


(二浪なんだ……。二つ上なんだ)


 そう思っただけで、彼がとても大人に思えた。大学生とはいえ、まだ高校生の延長の気分でいた私にとって、二つ年上は十分〝大人〟だった。


 そのあとも女性の先輩は容赦なく「三浪の人ー!」と尋ね、一人だけが手を挙げていた。気の毒に。


 二浪の彼が気になった私は、どうしても話しかけたくて堪らなくなっていた。


 目元が隠れた髪型の彼はミステリアスに思え、独自の世界観を持っているように感じられた。彼が何を考えているのか知りたいし、趣味は純文学を読む事……みたいなイメージの彼の、本当の趣味を知りたい。


 私は高校時代、特に目立つ存在でもなく、かといって底辺でもなく、中間にいた。


 クラスの中では学年の中で目立つ男子、女子が別れたくっついただの噂が流れ、脇役の私たちは一歩離れたところで「ふーん」と聞いていただけだった。


 同じクラスに気になる人はいたけれど、声を掛けられる勇気はない。むしろ放課後に友達と図書室に集まり、歌番組やドラマの話をしているほうが楽しかった。


 彼氏がいた事のない私だけれど、気持ちだけ大学デビューしたからか、高校まで一緒だった友人がいない場所で、堂々と男子に話しかけたいという願望を抱いていた。


 自己紹介で、彼は高沢賢吾と名乗った。


 ケンゴ。私は口の中で彼の名前を転がす。


 気になる彼の一部を口にしただけで、胸の奥がザワザワと妖しく揺らめく。


 オリエンテーションのゲームが行われる事になり、先輩が陽気に「二列に並んでくださーい!」とマイクで告げる。


 私は不自然にならないように、戸惑っているふりをして賢吾くんの近くへいった。


 彼はチャコールグレーのロングTシャツに、黒いワイドパンツを穿いていた。


 背がスラリと高く、Tシャツを着た胸元は平らだ。痩せ型だからか身長とスリムな体型、ゆったりとした服のシルエットがとても似合っていて、得も言われぬ色気を感じた。


(近寄らなければ良かった)


 私は身長が百五十センチ少しで、低めの部類だ。だからこそ百七十五センチ以上はありそうな賢吾くんの近くにいると、彼の存在感を必要以上に感じる気がして、異様にドキドキした。


 おまけに彼からはいい匂いがする。高校でも香水をつけている男子はいたけれど、彼は二つ上というフィルターがあるからか、もっと大人っぽい匂いに思えた。


 立っている彼が気怠そうに片足に体重を移動させるたび、布地のたっぷりした服に寄る皺が変化する。


 パーマの掛かった髪は整髪料でツヤがあり、こんな時なのに自宅で買っているミニチュアダックスフンド・ブラックタンのカールがかかった耳を思いだしてしまった。


「じゃあこれから、先頭の人の膝に座布団を挟みます! 笛が鳴ったら、後ろの人に手を使わずに座布団を渡してください。後ろの人も膝で座布団を挟むんですよ? 二列で勝負をします! よーい、どん!」


 相変わらずテンションの高い女性の先輩の声がしたあと、会場にコミカルなBGMが流れ始めた。


 皆かったるそうな雰囲気だったけれど、やれと言われたらやらないといけないのが集団行動だ。


 隣の列の前方を見ていると、男女混合で列をなし、照れ笑いをしながらその場でジャンプをして座布団を渡している。


 その時、賢吾くんが私を振り向いて笑いかけてきた。


「失敗したらごめんね」


「ううん!」


 とっさにそう言って会話が終わってしまいそうになり、私の心の奥底に潜んでいた肉食獣が、続く声を発する。

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