第9話 A級悪魔、アスモデウス

「あなた、どうしてここに⁉ というか、今日の試験はどうしたのよ⁉」


 エルザはメロウ様の前で取り繕うことさえ忘れ、ずかずかと俺の目の前へやって来る。


「そ、それはこちらの台詞だ! 貴様、まさか今度は俺のストーカーにでもなったのか⁉」

「何馬鹿な事言ってんのよ! そんな訳分からない物言いばかりするから、あなたはいつも周りから誤解され……って」


 エルザはようやくメロウ様の存在を思い出したのか、その場で姿勢を正し直立する。


「も、申し訳ございませんでした、メロウ様!」

「うおっ……⁉」


 直立したまま斜め四十五度に頭を下げ、片手を使って俺の頭を無理矢理下げさせる。


「まあまあ七海くん、顔を上げてくれ。非があるのは詳しい事情を説明していなかったワタシ達の方だ」

「……お心遣い感謝します。ほら、八重樫君も」

「あ……ありがとうございます……?」


 頭を押し潰されながらお礼を言うと、何だか色々と気持ち悪くなってくる気がする。


「さあ、七海くんもソファに座って楽にしてくれ」

「はい、失礼します」


 エルザは会釈をすると俺の頭を解放し、俺を避けるようにして真向かいにあるソファに腰を下ろす。


「お言葉ですがメロウ様、八重樫君はまだ殺し屋としての階級さえ付いていない生徒です。それに彼の『不死の祝福』では、悪魔の討伐どころかあたしのサポートだって」

「まあまあ七海くん。S級の殺し屋であるキミならば、例え相棒が野良猫だったとしても大抵の任務は完遂できるだろう?」

「まあ……それはそうですけど……」

「……む?」


 ひょっとして俺は今、野良猫同等の扱いを受けたのだろうか。

 言葉の真意が気になったのも束の間、メロウ様は机の上に置いてあったタブレット端末をこちらへ向けてくる。


「キミ達にはこの……アスモデウスという名のA級悪魔を討伐してほしいんだ」

「アスモデウス……?」


 聞き慣れない名前と共にタブレットの画面へ目を凝らすと、そこには羊のような角に牛の顔、そして蝙蝠のような翼を持った人型の悪魔の写真が映し出されていた。


「最近、この悪魔の目撃情報が八十八番地区内で多発していてね。犠牲者は確認されているだけでも三十名以上にまで上り、この写真も返り討ちに遭った殺し屋が命からがら撮影してきたものなんだ」

「八十八番地区……紅の国でも有数の繁華街ですね。それにA級となると……」


 画面に移されている悪魔の写真をエルザはひとしきり凝視すると、今度は真向かいに座っている俺を見つめてくる。


「な、何だ? まさか、俺が怖気づいているとでも?」

「別に。八重樫君と組んで戦った場合の状況をシミュレートしてみただけ」

「ほう、結果はどうだった?」

「惨敗よ。やっぱりあたし一人で戦った方が何倍も効率がいいわ」

「な、なんだと⁉」


 エルザの不躾な物言いのせいで思わずソファから立ち上がってしまったが、エルザは特に驚くこともなく深いため息だけを吐く。


「メロウ様、やはり今回の任務はあたし一人にやらせてください。アスモデウスによる被害の縮小、ひいては紅摩学園の名声を守るためにも」

「残念だがそういうわけにはいかないんだ、七海くん。ほら、キミ達は本来ならば今頃定期試験を受けなくてはならない身だろう?」

「はい、あたしは任務という名目でいつも免除になっていますが……どうして今その話を?」


 エルザが不思議そうに首を傾げると、メロウ様は微かに微笑みながら口を開く。


「今回の任務は謂わば試験の一環。つまり失敗してしまえば、キミ達は二人とも退学になってしまうのだよ」

「……は?」

「え……?」


 その場で立ち尽くしている俺と、唖然の口を開けてソファに腰かけているエルザ。とんでもないメロウ様の発言により、戸惑いの声は重なり合う様にして同時に発せられた。


「た、退学ですか⁉」


 俺がメロウ様に聞き返すよりも早く、エルザも俺と同じ様にソファから立ち上がる。


「そう、退学だ。常勝の七海くんは知らないかもしれないが、試験免除となる任務は定期試験と同列に位置するもの。掻い摘んで言ってしまえば、任務に失敗すれば赤点同様に学園からおさらば、というわけさ」

「それは俺もエルザと同じ……ということですか?」

「もちろん。特定の生徒だけを贔屓するわけにはいかないからね」

「そうですか……」


 もちろん退学なんてしたくないし、するわけにもいかない。俺はまだこの紅摩学園で、先生に繋がる手掛かりを見つけられていないんだ。


「というわけでキミ達二人に任務を担当してほしいのだが、異論はないかな?」

「あたしは構いませんが、八重樫君は……」

「……そうだ、俺は」

「え?」


 真向かいで立つエルザの視線が、微かな俺の声へ不思議そうに反応する。


「どうしたのかな、八重樫くん。何か言いたげな顔をしているが」

「…………」


 今も笑いかけてくれるメロウ様を黙ったまま見つめ、退学という窮地の中思いついた言葉を頭の中で反芻する。


「……メロウ様、一つ条件を出してもよろしいでしょうか」

「……ほう」


 メロウ様は俺と目が合うと口角を吊り上げ、改めて机の上で両手を組み直す。


「その条件とは、一体何かな?」

「今回の任務が成功したら、『漆黒の天使』の居場所について知っていることを全部教えてください」

「八重樫君⁉」


 勇気を振り絞って天使への提案を口にすると、エルザの驚愕の声が目の前で炸裂する。


「こ、こんな時に何言ってるのよ! 悪魔退治の正式な任務を私用と混同しないで!」

「いや、ワタシは構わないよ?」

「ほら、メロウ様もこう言って……って、え?」


 まくし立てるようなエルザの小言は、メロウ様の何気ない承認の声によりすぐに止む。


「メロウ様、もしかして漆黒の天使様についてご存じなのですか?」

「うん。彼女はワタシの古い知り合いだからね」

「え、知り合い⁉」


 予想もしていなかったメロウ様の発言へ、質問をしたエルザに代わって釣り針にかかった魚のように食らいついて前のめりになってしまう。


「とはいえ、連絡を頻繁に取り合う程の仲ではなくてね。音信不通になってもう随分と長いが、つい二年程前に一度だけワタシの前に姿を表したんだ」

「……!」


 メロウ様が話しているのは間違いなく、俺がこの学園に入学するきっかけとなった目撃証言のことだ。やはり、先生が紅摩学園に来ていたという噂は本当だったんだ。


「彼女は行先を告げると最後に言っていたよ、『自分はもう紅の国にはいられない』と。随分と悲痛な面持ちをしていたから、詳しい事情は聴けずにそのまま帰してしまった」

「悲痛、ですか……?」


 いつも楽しそうに笑っていた先生がそんな顔を見せていたなんて。


「先生……」

「先生?」

「あ」


 うっかり漆黒の天使の呼び名を呟いてしまい、エルザとメロウ様の前で慌てて口を噤む。


「まあ彼女をなんて呼ぼうが構わないが……良いだろう。アスモデウス討伐の暁には漆黒の天使の居場所を教えてあげよう」

「……! あ、ありがとうございます!」


 長い間追いかけていた目標の尻尾を掴めた興奮に身を任せ、エルザよろしくメロウ様へ斜め四十五度の角度でお辞儀をする。


「というわけだ、七海くん。八重樫くんを任せたよ」

「……分かりました。善処します」

「ああ。いつもすまないね」


 メロウ様は言葉通り申し訳なさそうに椅子から立ち上がると、俺達から背を向けて後方の展望窓から学園の構内を見つめる。


「キミ達も知っての通り、我々天使は悪魔との戦いに直接手を貸すことが出来ない。人間と違って、天使は手づから悪魔に傷を付ける事が出来ないからね。生徒達を任務へ送り出す時、いつも歯痒く思うよ」


「メロウ様……」


 例え自らが天使であっても、人間である俺達のことをこうして思ってくれている。高位な天使の証でもある両翼が生えたその背中を見つめながら、この人が学園の理事長である所以が少しだけ分かった気がした。


「だからこそ、こちらの方で協力出来る事はどんなことでもやっていく所存だ」


 窓ガラスから俺の方へ振り向くと、その若々しい顔つきにやはり穏やかな笑みが浮かぶ。


「期待しているよ、八重樫くん、七海くん。キミ達の力で見事、アスモデウスを討ち取ってみせてくれ」

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