第7話 天立紅摩学園

 薫の後を追いかけ続けている内に、眼前に白い外壁が特徴的な五階建ての校舎群が見えてくる。居住区の外れの広大な敷地内に佇む学園、俺達が通う天立紅摩学園の学び舎だ。


「皆さん、おはようございます」


 レンガ造りの校門の前に立っているのは、金髪のボブカットが目を引く少し背が低めなレディーススーツ姿の女性。彼女の頭上には光輝く金色の輪っか、天使の特徴の一つである光輪が浮かんでいた。


「おはようございます、八重樫さん、卯月さん」


 背中から生えている真っ白な片翼をたなびかせ、教員の一人である天使は笑みと共にお辞儀をする。彼女の名前はエルマ、紅摩学園の中等部では歴史の授業を担当している。


「おはようございます」

「……ん」


 軽く頭を下げる俺の傍ら、薫はメモ帳に記された『おはようございます』をエルマ様に向けて掲げる。エルマ様も薫が声を出せないことは知っている為、突然突き付けられたメモ帳に驚くことはない。


『一季、今日のお昼はどうする?』


 校門から教室がある東棟へ向かう道すがら、何気ないメモ帳の問いかけが向けられる。


「そうだな、今日は食堂で何か買って食べていくつもりだ」

『そっか、一季の教室って三階だよね。それなら食堂もギリギリ間に合うかも』

「ああ、一年生は五階だったな」


 薫の羨望にも似た眼の輝きを前にして、学年格差と言っても過言ではない教室配置を改めて思い出す。


『階段の上り下りは良い運動になるからいいけど、食堂から遠いのは勘弁してほしい』

「そうだよなあ。うちの食堂、昼休みが始まって十分も経たない内に席が埋まっちまうし」


 北棟、西棟、東棟、三つの校舎とは別の大きなドーム状の建物の中に食堂があるのだが、そこは昼休みが始まるとすぐに生徒でいっぱいになってしまう。三年生の教室は一階にあるため、食堂を占拠する生徒のほとんどは上級生ばかりだ。


「まあ今日は午前中のテストだけだし、さっさと帰って家で何か食べればいいだろ」

『一季、私焼きそばがいい』

「俺が作る前提かよ。まあいいけどさ」


 自然と薫が大好きな野菜たっぷり焼きそばの献立が頭に浮かんでくるが、今は目の前に迫っているテストの方が先決だ。




「うわ、八重樫だ……」

「何だよ、もう来ないと思ってたのに……」

「…………」


 二年生の教室に入って早々、クラス中の冷ややかな視線を一身に浴びる。いつものこととはいえ、三週間ぶりとなるとどうにも心の奥に靄がかかる心地がした。


「……さて」


 一番後ろの窓際に追いやられた席に座り、なんとなく教室の中を見渡してみる。

 後方の席では頭に包帯を巻いた俊介が座っており、歴史の教科書片手にぶつぶつと何かを呟いている様子だ。一方教科書を片手に問題を出し合っている大悟とその友人達は、以前まで慎二が座っていた廊下側の席を占拠していた。


「…………」


 教室中の会話に聞き耳を立ててみても、慎二のことを話題に出しているクラスメイトは誰一人としていない。みんな誰かの生き死によりも、今日のテストのことで頭がいっぱいの様子だ。


「……あれ、エルザは?」


 地下神殿での出来事を思い返していると、憎きクラスメイトが不在なことに気が付く。教室にいるときはいつもは一番前の席に座っているはずなのに、試験開始十分前になった今も奴の席は空っぽのままだ。


「……まあいいか。どうせ今日も任務なんだろうし」


 学業よりも任務が本分になっている仕事人間のことは放っておくとして、俺も俊介や大悟達と同じように学生鞄から教科書とノートを取り出す。


「おーい、八重樫!」

「……?」


 テスト前に軽く試験範囲の見直しをしようとした途端、慎二の机に座っていた大悟の大声に呼び止められる。


「悪魔と天使様が地球に現れたのって、今から何年前だったっけ⁉」

「ああ、歴史のテストの話か」


 本日一発目のテスト科目は歴史だ。出題範囲としては、地球に初めて悪魔や天使が現れた創成期が主な内容になっている。


「三百七年前だ」

「ああ、そうだそうだ! 中途半端な数字だから中々覚えられなくて!」


 「悪いな!」と大きく手を振る大悟を横目に、大悟と同じグループの男子二人は俺へ侮蔑の表情を向けている。


「……さて、集中集中」


 すっかり慣れた嫌悪の視線から目を背け、手にした歴史の教科書へ視線を落とす。


「……天使様が人間に初めて祝福を授けた年を『天人暦元年』として定め、その後現在まで続く天人暦はまもなく三百年になろうとしている。また天使様が人間と共存するにあたり、世界は九十九の区域を内包する七つの国家に分けられた」


 教科書に記載されている文章を小さな声で音読しながら、広げたノートの上にそっくりそのまま文章を記述していく。度重なる一夜漬けの末に身につけた、俺独自の暗記方法だ。


「『紅の国』、『翠の国』、『碧の国』、『空の国』、『藤の国』、『光の国』……そして天使様が初めて地上に降り立った土地、『白の国』」


 七つの国の名前を忘れないようにノートに記しその上を『紅の国』、俺が生まれ育った国の名を冠した色である赤色の蛍光ペンでなぞる。


「……む」


 緑色の下敷きをノートの上に被せて単語を隠していると、廊下からスリッパの足音がぱたぱたと聞こえてくる。


「みなさん、時間ですよ。席についてください」


 勢いよく開かれた引き戸から現れたのは、頭上に金色の光輪を浮かべている金髪の女性。校門に立っていた時と同じ温和な笑みを顔に浮かべながら、歴史教員のエルマ様は試験開始五分前きっちりに入室した。


「やべ、エルマ様だ……!」


 生徒達は慌てながらも散り散りになって自分達の席に戻り、先程までの喧騒は静寂となって教室を包み込んだ。


「では、最初に問題用紙を配ります。教科書やノートは鞄の中にしまって……っと、そうだった」


 教壇に立つエルマ様の青色の瞳が教室の窓際後方、つまり俺の席の方を向く。


「八重樫さん」

「は、はい?」


 突然名前を呼ばれたせいで声が上擦ってしまい、クラスメイト達からの訝し気な注目も集まってしまう。


「な、何でしょうか?」

「あなたは今回試験免除です。お疲れさまでした」

「……は?」


 突拍子もないエルマ様の言葉により、手にしていたシャーペンが手元からフローリングの床へ落ちる。


「それはつまり……俺は試験を受けなくてもいいってことですか?」

「はい、そうですよ。現時点で八重樫さんの在学は確定、ということになりますね」

「……そ、そうですか」


 紅摩学園では本来、年に五回行われる定期テストの結果次第で学園に在籍できるかどうかさえ決まる。平均点よりも半分以下の点数、赤点を三つ以上取ってしまえばその時点で退学は確定だ。


「な……ど、どうしてですか⁉」


 エルマ様の言葉を発端として騒々しさが教室に波立つ中、俊介は大きな異議の声と共に席から立ち上がる。


「どうして、八重樫が試験免除なんですか⁉ こいつは悪魔一体さえ殺したことがない殺し屋の端くれ、俺達二年二組のお荷物なんですよ⁉」

「ですが、八重樫さんが学問においては優秀な成績を収めていることも事実なんです。氷室さん、あなたは筆記試験で一度でも八重樫さんの総合成績を超えたことはありますか?」

「そ、それは……」


 エルマ様の真っすぐな問いかけを受け、俊介はその場で立ち尽くしたまま俯く。


「八重樫さん、あなたにはこれから理事長室に行ってもらいます」

「え、理事長室?」

「はい。詳しい話は理事長秘書様から聞いてください」


 更なる情報に困惑する俺を導くように、エルマ様の手は静かに廊下の方へ向く。


「わ、分かりました」


 エルマ様に言われるがまま筆記用具を鞄にしまい、席から立ち上がって教室を後にしようとする。


「……おい、待てよ八重樫」

「俊介?」


 教室の後ろをこっそり歩いていると、立ち尽くしている俊介の低く震えた声が俺の名を呼ぶ。


「お前、エルマ様に賄賂か何か渡したんだろ? そうじゃなきゃ、今のこの状況に説明がつかない」

「な、何言ってるんだよ。そんなことするわけないだろ」

「いいや、嘘だ。殺し屋としての階級すら付いてないお前が、C級の俺よりも優れているなんて、絶対に有り得ない……」

「……!」


 俊介の右手は制服の腰に下げている刀の柄を握っており、その場で攻撃態勢である居合の姿勢を俺へ向けている。


「今この場で思い知らせてやる……お前がいかにちっぽけな存在であるかを……!」


 僅かに鞘から抜かれた刀身が、銀色の輝きを纏って数センチほど鞘口から顔を出す。


「抜刀……!」


少しずつ露になっていく刀身は、閃光が如く瞬きの内に俺の首へ狙いを定めた。


「氷室さん」

「え……」


 温かくも柔らかな声が俊介に呼びかけ、閃光を纏った刀身は自然と鞘の中へ収められる。教壇に立っていたエルマ様はいつの間にか俊介の傍に立ち、飛び出そうとしていた刀の柄を片手で押さえつけるように握りしめていた。


「例え学園の生徒であっても、人間への『祝福』を用いた攻撃行動は犯罪行為です。さあ、刀から手を離して」

「は、はい……」


 額から大粒の汗を垂らしながら、俊介はエルマ様に言われた通り刀から両手を離す。


「も、申し訳、ございませんでした、エルマ様……」


 そのまま力が抜けたように着席し、机の上で俊介の生気を失った顔が項垂れた。


「八重樫さん、そろそろ試験が始まってしまいますので」

「え? あ、はい」


 教室の時計へ目を遣ると、既に時刻は試験開始まで一分もない。


「で、では……失礼します」


 最後にエルマ様へ軽くお辞儀をして、試験開始直前とはとても思えない騒めきが残る教室を後にした。

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