丹後探索_スーパーカブの野宿旅

だるっぱ

第1話 冒険に憧れる

 ――どうして人間は冒険に憧れるのだろう?


 ギリシャ神話のヘラクレスや日本神話のヤマトタケルノミコトといった神話世界を、古代の人々は大切に語り継いできました。ペルシア王はアラビアンナイトの冒険譚に耳を傾け、アレキサンダー大王の冒険譚に憧れたカエサルは、共和制ローマを押さえ込んで最初の皇帝になります。中世に入り大航海時代は、正に冒険そのものでした。アメリカ大陸を発見して、原住民を制圧して金銀財宝を奪います。悲惨な歴史そのものですが、その船には多くの学者も乗り込んでいました。世界中の植物や動物を観察し研究することで、神が作り出したこの世界を認識しようとします。ところが、ダーウィンの進化論の発表から適者生存の原理が導き出されました。つまり、人間の始まりはアダムとイブではなく、どうも猿が進化して人間になったようだと……。現代の僕たちには当たり前のことでも、当時の人々にとっては衝撃の事実でした。


 冒険譚は、一面的には軍事的な遠征や旅先での怪物との戦いが強調されます。しかし、それは本質ではない。冒険を僕なりに定義するとしたら、「未知の世界を知りたい」という動機が最初にあると思います。この定義で考えると、知らない世界に飛び込むことが冒険なのは勿論ですが、科学的に研究する学者の姿も、実は冒険者だと思うのです。古代から冒険譚が大切に語り継がれたのは、知らない世界を紹介してくれたからです。きっと人間は知りたがりなんですよ。


 最近の僕が感じていることなのですが、認知革命によって独立した思考を手に入れた人類は理解度を深めるほどに、この世界から切り離されていったと考えています。思考を手に入れる前は、この世界のことを微塵も疑ってはいなかった。他の動物と同じようにこの世界に受容されながら生きていたのです。ところが、思考することによってこの世界から自らを切り離し、自我を発展させていった。


 でもね、自我を持ってしまった人間は、結果的に不安という種も抱き込んでしまったのです。この世界から切り離された人間は、自らが存在する意味を求めました。原始においては、それが宗教となり神を崇めたと思うのです。神と一体になることが、幸せの道だと考えました。現代においての科学的な研究も同じだと考えます。この世界の真理を突きとめるという行為は信仰に近く、その根底には世界と繋がりたいという欲求があるのではないでしょうか。


 聖徳太子が存在していた飛鳥時代を知りたい僕は、その足跡を求めて丹後半島に行くことにしました。最大の目的は、丹後半島の間人(たいざ)地域になります。聖徳太子のお母さんである穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)は、丁未の乱のおり丹後半島に逃げました。現地の人々に世話になった穴穂部間人皇女は、飛鳥に帰る時に世話になったお礼として自分の名前をその地域に授けます。それが間人でしたが、当時の風習として名前をそのまま読むことは失礼な行為でした。そこで、この地域から退座されるという意味から、間人を「たいざ」と読むようになったそうです。現地に行ったところで何が分かるわけではないのですが、僕は自分の目で確かめてみたい。そして感じてみたい。ゴールデンウィークを利用して旅行することにしました。


 旅行の足は、20年来の相棒である50ccのスーパーカブになります。色々と不調が見え始めたので、キャブレターの洗浄をはじめ、大掛かりに整備を行いました。旅行に行くことを決めた時から、気分は高揚状態です。訪問する場所やその時間割まで、綿密に計画を立てました。心配なのは天気です。2024年のゴールデンウィークは、当初は雨模様の予報でした。雨でも計画を断念するつもりはありませんでしたが、出来れば雨は降らないにこしたことはない。出発が近づくにつれて、天気予報は晴れマークに変わっていきました。荷物になるカッパも持って行かないと決めて、やっと当日の朝を迎えました。


 日中の気温は24度くらい、ただ朝方の気温は10度ぐらいです。日中の移動は半袖のポロシャツ姿で、寒い時は上着を着込んだらよい。その程度で考えていましたが、念のために長袖のタートルネックをカバンに入れました。使うことはないだろうと思っていましたが、結果的にこれが正解でした。バイクで走ると体感温度が下がることを、僕は計算に入れていなかったのです。


 朝一番に中央卸売市場で仕事の段取りだけを済ませて、5時半に茨木を出発しました。ゴールデンウィークということもあり、平日に比べると車が少ない。街を抜けてスムーズに北摂の山を登り始めました。北摂の山は600メートル級の山ばかりです。大したことはないだろうと少しなめていましたが、とんでもない。走り始めると手がかじかみ、指が痺れ始めたのです。山の中にあるコンビニに立ち寄り、熱いお茶を買いました。指を温めつつタートルネックを着込みます。走り始めるとそれでも少し寒いくらいでしたが、かなりマシになりました。


 山の中の道は最高でした。朝が早いこともあったのでしょうが、ゴールデンウィークなのに車が少ない。スイスイと走れました。50ccは馬力が無いので上り坂は苦手ですが、下り坂になると途端に息を吹き返します。時速70kmは出ていたと思います。スーパーカブは唸り声を上げて、吠えまくっていました。風を切るのが気持ち良い。走りながら辺りを見回すと、緑色に染まった山々に囲まれていました。その緑色が、原色でとても力強い。太陽の光をたっぷりと吸い込んだ緑色の葉っぱから生命が溢れていました。


 ――生きている。生きている。


 アクセルを回す手が止まりません。たかだか50ccのスーパーカブが飛ぶように走りました。緑色の山の中に僕自身が溶け込んでしまいそうな感覚は、ある意味では信仰に近い。限界に迫ることが、僕に科せられた使命だとも感じました。更に早く、更に早く。


 国道372号線を走りながら瑠璃渓谷を左手に見て、国道173号線にアクセスして北上しました。国道9号線にぶつかったら、西に折れてしばらく走ると福知山に到着。目的の出石(いずし)までは直ぐそこになります。出石には豊岡市立いずし古代学習館があります。福知山から出石までは、出石川に沿った国道482号線が便利なのですが、山の中を走る別ルートがありました。正規ルートは街中を走ることになりますが、目的地に行くのなら別ルートの方が少しばかり近い。迷わずに山の中の道を選択しました。


 誰も走らない静かな道でした。新しいのか舗装された道は走りやすく、こんなにも奇麗な道が誰にも走られないままなのがもったいないくらいでした。見通しは良くて清々しい。あと少しで目的地に到着です。その時、サイレンの音が鳴りました。サイドミラーを見ると、パトカーの赤いランプが光っているのが見えます。


 ――マジで!


 よりによってこんな山の中で……。僕の思考が乱れます。まだ、最初の目的地に到着もしていないのに、あまりにも間が悪い。完全に油断していました。


 ――このまま逃げてやろうか?


 最初に思いつきました。思いつきましたが、「逃げた」という気持ちを抱いたまま旅を続けるのも辛い。素直に停車しました。スピードは出ていましたし、スーパーカブの排気量は50ccです。道路交通法に従えば制限速度は時速30kmなので、良くて20kmオーバー、悪くて30kmオーバー。冷や汗が出ました。パトカーから出てきたのは、若い男女の警官でした。年のころは20代から30代前半。親子ほども年が違います。


「こんなゴールデンウィークに、こんな山の中で、ご苦労なことですね」


 嫌味の一つを相手に呟きました。僕の言葉など聞く様子もなく。女の子が問いかけます。


「一旦停止が分かりませんでしたか?」


 ――えっ!


「い、いえ、分かりませんでした」


 少し思考がバグりました。てっきりスピード違反で捕まったと思ったのに、一旦停止無視だったのです。女の子が中心になって事務的な手続きを進めました。僕にサインと捺印を求めます。書類を持つその若い女の子の指が、ピンク色のマニュキアで光っていました。警察官のなりをしているけれど、中身は女の子なんだな~と分かってみると、なんだか複雑な気持ちになります。高飛車な警官なら反抗心も起きるけれど、女の子なら仕方がないか……みたいな感覚です。別に鼻の下を伸ばしているわけではないですよ。子供を応援したいなみたいな感覚です。


「これからキャンプ場に行くんですか?」


 事務的な対応をしつつも、場にそぐわない質問が女の子から発せられました。


「いや、キャンプ場ではないけれど……」


 野宿をすることを説明するのも面倒だし……と言葉を濁すと、女の子との会話はこれで終わりました。手続きが終わったので、スーパーカブに跨ると男の子の警官が口を開きました。


「ついスピードが出てしまうと思いますけど、気をつけてください」


「はい」


 素直に返事を返しました。もしかすると、スピード違反には気づいていたけれど、一時停止で免除してくれた。そのように取ることも出来ます。どちらにせよ、ポジティブに考えることにしました。このまま走り続けていたら、もしかするともっと大きな事故に発展していたかもしれません。そんな有頂天になっている僕を早い段階で気づかせてくれた……そのように思い込むことにしました。何はともあれ、冒険は始まったんだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る