第1話 路地の暗闘

 その日、帝都には突然の雨があった。僕がこの世界に転生してから十六年の月日が経っていた。


 最初にこの世界に来た時は、自分に何が起きたのか理解が出来なかったものだ。冒険者としての今日のぶんの仕事を終えてクタクタになりながら、僕は家路を急いでいた。自分の十六歳の誕生日に似つかわしい、ゴキゲンな夕食の入った紙袋を手に携えて。


「いやな雨だなあ」


 天を見上げて空模様を嘆いた。持っている紙袋が雨に濡れてしまう。こんな日は早く帰ろうと思って、自宅への近道である裏通りを選んで通ろうとする。


 すると都合の悪いことに、曲がり角の奥で人の争う声がした。そちらの方へ意識を向けると、雨粒が地面を打つ湿った土の臭いに混じって鉄の匂いがする。血の匂いだ。


「おいおい、物騒だな……」


 そう思ってソロリソロリと路地裏の家の陰から何が起こっているのか覗き見る。


 フードを被った誰かが倒れていて、壁に背をもたれかけていた。そいつは小柄で、生きているか死んでいるかはわからない。どうやら腹を刃物で刺されたらしく、大量の血が路上に流れ出していた。


 それからその側にもう二人。おそらくその人間を刺した二人組の男、質の悪いチンピラだろう。片方が金目のものを漁り、片方が誰かこないかを見張っているようだ。


 はスラムではよくあること、と言ってしまえばそれまでだ。注意散漫な人物が危険な場所に立ち入り、強盗に襲われて命を失う。ここで見て見ぬふりをしたところで咎めるものはいない。厄介事に関わるのは誰でもゴメンなのだ。


 だがしかし、あいにく僕は現代人だ。現代人は現代人なりの倫理観がある。僕は十六年前、この世界に転生してきた。僕には今の状況に対処するための力があり、その行動で助けられるかもしれない命がある。


 自分の中で湧いた正義感と言うより義務感に近いその感情は、誰かのために剣を抜く理由としては十分だった。


「何だおま――ぐぁっ!?」


 決断してからの行動は早かった。もう十六年もこの世界で過ごして来たのだ。たとえ生まれが現代日本であっても、鉄火場に対処するだけの知識と経験をすでに身につけていた。


 速戦即決そくせんそっけつ。紙袋を物陰に置いたあと、素早い身のこなしで見張りの男に近づき、自分で言うのもなんだがたくみに短剣を振るう。


 男の方は攻撃を防ぐだけの時間もない。突然現れたかと思った敵に鋭い刃で喉仏を斬られた男は、血が吹き出す喉元を抑える。頭の中がハテナで埋まる前に、彼の身体はバランスを崩し前かがみになって地面に倒れた。


「おい、どうし――ヒィッ!?」


 金目のものを漁っていたもう片方の男は、後ろでする物音を不審に思って振り向いた。その瞬間彼の目に飛び込んできたのは鮮血を吹き出して倒れる相棒、そして何より、その手に持つ短剣を相棒の血で染めた不気味な男の姿だった。


 彼はあまりの衝撃に腰を抜かし、濡れた地面の上にへたり込んでしまった。


「おい」


 僕は自分でも驚くほど低いドスの効いた声で男を見下ろして威圧した。男は震える声で命乞いする。


「な、なんだ。か、金か」

「お前の金に興味などない。そこに転がっているのことだ」


 再びローブを羽織った人物の方を見やる。驚いたことに、それはこの場に似つかわしくない身なりの良い少女だった。どこか裕福な家の出であろうか、なぜこんな場所に立ち入ってしまったのかは分からない。好奇心は猫をも殺すとはこのことだろう。


「あ、ああ。生意気なガキさ。独りでこんな場所へ来てロクに周りの警戒もしていなかったから、近づくのは簡単だった」

「君は彼女を殺そうとしたのか、それとも本意ではなかったのか」

「ヘ、ヘヘ。あいにく俺は、こんな小娘に興味はないんでね。顔だって見られてるし、金目のものを取ったらさっさと殺してとんずらこくのが正解ってわけよ」

「そうか、ならば僕が君に同じことをしても恨むまいね」

「えっ、ちょ――」


 最後の言葉を言い終わらない間に男を押し倒して馬乗りになり、それから男の首を掻き切る。せめて長く苦しむことのないよう、心臓、腎臓、肝臓の部位を的確に刺して死を早める。しばらくして目の前には二体の物言わぬ屍だけが残った。


「……はあ」


 戦いと言うにはあまりに一方的な虐殺が終わったあとため息をつく。人を殺した時はいつも感じる心の痛みだ。これで良かったのか、他に方法はなかったのかという現代人らしい後悔が、この世界に来てから育った戦士としての残忍な部分を攻撃している。


 だが今は、それどころではない。急いで倒れた少女の方に近づき、首元に手を当てる。驚いた、彼女にはまだ息がある。軽く傷口を見たが、出血のわりに幸いにも急所は外れているようだった。


「この紋章は……」


 不意に、少女の着ていたフードの刺繍に目がとまった。ミヤセン家、押しも押されもせぬ大貴族だ。とはいえ少女はどう見ても使用人の風体ではなく、むしろ貴族の子女あたりに思える。どうしてこんなところにいるのか改めて不思議で仕方なかったが、その疑問を振り切るように首を振った。


「こういう時は、圧迫止血を……」 


 前世の地球で受けた救命講習を思い出しながらテキパキと進める。彼女の着ていた服の内張りを短剣で裂き、傷口に詰め込んだ。多少不潔でも運んでいる最中に出血多量で死ぬよりはマシだ。


「……神聖魔法が使えたらな」


 神聖魔法の使い手なら回復呪文で瞬く間に傷を塞ぐことができる。あいにく僕にはその手の魔法の素養がなかった。


「おい、意識はあるか? 今助けるからな!」


 その問いにウンとつぶやいたように聞こえた彼女の声はあまりに弱く、雨音の中にかすれて消えた。急がないとまずいな。そう思って彼女を背負い、教会に向かって走り出した。最悪の誕生日だ。





 それから半年後、招待を受けて僕は帝都にあるミヤセン家の屋敷を訪れていた。人口の過密と土地の不足が問題となっている帝都の中心にありながらミヤセン家の屋敷はあまりに大きい。


 屋敷の威容に圧倒されて立ち尽くしていたところ、老執事が正面の門を開いて出てきた。彼に案内されるがまま、僕は応接間にある長椅子に座らされた。


「おいおいこの紅茶、紅茶じゃないか」


 感動で泣きそうになりながら、僕は出されたカップの甘露を啜った。それから妙なことを言うものだと我に返っておかしな気分になった。


 久しく紅茶らしい紅茶など飲んでいなかったのだ。この世界に来てから飲んだものといえば、水、エール、ワイン、蒸留酒、それぐらいのもので、紅茶などの高級志向の嗜好品などはめったに手に入るものではなかったし、少しでも安価にと思うと、大抵の場合何を混ぜ込んだかわからない粗悪品をつかまされるのが日常だった。


「さてさて、一体どうして呼ばれたんだろう」


 少女がらみのことだと予想はついたが、それでもせないことがあった。帝国における貴族というのは平民との関わり合いを極端に嫌うものである。大貴族となればなおさらで、彼らはたとえ平民に命を救われたにしてもワザワザ屋敷に招待して直接感謝を伝えるなどということはしない。そのあたりは過去に多少の経験があったが、使いの者がその者の宿を訪れ謝礼を渡して帰るのが普通である。


 現代人からすればこの待遇は一見無礼に見えるかもしれない。しかしこの世界ではそれが生まれながらの階級の差というものであり、謝礼の額も多いから大方のものは納得するのだ。功績が大きい場合にはその者の功を称える文章を一筆書いてよこしてくれる親切な貴族もいて、その場合にはその書状が紹介状となって次の仕事の斡旋に絶大な効果を発揮しもする。


 そんな事を考えていると応接間の扉が開き、恰幅の良い剛毅な男性が部屋の中に入ってくる。彼が入ってきた瞬間、部屋の空気が一変したように思えた。彼の名は僕でも知っている。ミレイ・ミヤセン、帝国有数の大貴族その人だ。


「失礼します、閣下」


 地球ではまるでその手のことには無知だった僕も、この世界に来てから最低限の礼儀作法は身につけた。冒険者というのは意外に貴族相手の仕事も多いものだからだ。ミレイ卿は大貴族らしく、尊大な態度を隠そうともしなかった。


「うむ」

「閣下、本日お呼び立て頂いたのは……」

「そのことだがな。お前に少し頼みがあるのだ。混み入った話になるからまあ座れ」

「はっ」


 しかしそうはいっても、これほどの大貴族相手に話した経験なんて今までない。それは冒険者に仕事を外注するような貴族というのは結局のところ貴族の中でも格下の貴族であるからで、ミレイ卿のような大貴族は信頼できる手駒を自前で持っているものだからだ。


「お前の助けた人間だが、は私の孫でな」

「そうでしたか」

「ほう、驚かないのか」


 驚いたほうが良かったか。ミレイ卿の目の前では、自分の一挙手一投足が批評されているように思えてならない。僕は自分の動作のぎこちなさを絶えず自分で気にするという奇妙な状態に陥っていた。


「いえ、お助けした時フードに刺繍が見えたもので」

「ふむ、そうであろうな。おぬしが孫を教会に運んだ時、司祭に対し貴族の血を使って神聖術をかけるよう伝えたそうではないか。あれには感心したぞ」

「お褒めいただき、恐縮です」


 当たり前だ。貴族の治療に平民の血を使ったと知れたら、後で何と言われるか分かったものではない。感謝どころか咎められ、不敬のかどで罰せられることさえ有りうるのだから。しばしミレイ卿はジロジロと見定めするような視線をこちらに向けたかと思うと、ようやく口を開いた。


「ふむ、気に入ったぞ。どんな奴が来るかと思ったが、それなりに頭は回るようだし、やたらと己の才や功をひけらかすような男でもない。まさに今度の件にはうってつけだ」

「あの、ミレイ卿。申し訳ありません。私には何のことだか」

「話が見えないか。そうだったな。やたらとコトを急ぎすぎるのが私のよくないところだ。おい、入ってきなさい!」


 そういってミレイ卿は手を叩いた。パンっという乾いた音と共に再び扉が開かれ、一人の少女が入ってくる。肩までかかる透き通った黄金こがねの長髪に、星霜せいそうより深い碧に染まった瞳を持つ少女。ミレイ卿は彼女の立ち姿に満面の笑みを浮かべる。僕はその少女のことをよく知っていた。半年前、彼が救ったフードの少女だ。


「久方ぶりでございます、先日私を救っていただいたこと、感謝いたします」

「ミレイ卿、これは……」

「ふむ、改めて紹介しよう。ワシの唯一の孫娘であるクルシカだ」


 この娘がミレイ卿の孫娘であることは分かっている。しかしはそこではない。冒険者ごときに貴族である当事者が直接出てきて感謝を告げる? どうにも猛烈に嫌な予感がした。


「それで頼みというのはほかでもない。ワシの孫、クルシカと婚姻の儀を結ばんか」

「は……?」


 その提案に、僕は思わず素っ頓狂な声を出して固まってしまった。婚姻? つまり結婚ってことか、ミレイ卿の孫娘と?

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