注意喚起、呼びかけ、募集のチラシだらけの壁。それは薄汚れ、黒ずみ、くたびれている。蛍光灯に煌々と照らされてなお陰気な建物。人と紙とデータでひしめく空間は、穏やかな忙しなさに包まれている。自動で動くおもちゃの工場みたい。

 数多の市民たち、亡くなった人も生きてる人も、いろんな人たちが座ってへばった待合のソファ。疲労、苛立ち、怒り、期待、不安を押し付けられて、おしりの形に凹んだ座面。わたしとあなたはそこに並んで座っている。三人がけのソファで、あなたを挟んで向こう側にはわたしの母親くらいの年齢の女性が、番号札を握りしめたまま居眠りしている。

 学生服を着た男の子が立っている記載台で、ついさっき二人で記入した申請用紙が、あなたの膝の上にある。紙の端をそっと摘むあなたの指先にわたしは視線を落とす。あなたの親指に、藤色に輝く爪。その下に潜む紙の端には皺が寄っている。

 後ろの席からは、夢の中みたいに顰めた話し声がしている。赤ん坊だけは大きな声で意味のない音を繰り返している。

 「あ、うー、う、あう、いー」。

 頭上の丸いスピーカーから流れ出れでてあたりを包み込む音楽が切り替わる。陽光で星空のように輝く川のゆらめきのような曲から、薄暗く埃を被ったような心細い曲調へと変化した。

 「これ、なんて曲かな」

 あなたがわたしに耳打ちする。

 わたしは曲名を知らないので首を横に振る。

 「ジムノペディ」

 眠りこけていた女性が、顔をあげてぽつりという。そういう仕掛けのおもちゃみたいに、また俯いて眠りに戻った。

 「ジムノペディ、ジムノペディ」

 あなたは囁き声で繰り返しながら、ボールペンでわたしが持っていた封筒の端に曲名を書き込む。ひとの膝の上で無理に書いたので、その字はガタガタと歪んでいる。崩れ去ってゆくかのように。

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