ダンジョン生活はキャンパーには荷が重い

塩庭 匿

本篇

ハジマリのダンジョン

逃げのキャンプは最高だった


 暑さ真っ只中の夏。付き合って三年目の彼氏に別れを切り出された。

 なんでも、とある会社の女性に惚れ込んでしまったらしい。それもありきたりな受付嬢。長倉夏瓜ながくら なつりはそれを黙って聞くことしか出来なかった。


「だいたい夏瓜はさ、彼女らしいことしてくれないじゃん」


 彼氏の言い分は分かるような分からないような。確かに、夏瓜は口を開けば山、海、川のアウトドア人間だった。だからといって彼氏を粗末に扱ったわけでもない。と思われる。


「そもそもお前の顔嫌いなんだよね。その童顔どうがん、中学生と付き合ってるのかって」


 それを言われても、どうすればいいんだ。整形でもすれば良かったのか、高が彼氏に整形なんて馬鹿馬鹿しい。夏瓜は自分の顔が好きだから余計にそう思った。


(あ、こういうところが相入れないのかな……)

「とにかく、俺たちはもう終わりだから。連絡先は消せ。二度と電話かけてくんなよ」


 そう言って恋斗れんとは立ち去った。

 カフェの一角での出来事だった。幸い、周りの声で夏瓜と恋斗の別れ話は掻き消されていた。それでも自分が惨めでしょうがない。夏瓜は下を向くと、唇を噛み締めながら静かに泣いた。


「あー馬鹿馬鹿しい」


 暫くして顔を上げた夏瓜はそう言った。

 そうだ、キャンプ。キャンプに行こう。タイミングのいいことに連休がある。恋斗も愛する受付嬢と連休を過ごしたかったのかと邪推じゃすいして、それから首を振るとスマホを開いた。

 夏はシーズンオフとはいえ、キャンプブームのお陰で予約が取りづらい。それでもなんとか探し出したサイトは昔から夏瓜がお世話になっているキャンプ場『フォーンズ』だ。ここのオーナーは知り合いなので、さっそく電話を入れる。


『もしもし』

『あ、お世話になります。長倉夏瓜です』

『あー! 夏瓜さん久しぶりだねえ。どうだい、元気にしてる?』

『はは、まあぼちぼちです』


 聴き馴染んだおじさんの声が耳に届く。

 夏瓜は鼻をすする音が向こうに聞こえないようにしながら、用件を伝える。


『泊まりたいかぁ。いいけどね、実は休みなんだよその日』

『えっ、でもホームページには営業日と書いてありましたけど……』

『あら、おかしいな。ああでも夏瓜さんなら来ても構わないから大丈夫。特別料金だけどいい?』

『そんな申し訳ない……でも、ありがとうございます。お言葉に甘えさせてもらいたいです』

『分かった、じゃあ料金の相談だけ………』


 夏瓜はオーナーと話を進めると、最後にお礼を伝えて電話を切る。小さくガッツポーズをしてから、テーブルの上の冷めたコーヒーを飲んだ。

 その苦さは今の夏瓜には少し染みるぐらいだったけど、まあこれも人生だと割り切ろうとして夏瓜はまた一雫の涙を流した。



   ❋



 実家から持ってきた軽自動車で坂道を走る。急カーブは相変わらずドキドキするけど、こうドライブもいいものだと夏瓜は笑顔になった。

 降り注ぐ木漏れ日が気持ちいい。窓は開けていて、カーブが終わった辺りで窓枠に肘をついていた。何かとアウトドアをするには車の運転が必須技術なので、運転は必然的に出来るようになっていた。上手いわけじゃないけど、得意なのはバック駐車だ。


「それもこの車に限る、か」


 相棒の軽からの眺めに頬を緩めて、それから暫く運転し続けた。

 着いたときにはもう夕方。夏瓜はフォーンズと書かれた大きな木製看板の脇を通り抜けて、敷地内に入った。


「あ、夏瓜ちゃんじゃないの」

千世ちよさん、こんにちは!」


 車から降りた夏瓜を出迎えてくれたのは、オーナーの奥さんである桑田くわた 千世さん。お上品な奥様でキャンプ始めたての頃は夏瓜のことをよく気にかけてくれていた。

 驚いたのが猟師の資格を持っていて、このキャンプサイトに泊まりに来た人にジビエ肉を配っているのだ。

 オーナーはたくましい奥さん自慢がいつも凄かったなと思い出す。


「夏瓜ちゃん今日はごめんなさいね、万作まんさくさんがふんだくったでしょう」

「いえ、本来休みなのに開けてもらって申し訳ないです」

「いいのいいの、今日はお客さんが来てるってだけでサイトの方はいつも通りだから」


 お客さん? と首を傾げる夏瓜をよそに、千世は管理小屋の方へと歩いていく。

 その後ろを追いかけ、千世の手順通りにチェックインした。チェックインもお手の物で、こういった細かいことを学んだのはこのサイトだったっけ。

 それから予約した場所まで車で向かって、そこに停める。

 テントやミニテーブルを設営して、最後にイスを置いたら夏瓜はふぅと汗を拭った。


「キャンプ飯、するかぁ」


 そう言ってシングルバーナーの上にコッヘルを置く。コッヘルはいわゆるキャンプや登山で使われる携帯用の調理器具で、今手元にあるやつは丸型の鍋だ。

 水を入れて沸騰させる。沸騰したらそこにインスタント麺をぶちまけて、菜箸さいばしを使ってかき混ぜた。

 麺が柔らかくなってきたら付属の粉を入れ、仕上げに持ってきたネギとコーンを散らした。

 麺が伸びる前に一口いただく。


「んー! 美味しいっ。やっぱりキャンプ飯よ。キャンプ飯は世界を救う!」


 そう言いながらもクーラーボックスから出したアルコールをカシュっと開ける。今日は缶チューハイ。最近話題の桃味を買ってみた。一口飲むとしゅわしゅわと口の中で弾ける。少し気が大きくなった夏瓜はカパカパと缶を開けた。




「どうしてなのよぉ……私悪くないでしょぉ。そりゃぁ、アウトドアにかまけた事もあるけどぉ。童顔だって可愛いじゃんん」


 そこに居たのは酔っ払いだった。

 完全に羽目を外した夏瓜は、低めのチェアの上でジタバタする。目の前には麺が無くなったインスタントラーメンの残り汁があり、でもここまで飲んだ上だとスープを飲み干す気にもなれない。夏瓜はぐすぐすと泣きながらどうオーナーに処理を頼もうか考えていた。

 オーナーの家はこのサイトのすぐ側にあるので、そこのシンクに流させてもらえればなぁと考えていたのだ。でもそんなのは頭の隅でしか考えてなくって、今は振られた事でいっぱいいっぱいだった。


「もう、嫌よぉ。私は悪くないのぉ」

「夏瓜さーん」


 暫く泣いているとそんなおじさんの声が聞こえてくる。


「だれぇー」

「夏瓜さん? 大丈夫ですか?」


 夏瓜の視界にオーナーの顔が映る。心なしか離れている気がする。

 それもそうだった。夏瓜は今、イスごとひっくり返ってオーナーに顔を覗き込まれていたから。

 小さく鼻をすするとオーナーに「なんれすかぁ」と聞く。


「あらあら。不用心なんだから。今日は他に予約者が居なくてよかったな……っと、それどころじゃない。夏瓜さん、明日元気になってからでもいいのでフリーサイトの方に来てくれると助かるな」

「へぇ、はぁ。分かりましたぁー」


 何も考えずべろんべろんのまま返事をすると、オイルランタンの光に揺らめいていたオーナーが遠くに去っていく。

 はて、これは夢かと思いながら、夏瓜の意識はとくんと落ちていった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る