幕間 ロビンはその人の名を知る

「……なんだと?」


「どうかなさいましたか」


「あ、ああ……いや、すまん」


 ベイア子爵が険しい顔つきになったことで、その場にいた人間たちに緊張が走った。

 彼はとある青年の後見人として立ってもらえないかと相談を受けていた真っ最中で、その話を詰めている中に『緊急の用件だ』と使用人が届けた書状を読んだ瞬間であった。


「……もしも緊急で行かねばならない事態でしたらば、そちらを優先していただけたらと思いますが」


「しかし、ロビン・マグダレア。君の叙爵に関する話も重要な案件で」


「いえ。子爵が後見人なると約束してくださいましたから、焦ることもないでしょう。叙爵儀礼については部隊長に改めて相談し、そちらで学ぶこともできます。拝領するかどうかはまだ正式には決まっていないとのことですし、決まってからまた相談に伺えれば」


「……そうか、助かるよマグダレア卿。それとヴァンダ書記官、少しこの場を借りて相談したいことができた」


「なんでしょう?」


 ロビン・マグダレアはこの場にいて良いのかと目線で訴えれば、ベイア子爵は薄く微笑んだ。その目は笑っていない。何か、怒りを堪えているようでもあった。

 だが出て行けと言われたわけでもないのに席を立つわけにもいかず、ロビンは口を噤みただ姿勢を正したまま座る。


 共に来たヴァンダ書記官は王城の文官で、このたび武勲を挙げたロビン・マグダレアの後見人にとベイア子爵を推薦した人物でもある。


「実は、娘が学園の中庭で婚約者から運命の出会いがあったから婚約を解消したいと言われたそうだ」


「……は?」


「先走ったあちらの行動は先方の親御も知らぬ話であったようだが、息子も目の前にいたらしく殴りかかったらしい」


「それはまた……アナ嬢はどうしたんだ」


 ヴァンダ書記官はベイア子爵と昔からの知り合いである。

 つまり、ベイア家の双子のこともよく知っていた。


「アナ嬢は優しい子だ、さぞ傷ついていることだろう……婚約者というとあれだろう? ブラッドリィ伯爵のところの……」


「そうだ、オーウェン・ブラッドリィだ」


「なんてことだ……!」


(……なんのことだろうか)


 ロビンにはさっぱりとわからない。


 何せ、ロビン・マグダレアはここよりももっと西部の出身で、身分は平民であった。

 王都の華やかに暮らしに憧れた両親に連れられ上京、しかし夢破れた両親と共に再び田舎へ戻ることになったのだが、少年時代に過ごした王都で見かけた騎士隊のパレード。

 それがロビンの運命を変えた。


 昔語りに出てくる騎士さながらの華やかな彼らの姿に魅了されたロビンは十五才になると再度王都へと足を向け、騎士になるために努力した。

 その甲斐あって騎士となり、思い描いた華やかなものではないにしろ人々の暮らしに役立つ生き方をしている自分を誇らしく思う日々。


 そんな中で起きた地方の暴動、それが実は他国からの扇動であったことを突き止めるまでに至る大事件が実はあったのだが――ロビンは、その中で活躍したのである。

 結果、叙爵の話が持ち上がり、さりとて平民である彼を応援するのは同じ平民たちばかり……ということで後見人としてベイア子爵をヴァンダ書記官が紹介した、という形であった。


(話を聞いている限り、ベイア子爵家のご令嬢が変な男に傷つけられたってことか)


 ヴァンダ書記官の嘆きようから、優しい娘さんなんだろうなとロビンはぼんやりとそんなことを考える。

 ベイア子爵に似ているんだろうか、それとも先ほど会った奥方の方だろうか。

 息子という単語も出ていた。そういえばヴァンダ書記官がベイア家の子供は双子だと言っていた気もする。


 そんなことを考えていると、どうやら二人の会話が終わったらしい。

 どうも婚約解消に向けて、あれこれと協議書を事前に作成していたようだ。


 王城勤務の書記官が携わるのだ、これ以上ない協議書に違いない。


(……婚約解消か。残念な話だろうな)


 年頃のお嬢さんがそんな目に遭ったなら、さぞかし気落ちしていることだろうなとロビンは人ごとながら同情した。

 

 名前しか知らない後見人の娘さん。

 

 だけれど、ロビンはその見知らぬアナにいいことがありますようにとなんとなく帰り道にある教会で小さな祈りを捧げてみるのだった。

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