僕がマンガの主人公だと思ったらただのモブ⁉︎

天海 潤

第1話 この世界の作者である僕がただのモブ⁉︎

『咲希ちゃんのことが好きだッ!』

 イルミネーションに彩られた並木道の真ん中で天道玲が大きな声で告白する。

 天道の告白を受け、立花咲希の顔が紅潮する。

『わ、私……』


 僕は咲希のセリフを吹き出しに描き込むと、椅子の背もたれに体重を預けて、一息ついた。物語のクライマックスとなるこのシーンを大事にしたい。

 中3の時から描き始めたオリジナルの恋愛マンガ。3年間コツコツと描き続けてようやく告白シーンまでたどり着いた。自分が考えた理想のヒロインとの理想の青春。僕には絶対に手に入らないもの。

 自分には絶対に手に入らないと思うからこそ、毎日半ば強迫観念のように咲希との青春を描き続けた。最初は拙かった絵も少しずつ上手になっていった。

 続きを描こう。そう思って、ペンを手にした時、玄関のドアが開く音がした。

 父さんが帰ってきたんだろう。ペンをタブレットにくっつけて充電状態にすると、部屋を出る。

「おかえり」

「ただいま」

 父さんはスーツを脱ぐために自室へと向かう。

 僕はリビングを横切り、キッチンへと向かう。夕食はもう作り終えているから、温め直すだけですむ。父さんが着替えている間に温めた料理を食卓に並べる。

 着替えを終えた父さんがリビングに戻ってきた。

「いつも悪いな」

「気にしないで」

 二人とも食卓につくと、ご飯を食べ始める。

 テレビはつけず、静かに黙々と食事をとる。二人きりで食卓を囲むようになってから自然とそういう習慣になった。

「学校はどうだ? この前、試験があっただろ」

「平均点は取れてるよ」

 そのくらいしか報告することがなく、僕は静かに答えた。

「そうか」

 父さんはそれ以上深く聞いてこなかった。

 それから少し経って、父さんはまた口を開く。

「明日の夕方、母さんの見舞いに行こうと思う。渉も来るか?」

 母さんの見舞い。その言葉を聞いた瞬間、体が硬直し、鼓動が早まる。心にずしりと重いものがのしかかり、息が苦しくなる。

「……行けない」

 絞り出すように口にする。

「そうか」

 父さんは僕がそう答えるとわかっている。だからそれだけ口にすると食事を再開した。

 僕が母さんの見舞いに行かないとわかっていても、父さんはいつもこうやって僕に聞いてくる。父さんとしては、僕と母さんの仲を案じているのだろう。けれど、僕には母さんと向き合う覚悟がなかった。

 ふと目線を上げる。リビングの棚に飾られた家族写真。もう8年も前のものだ。あの時は家族4人幸せだった。

 それを僕が壊した。

 僕が壊してしまった。

 僕は食欲がなくなり、食器をシンクへと持っていくことにした。

「俺が洗っておくから。そこに置いておいてくれ」

「ありがとう」

 それだけ言うと、自室へと戻った。


 「はぁ……」

 父さんが母さんの見舞いに行くことも、その度に僕を誘うことももう何年も繰り返されていることだ。それでも僕は誘われるたびに心が沈む。自分の犯した罪に向き合わされる。

 タブレットを起動する。先ほどまで描いていた天道の告白シーン。画面をスワイプして少女のイラストを表示させる。15歳の少女。まだあどけなさが残る面影。もしも妹の陽菜が生きていれば。そんな気持ちで描いたこの絵。こんな絵を描いたところで僕が許されるわけじゃないのに。

 僕は気持ちを切り替えたくて、さらに画面をスワイプする。するとキス顔の咲希が表示された。

 立花咲希。僕の理想のヒロイン。丸顔にタレ目で眉毛がアーチ状に形取っている顔はいわゆるタヌキ顔と言われるタイプ。ミディアムの長さの艶のある黒髪をミドルポニーでまとめている。そんな可愛い彼女が頬を紅潮させながら瞳をギュッと閉じて、少しだけ顔を上に向けて、唇を微かに突き出す様はとても愛おしくて、画面をそっと撫でる。自然と表情が和らいでいるのがわかる。咲希との青春を描いている時間だけは全てを忘れられる。

 僕はペンを手に取ると、告白シーンの続きを描き始めるのだった。


「それじゃ、今日のホームルームは終わり。陽が落ちるのが早くなってきたから部活はほどほどにな」

 担任の竹内先生の言葉で委員長が号令をかける。

「きりーつ、礼」

 放課後が始まり、クラスがどよめき始める。

「今日、何するー?」

「カラオケ行かね?」

「部活行こうぜ」

「その前にトイレ」

「昨日、Metubeでさー」

 クラスメイトが放課後を楽しんでる横で、淡々と帰り支度を済ませる。リュックの中にタブレットがちゃんと入っているのを確認すると、席を立ち、教室を出た。

 今日は父さんの帰りが少し遅くなるだろうし、本屋に寄ってから帰ろう。そんなことを考えながら下駄箱に向かおうとすると担任に後ろから声をかけられた。

「金木、ちょっと待て」

 振り返ると竹内先生が腕を組んで僕を見ている。

「進路希望の紙を提出していないのクラスで金木だけだぞ」

 進路。未来。高校を卒業した後のこと。

「……すみません」

「別に謝って欲しいわけじゃなくてな。もう2年の10月なんだ。なんかないのか? やりたいこととか」

 竹内先生は困ったように眉を下げる。

「美術の藤田先生から絵が上手いって聞いたぞ? どうだ、そっち方面とか」

「あれは、そういうんじゃないです」

 僕は別に絵が好きなわけじゃない。マンガを描いていたら画力が上がっていっただけだ。

「なぁ金木。お前、クラスに馴染んでないよな。部活もやっていないし……。そりゃ家庭の事情は知ってるが、そんなふうに生きてると、この先辛いぞ」

 竹内先生は諭すように僕に語りかけてくる。

 この先辛い? そんなことわかっている。これまでだって辛かったし、今だって辛い。どうせこの先だって辛いはずだ。

 僕はこれ以上、竹内先生と話す気がなくなり、無言で下駄箱へと向かった。

「金木、いつでも相談に乗るからなッ!」

 背後から竹内先生が大きな声を出した。


 本屋に着くと、マンガの描き方の本が並んでいるコーナーに移動した。ここは大きく、様々なジャンルの本がたくさん置かれている。マンガの描き方の本を置いてあるのは近くでこの本屋くらいだ。通学経路から少し外れるから今日みたいな日にしか来れないのが難点だけど。

 何か新しい本は出ていないだろうか。棚に並ぶタイトルをじっと見つめる。何冊か見覚えのない本が並んでいる。どれから読もうか。

 棚に顔を近づけて逡巡していると、横から手がスッと伸びて、棚に収められている一冊を取り出した。

 気配に気づかなかった僕はビックリして、隣の人物を見やる。僕とは違う制服を着た少女。ここの本屋でよく見る制服だ。けど少女の顔を見て、驚いた。

 タヌキ顔にミドルポニー。咲希に雰囲気が似ている。

 咲希が現実にいたらこんな子なのだろうか。そう思うと、ジロジロ見るのは失礼だと思っていても視線が吸い寄せられていく。

 眉は整っているけれど化粧をしている雰囲気はない。唇の発色が綺麗なのはリップを塗っているからだろうか。

 マンガを描く上で女子高生のメイクなどもネットで勉強したので、そのくらいの知識は持っている。

 僕の視線に気づいたのか、彼女と目が合った。僕は慌てて適当な本を手に取ると、本を開いて顔を近づけた。

 少し時間を置いて、もう一度彼女の方を見る。彼女もマンガを描くのだろうか? 彼女が何の本を読んでるのか気になり、手の方に視線を向ける。

 彼女の手はインクで真っ黒だった。

 彼女もマンガを描くのだ。それも自分の手が汚れることも厭わず。彼女の顔をもう一度見ると、その表情は真剣なものだった。

 彼女を見ていると無性に自分が恥ずかしくなった。現実の辛さを忘れるためにマンガを描いている自分とは覚悟が別次元のように思えたからだ。彼女の隣に経っていることが辛くなり、本を置いてその場から立ち去った。


 ライトノベルのコーナーで異世界転生系の本を手に取り、ぼんやりとあらすじを眺める。僕も異世界へ行けたらいいのに。そこで何もかも新しく人生を始めることができたら。でもどうせ転生できるなら自分のマンガの世界がいいな。咲希と付き合うことが出来たなら。

 こんな現実逃避も日常茶飯事だった。僕はため息をつくと家に帰ることにした。

 外はもう真っ暗だ。10月の風は確実に冬が近づいてくることを告げていた。

 本屋を出て、駅に向かおうとすると後方から大きな声が聞こえてきた。

「やめてッ!」

 そんな女性の声が聞こえてきて、迷った末に声の方角に近づくことにした。

 角を曲がると、高校生らしき3人組が1人の女子と対峙していた。

「本を返してッ!」

 そう叫ぶ女生徒はさっき咲希に似ていると思った女子高生だった。

「こんな本買う金があるならよぉ。俺らに奢れや」

「キャハハ」

 同じ制服を着た男子の言葉に取り巻きの女子が笑う。

 店員に告げに行こうか……。それとも警察?

 頭の中で考えていると、咲希に似ている女子が本を奪い返そうと女生徒の手に触れる。

「汚い手で触んじゃねーよッ!」

 怒りを露わにした女生徒は、咲希に似た女子を突き飛ばした。

 その瞬間、僕の中で熱くドロドロした感情がマグマのように身体中を巡った。

 彼女の努力の証を「汚い」と言われたことがたまらなく悔しかった。

「うわあああああッ!」

 気がつくと、自分のカバンを振り回しながら、突進していた。

 僕の存在に気づいていなかっただろう3人組は突然の僕の行動に驚いている。

「は⁉︎」

「何こいつ⁉︎」

 リーダーらしき男子が一歩前に出る。

「こんなもやし野郎ッ!」

 僕は喧嘩なんかしたことはない。どうしたらいいのかもわからない。ただひたすらカバンを振り回す。

 僕のカバンが男子の横腹に当たるも、男子は姿勢を崩さなかった。

「いてぇだろうがッ!」

 そう言って僕の両肩を掴むと思いっきり力を込める。

 前のめりだった僕は男子の力に抗えるはずもなく、後ろに倒れて。

 頭を思いっきり打った。


 意識がぼんやりする。僕はどうして……? ここは……?

 次の瞬間、さっきまでの出来事を思い出し、頭に痛烈な痛みを感じた。

「いっっつッ!」

 思わず大きな声を出して、その場にうずくまる。

 ズキズキと頭が痛む。怪我はしているのだろうか。恐る恐る後頭部を右手で確かめる。どうやら出血はしていないようだ。

 その時、突然前方から声が聞こえた。

「……大丈夫?」

 心底、心配するような女子の声音。

 さっきの女の子だろうか? そう考えながら顔を上げると、そこには立花咲希がいた。

 「……へ?」

 思わず間の抜けた声が出た。

 見間違い? いや僕が咲希を見間違えるはずがない。さっきまで感じていた頭痛のことも忘れて僕は立ち上がる。

 ミディアムの長さの濡鴉のような艶のある黒髪をミドルポニーで纏めている。丸顔にタレ目。ふっくらとした涙袋。南国の海のようなパライバトルマリンの瞳。ピンク色の潤いのある唇。透明感のある白い肌。その可愛らしくも愛らしい顔立ちがこちらを心配そうに伺っている。これでノーメイクなのは我ながらやり過ぎだと思った。

 どこを切り取っても僕が描いた咲希。いやそれ以上に可愛い咲希が目の前に立っている。

「どこか痛むの?」

 甘く透き通るような声。咲希ってこんな声で喋るのか。まさに僕の理想とする声だった。

「聞こえてる?」

 さらに咲希の眉が心配そうに下がり、僕は咲希の質問に答えるべきだという思考にようやく辿り着いた。

「え、えっと、あの、いや、だ、大丈夫ッ! ちょっと頭痛がしただけだからッ!」

「そう? 辛かったら保健室行く?」

 咲希が僕のことを心配してくれている。それだけで脳内で幸せ物質がドバドバ出ている音が聞こえる気がした。それが理由か頭部の痛みはすっかり引いていた。

「大丈夫ッ! 本当に大丈夫だからッ!」

 咲希はまだ少し心配そうな表情で僕のことを見ているが、僕の言葉を信じることにしたらしい。

「わかった。でもまた痛くなったら保健室行った方がいいと思うよ」

 そう言って、教室の中へと入っていく。

 ん? 教室?

 そこでようやく僕は異変に気づく。自分が学校らしき建物の廊下に立っている。しかも陽射しが明るい。さっきまで夜の本屋にいたはずだ。

 周囲を見渡すと、僕の学校の制服とは違う制服を着た生徒たちが教室を出入りしたり、廊下で談笑していたりする。

 その制服は僕がデザインしたものだった。ふと自分の体を見ると、僕もその制服を着ていた。

 僕は確信した。自分がマンガの世界に入り込んだことを。何度も何度も妄想したことが現実になったのだ。これから僕はマンガの主人公として咲希と理想の青春を送るのだ。

 僕を突き飛ばした不良に感謝の気持ちさえ抱きながら僕も咲希の入った教室に入る。

 黒板を見ると今日は5月22日らしい。マンガの展開を思い出す。確か席替えで、主人公である天道と咲希が隣同士になった頃だ。

 教室を見渡し、咲希の姿を捉える。案の定、咲希の隣の席は誰も座っていない。

 僕は鼻歌を歌いたいような気持ちで咲希の隣に座る。手に持っていたカバンを机の横に引っ掛けると咲希の方を見やる。

 咲希の容姿は美少女としか形容できなかった。それにとても優しい。僕は脳内で廊下での会話をリピートする。

 こんな子と、これからマンガに描いたような青春を過ごして、最後には付き合うことができるなんて。

 最高じゃないかッ!

 咲希ともっと話したい。咲希の声をもっと聞きたい。そう思って、体を咲希の方に向ける。

「さ、咲希……」

 咲希は自分が話しかけられたことに気づき、僕を見る。

 「……えっと」

 咲希の喉から出る音は僕を癒してくれる。

 僕は咲希と目が合い、咲希が反応してくれることが嬉しすぎて、咲希の態度の変化に気づけなかった。

 もう一度口を開こうと、大きく息を吸い込むと、机にドンッ!と重い何かが置かれる音がした。

 びっくりして音がした方を見ると、そこには見覚えのある人物が立っていた。

 茶髪のマッシュヘアー。切長の目に逆三角の輪郭。中性的で整った顔立ちはまさにイケメンという言葉がよく似合う。

 天道玲。僕が作った主人公。

 なんで天道がここに? 僕が疑問に思うのと同時に天道が口を開いた。

「そこ、俺の席なんだけど」

 天道の言葉の意味が一瞬理解できなかった。

 ソコ、オレノセキナンダケド。

 それって日本語か?

 僕の思考がスローになっているのも知らず、天道は言葉を続ける。

「だからどいてくれないか」

 僕は僕が描いたマンガの世界に転移した。そこには咲希がいて、理想の青春を送れると思っていた。

 そこまではわかる。

 でも、なんでそこに天道がいるんだ?

 わからない。

「なぁ」

 天道の声が少し怒気をはらむ。自分が天道を怒らせたことに気づき、考えるよりも先に立ち上がっていた。

「ご、ごめん……」

 そう言って、机に引っ掛けたカバンを手に持ち、横に移動する。

「れーーーいッ! っはよッ!」

 僕の存在を知ってか知らずか、女子が僕を押し退けて、天道に話しかける。

 金髪に毛先だけピンクブロンドにブリーチした派手な髪色。セミロングの髪をハーフツインで結っている。

 僕を押し退けた女子を観察して気づく。こいつは。

「おはよう。彩乃」

 天道が返事を返す。

 中野彩乃。天道のことが大好きで咲希のライバルになる女子生徒。

 中野が声をかけたということは、間違いなくあいつは天道玲なのだ。

 メインヒロインがいて、ライバルがいて、そして主人公がいる。

 ……なら僕は?

「玲、もっと早く来てよ。もうホームルーム始まっちゃうじゃん」

「悪い。でも家が遠いからさ。わかるだろ?」

 むくれる中野に対し、爽やかな笑顔で返す天道。

「あ、あの……」

 思わず声を出していた。

 天道と中野がこっちを見る。

「ぼ、僕は……?」

 何の役なの?

 その後に続く言葉を口にすることができなかった。

 中野は僕の言葉をどう解釈したのか、とんでもないことを言ってきた。

「モブ男くんの席なんて知らないし」

 モ、モブ⁉︎ この世界の作者である僕がただのモブ⁉︎

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