7.ヒロインにはなれない
「黒影さーん!おーい!」
俺は、必死になって校内を走り回った。周りの人たちから「なんだなんだ?」とじろじろ見られたりしたけど、構わず彼女の名前を呼んだ。
「黒影さーん!どこにいるのー!?」
しかし、どんなに叫んでも、彼女から返事が来ることはなかった。やむを得ないと思った俺は、ポケットからスマホを取り出して、電話をかけてみた。
だが、それも繋がらない。何度やっても、着信音が鳴るばかりで……いつまで経っても彼女へは繋がらない。
(どうしたんだろう……?な、なんかめちゃくちゃヤバそうな感じだった……)
あの様子は、絶対に放っておけない。何かよくないことが起きてしまったんだ。
もしかしたら、またクラスメイトから悪口を言われてしまったのかも知れない。いやひょっとすると、それ以上に悪いことかも……!
「ちっくしょう!黒影さーん!」
汗だくになりなから、俺はまた走り続けた。
一体、どれほどの時間を探しただろうか?時間としては10分ほどと、そこまで長くはなかったかも知れないけど、体感は一時間近く探したような気持ちだった。
「…………………」
息も切れて、身体中が汗まみれになった頃に……ようやく俺は、彼女を見つけた。
階段の裏に座って、ひっそりと息を潜めるようにうずくまっていた。すんすんと、小さな嗚咽が彼女から発せられていた。
「黒影さん……」
「…………………」
俺が彼女の名を呼ぶと、顔を上げて……心底驚いた表情で俺のことを見た。
ああ……目が真っ赤にはれてる。なんでまた、君に悲しいことが起きてしまったんだろう……。
「…………………」
俺は彼女の目の前に、腰をおろした。そして、囁くように小さな声でこう尋ねた。
「一体……何があったの?」
「…………………」
「もしよかったら、教えてくれないかな?」
「…………………」
彼女は黙ったまま、また膝に顔をうずめた。それから静かに、首を横に振った。
「話したく……ない?」
「…………………」
「そっか、無理に聞いてごめん」
「……うう、ううう……」
黒影さんは自分の顔をグリグリと膝に押しつけて、さらに嗚咽していた。俺はどうしていいか分からず、ただただその場にいるしかなかった。
キーンコーン カーンコーン
ああ、もう朝のホームルームが始まるチャイムが鳴っちまった。もう、完全に遅刻だ。
いや、下手すると……点呼に間に合わなくて、無断欠席扱いになるかも知れない。
「…………………」
いや、いやいやいや。何を考えてんだ。教室へ戻ることなんて、今は視野から外せ。
黒影さんを、このまま放っておけるわけがない。今は彼女へ寄り添うことを、最優先すべきだ。
「……ねえ、黒影さん」
「…………………」
「もう少し、落ち着けるところに移らない?保健室とかさ、そういうところに行かない?」
「…………………」
彼女は、俺の言葉には何も返さなかった。自分の髪の毛を掴み、ぎゅーっと強く握り絞めていた。
「お願い……白坂くん……」
「…………………」
「一人に……させて……」
「で、でも……」
「…………………」
しまったな……俺が今ここにいるのは、彼女にとっては余計なお節介だったかもしれん。
でも……かと言ってここを離れるのは……。うーん、弱ったなあ……。
「……黒影さん、俺じゃ……君の力になれない?」
「…………………」
「俺がここにいると……君の邪魔になる?」
「…………………」
彼女は閉じた貝のように、それから一向に話さなくなった。頷くことも反応を示すこともなく、ただただその場にうずくまっていた。
いよいよ打つ手がなくなった俺は、ただその場に棒立ちになっている他なかった。
「…………………」
彼女が押し黙るようになってから、10分ほど立った頃。おもむろに黒影さんは、顔を上げた。その顔には、既に涙は浮かんでいなかった。
そして、ゆっくりと立ち上がると、虚ろな瞳を伏せながら、ゆらゆらと歩き始めた。
「く、黒影……さん?」
「…………………」
「ど、どうしたの?どこへ行くの?」
「……今日は、帰るね」
「え?」
「白坂くん、さようなら」
「…………………」
彼女は俺へ一瞥することもなく、静かに廊下を歩いていった。
俺は……そんな彼女の小さくなっていく背中を、ただただ見つめている他なかった。
……その日を境に、俺と彼女の関係性は、激変した。
いや、激変したというのは、正しくないかも知れない。正確に言うのなら、『元』に戻ってしまった。
「あ、おはよう、黒影さん」
「…………………」
俺が朝に挨拶しても、彼女は返してくれなくなった。少しだけ会釈を返して、それ以上は何も言わない。まるで、初めて会った時のような接し方だった。
お昼休みに話していたのも、今はもうない。彼女はお昼休みのチャイムが鳴ると同時に、すぐスタスタと教室を出ていってしまう。声をかける暇さえない。
隣の席のはずなのに、その間には……大きな大きな壁が作られてしまった。
「…………………」
あまりにも、悲しかった。今まで仲良くなれてたのは、全部幻だったんだろうか?と、そう思ってしまうくらいに。
彼女の笑ってくれた笑顔を覚えているせいで、余計に今の現状が辛い。
なんであの時、泣いていたのか。どうしてまた、心の壁ができてしまったのか。
俺にはもう、何が何やらわからなかった。
「…………………」
とある日の放課後。俺は黒影さんのことを考えながら、うつむき加減で歩いていた。
自転車を手で押しつつ、足元をぼんやり見つめている。
(……まあでも、普通に考えたら……俺が何か、悪いことをしちゃったんだろうな)
心の壁ができるっていうのは、普通に考えてそういうことだよな。俺が何か良くないことをして、彼女を悲しませて、そして嫌われた……。そう解釈するしかない。
俺としては、彼女へ何か悪いことをした自覚がないから、まるで検討がつかない。何をどう直して、どう謝ればいいのか分からない。
……俺は一体、どうすればいいんだろう……?
「風太ー!」
落ち込んでいた俺の背後から、元気な口調で俺の名を呼ぶ声が聞こえてきた。
振り返ってみると、そこには金髪をなびかせているギャル……早川 千夏さんがいた。
「やあ、早川さん」
「自転車乗んないのー?押して帰るのダルくなーい?」
「ん……いや、いいんだ。今はこれで。それにしても早川さん、今日は早いね。部活はなかったの?」
「うーん、今日はダルいからサボってきた~。スタベの新作飲みたかったし~」
「ははは、そうか」
早川さんの自由奔放な台詞に、思わず俺はほころんだ。
そうだ、黒影さんが泣いていた日の朝も、早川さんと一緒に歩いていたっけ。
この早川さんは、俺が中学生の時からの知り合いで、たまに会うとちょっと会話するくらいの仲だった。
「ねー、風太さー」
「うん?」
「なんか、今日元気なくない?」
「…………………」
「どうかしたー?なんかあったー?」
「……そうだね。ちょっとだけ、ね」
「なになにー?なーんか意味深じゃーん」
「そんなことないさ。ただ……」
俺は黒影さんの名前は出さずに、事の顛末を早川さんへ話して聞かせた。
早川さんは「なるほどねー」と独り言を言った後に、俺へこう告げた。
「まあでも、風太が悪いかどうか、本人に訊くしかなくない?」
「うん……」
「モヤモヤすんだったら、直で訊いてみたら?」
「……教えてくれるかな?」
「教えてくれなかった時は、もう諦めたらいいじゃん。他にやりようがないし」
「…………………」
「ニンゲンカンケーもさ、諦めが肝心じゃない?ウチはそう思うなー」
「…………………」
……諦め、か。
確かに彼女の言うことは正しい。黒影さんから避けられている以上、俺がどんなに尽力したところでたかが知れている。
無意味に仲良く居続ける必要は、本当はないのかも知れない。
『そ、その……イヤホン、何聴いてるの?』
でも、彼女と過ごした楽しい時間を思い出すと、この『諦める』という言葉が、チクチクと胸を痛め付けてくる。
(……黒影さん)
俺は曇天の空を見上げながら、ぽつりと胸の中で、彼女の名を呟いた。
……私は、真っ暗な部屋の中で、膝を抱えていた。
ベッドに座り、壁を背にして泣いていた。
「…………………」
白坂くんと話すのを止めてから、もう何日も経つ。最初は困惑した顔を見せて「どうしたの?」と言ってきた白坂くんも、次第に私へ声をかけるのを止めて、だんだんと距離ができていった。
これでいい、これでいいんだ。
こうすれば、白坂くんから……嫌われる。嫌ってもらえる。
「…………………」
私は、あの日にひとつ、決意したことがあった。
それは、この恋を完全に諦めるということ。
私は今まで、ちゃんと恋をしたことがなかった。現実にいる人間はいつも怖くて、近寄れなくて、とても仲良くなれなかった。アニメや漫画のキャラクターを好きになることはあっても、現実の人間に好意を抱くことはなかった。
でも、そんな私が……初めて現実で好きになれたのが、白坂くんだった。
あんなに優しくしてくれた人は、他にはいない。あんなに一緒にいて楽しいと思える人は、他にはいない。初めて自分から、仲良くなりたいと思えた人だった。
……でも、彼が他の女の子と仲良くしているのを見て、現実を知った。
私は、自分が漫画のヒロインになれると勘違いしていたことを、嫌というほど理解したのだ。
彼のヒロインになれる人は他にいて、私はただのモブに過ぎない。通りすがりの人間に過ぎない。
いや、本当は最初から分かっていた。分かっていたけど、そこから目を逸らしていた。白坂くんに特別扱いされて、それが嬉しくて……私もヒロインになれるんじゃないかって、そう誤解したかった。
「バカだよなあ、私って……」
泣き疲れて掠れた声が、真っ暗な部屋の中に木霊する。
これでもう、私は学んだ。これこら一生、現実では恋はしない。
どうせ傷つくのは分かってるんだから。どう足掻いてもヒロインにはなれないんだから。だったら初めから、恋なんてしなければいい。
そうしたら、傷つかずに済む。
だから白坂くんから、距離を取ることにした。白坂くんに嫌われてしまえば、もう私も勘違いをしなくていい。
これ以上、心が揺さぶられるのは嫌だ。もう疲れた……。
「…………………」
私は、近くにあったスマホへと手を伸ばした。そして、Limeアプリを開いて、白坂くんとのトーク画面を開いた。
もう、このLimeの連絡先も削除してしまおうかな。そうしたら、さらに彼との繋がりがなくなる。彼のことを好きだというのを、思い出すことが減る。
そうだ、そうしよう。彼も私へのLimeが通じなければ、もっと嫌いになってくれる。
私なんか、嫌われて当然の人間なんだから、それでいい。それでいいんだ……。
「…………………」
でも、私の指は、連絡先の削除ボタンを押せなかった。
指先がどうしても震えて、動かせなかった。白坂くんが送ってくれた、たくさんのメッセージが……私の頭の中に、何度も何度も反響した。
『この曲、すごく良かったよ!よかったら聴いてみて!』
『へー!この漫画、初めて知った!教えてくれてありがとう!』
「…………ああ、もう」
未練がましい自分の弱さに、私はさらに、自分のことが嫌いになった。
……ピロリロリン
その時、スマホの通知音が鳴った。なんだろうと思って確認してみると、それは……白坂くんからのLimeだった。
「し、白坂くん?」
私は思わず、すぐに彼がどんなメッセージを送ってきたのか確認してしまった。
『黒影さん、いきなりLimeしてごめんね』
彼の話の最初の一行は、このようは文章だった。そして、その後につらつらと本文が続いていった。
『黒影さん、勘違いだったらそれでいいんだけど、最近俺……君から避けられている気がするんだ』
「…………………」
『もしかして、何か俺、君の癇に触ることをしてしまっただろうか?もしそうなら、謝りたい。そして良かったら、また漫画の話とか、いろいろ楽しいこと話せるようになりたい』
「…………………」
楽しいこと……。
楽しいこと、か。
ふふ、そうね。楽しかった。本当に本当に楽しかった。あなたと話したことを、私……何度思い出したことだろう?
家に帰ってからも、ご飯を食べる時やお風呂に入ってる時に、白坂くんと話した時のことを思い出して、クスクス笑ったこともあった。そして、『こんな漫画の話をしたら面白がってくれるかな』って、そんなことも思ったりした。
そして、白坂くんとLimeのやり取りをする時、私はいつもそわそわした。白坂くんからLimeが来たらすぐに既読をつけてしまって、『すぐ返信すると白坂くんが鬱陶しいって思うかも』と考えて、敢えて時間を置いて返信したりとか……そんなことをしたこともあった。
──君と話しているのが、本当に楽しかったからだよ。
「…………………」
ああ、やだ。
また泣いちゃう。
白坂くんの優しい言葉が、またすぐ頭に過っちゃう。
その度に、胸の奥が熱くなって、白坂くんへの想いを強引に自覚させられる。
この気持ちを、全部忘れたいのに。消し去りたいのに。
もう傷つきたくないから、全て手離したいのに。
「ううう、ううう……」
お願い、白坂くん。こんな私、放っておいて。もう無視して。
こんな面倒くさい女じゃなくて、もっと明るくて優しい女の子と一緒にいて。私のことなんて、モブキャラにして。
ヒロインだって、勘違いさせないで。
お願い……白坂くん。
……ポツ
ポツ、ポツポツ
窓の外で、雨が降りだした。風の音も強くて、ヒューヒューと鳴る音が部屋の中にも聞こえてくる。
これからきっと、大雨になっていくんだろう。
これが……2024年、6月27日のことだった。
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