ドキドキの運動会(3)

「あ、来た来た! 二人とも、こっちこっち!」

 午前中のプログラムが終わり、千聖くんと一緒に保護者席に向かうと、水色のビニールシートの上に座る麻弥さんが大きく手を振った。

 緩やかにウェーブする栗色の髪に、整った目鼻立ち。

 麻弥さんは誰もがハッとするほどの美人だ。

 その美しさは、群衆の中にいてもよく目立つ。


「愛理ちゃん、1位おめでとう! 私の記憶が確かなら、愛理ちゃんが運動会で1位になるのって初めてよね? 今日は1位記念日ね」

 麻弥さんはニコニコしながら重箱の蓋を開けた。

 その隣で、黄色の鉢巻を巻いた優夜くんは紙コップにお茶を注いでくれている。


「お父さん、ちゃーんとばっちり撮ったぞ。帰ったら一緒に見ようね」

 ぽんぽん、とお父さんはビニールシートの隅に置いてあるビデオカメラを叩いた。


「いやー、まさか愛理が運動会で一位になる姿を見られるとは思わなかったよ。これも全部、愛理を引っ張ってくれた千聖くんのおかげだね、ありがとう」

「いえ。どういたしまして」

 千聖くんはほんのちょっと得意げに笑った。

 みんなで「いただきます」を言ってから、昼食を食べ始める。


「たくさん作ったから、愛理ちゃんも誠二さんも、良かったら食べてね」

 麻弥さんは重箱を差し出して言った。

 唐揚げに卵焼き、タコの形をしたウィンナー、ミニトマトとアスパラのベーコン巻き。

 ポテトサラダ、かぼちゃの胡麻和え、あと色々。

 重箱の中には麻弥さんが息子たちのために朝から張り切って作ったのであろうおかずがぎっしり詰まっている。


「これはどうも。私のほうのお弁当も良かったら食べてください。麻弥さんの豪華なそれとは、見た目も味も比べ物になりませんが」

 恐縮した様子でお父さんが大きなタッパーを差し出す。

 お父さんの詰めたお弁当の中身は、大きなおにぎりに、冷凍食品の唐揚げとコロッケ、あとは野菜炒めなど。

 本人が言った通り、麻弥さんの美しい重箱と比べると、だいぶ見劣りする。

 でも、冷凍食品の唐揚げを入れてくれと言ったのは私だし、お父さんが頑張って作ってくれたのを知っているから、私は充分満足だ。


 子どもたちは遠慮なく、タッパーと重箱、両方に手を出した。

 好きなものを摘まんで自分の皿に並べ、和気藹々とお喋りしながら楽しい時間を過ごす。


「運動して汗をかく子どもたち用に味を濃い目にしてあるので、誠二さんのお口には合わないかもしれません。ごめんなさい」

「いやいや、私は薄味よりも味が濃いほうが好きなんですよ。麻弥さんの手料理が食べられるなんて、私は三国一の幸せ者だ。早めに有給を申請しておいて良かった。運動会に来られなかったら、こんな幸せは味わえませんでしたから」

「そんな……」

 麻弥さんは照れたようにはにかみ、お父さんが握ったお握りを頬張った。


「あら、中身は梅塩こんぶなんですね。美味しい。私、梅塩こんぶ大好きなんですよ」

「そうなんですか、良かった」

 目の前でいちゃつく――いちゃついているようにしか見えない――二人を見て、私たちは顔を見合わせた。


「……この二人、いつ結婚するんだろうな」

「早く結婚すればいいのにね」

「バレバレだもんねえ。事前リサーチで麻弥さんが梅塩こんぶ好きだって知ってるくせに、お父さん、空とぼけちゃってさ。あざといなあ」

 子ども同士で囁き合っていると、頭に幸福の花を咲かせているお父さんがこちらを向いた。

 その瞬間、さっと、私たちは同時に視線をそらした。


「そういえば、午後の選抜リレー、千聖くんはアンカーに抜擢されたんだってね。これが小学校最後の運動会だ。応援してるから、頑張って」

「はい。頑張ります」

「愛理ちゃんに格好良いところ見せたいものねー」

 お茶が入った水筒の蓋を閉めながら麻弥さんが笑った。

「え?」

「な、何言ってんだよ! 別に愛理が見てなくても頑張るし! そのために皆で練習してきたんだから!」

 千聖くんはわずかに赤くなった顔を逸らした。


「そう? さっきは愛理ちゃんを一位にしたくて張り切ってたように見えたんだけど、お母さんの気のせいかな?」

「全力疾走だったよね、お兄ちゃん。それに楽しそうだった」

 タコさんの形になったウィンナーを頬張りながら、優夜くんも笑った。

「~~っ。走るからには一位取りたいだろ!」

「うんうん、そうね、その通りねー。ところで、借りもののお題は何だったの?」

 ぎくっとしたように千聖くんの肩が震える。


「愛理、言うなよ!? 言わなくていい! 言わなくていいから!」

「えっ? もしかして……好きな人、とか?」

 あらまあ、という顔で、麻弥さんが口に手を当てる。


「違います違います全然ちっとも違います!!」

 私は真っ赤になり、大慌てで否定した。

「そんなに強く否定しなくても……」

 拗ねたような千聖くんの呟きが聞こえる。


「お題はその……。……。イケメン、です」

 私は小声で白状した。


「まあ! 千聖、あなた、愛理ちゃんにイケメン認定されてるわよ、良かったわねー。美人に産んであげたお母さんに感謝しなさいねー?」

 満面の笑みを浮かべて麻弥さんが千聖くんの肩を掴む。

「うるさい」

 千聖くんは鬱陶しそうにその手を払い、お返しとばかりに母親を睨んだ。


「そんなことよりさあ。二人とも、いつ結婚するんだよ」

「えっ!?」「へっ!?」

 大人二人は同時にすっとんきょうな声を上げて、その顔をトマトよりも赤く染めた。


「な、何を言い出すんだ千聖くん」

「け、結婚なんてそんな」

 二人は面白いくらいに狼狽えている。


「そうだよ、お互い子どもがいるわけだし、そう簡単には……」

「いや、おれらを言い訳にしなくていいからさ。したいんならとっとと結婚すれば?」

「だ、だから違うのよ千聖、私たちは本当にそういう関係じゃ……」

 必死で言い訳する麻弥さんを見て、千聖くんは無言で肩を竦めた。

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