とんでもない夢(2)

 つ、着いた……。

 私の足は生まれたての小鹿みたいに震えている。


 ああ、苦しい。

 どれだけ吸っても酸素が足りない。

 でも、頑張った甲斐あって、まだ事故は起きてないみたいだ。

 もし事故が起きてたら、こんなに静かなわけないもんね。


「……よ、良かった、間に合ったぁ……」

 雲が浮かぶ春の青空の下で、私はへなへなと通りの端っこにうずくまった。

 コンクリートの壁に背中のランドセルを押し付け、両足を抱えて息を吐く。


「大丈夫か?」

 同じ距離を走ったのに、千聖くんは平気そうな顔をしている。

 もちろん息は乱れているし、額には汗が滲んでいるけれど、私みたいに立ち上がれないほどぐったりとはしていない。


「大丈夫……でもちょっと休憩……」

 私はうつむいて、ぜーはー言いながら呼吸を繰り返した。


「事故は今日起きないのかな……だったら、事故が起きるのは明日か明後日? ううん、もしかしたら、私が見たのは予知夢じゃなくて、ただの夢だったのかも。そしたら今日、私が慌てたのも、千聖くんと一緒に全力疾走したのも、全部無駄だったってことになるけど……」

「ただの夢だったら、それが一番いいだろ」

「うん……でも、このまま何も起こらなかったら、付き合ってもらった千聖くんには悪いなあって……」

「そんなこと気にしなくていいんだよ。おれは付き合いたくて愛理に付き合ってるんだ。ここにいるのは愛理に頼まれたからじゃなくて、自分の意思」

 千聖くんはそう言って、腰に手を当てた。

「大体さ、まだ夢オチで終わらせて良いかどうか、わからねーだろ。園田さんたちがどっちから来るかわかる?」

「あっち――あ」

 ちょうど指さした方向から、園田さんたちが歩いてきた。


 園田さんは薄手の白いカーディガンに緑のワンピース。

 ここねちゃんは袖がふんわり広がったシャツに黒のスカート。

 可愛く二つに結んだ髪にはイチゴの髪留め。


 園田さんとここねちゃんは今朝、夢で見た通りの格好をしていた。


 ――今日だ。間違いなく今日、いまから、事故が起きる。


 二人の服装を見て確信した。

 全身に鳥肌が立ち、すうっと、身体の芯が冷たくなっていく。


「今日だ! 今日、いまから事故が起きちゃう!!」


 真っ青になった私は、弾かれたように立ち上がった。

 走って疲れた、もうクタクタで動けない、なんて呑気なこと言ってる場合じゃない!


「二人を止めなきゃ! こっちに来ちゃダメって言わなきゃ!!」

 走り出そうとした私の手を、また千聖くんが掴んだ。


「なんで止めるの!?」

「いいから、園田さんたちのことはおれに任せろ。愛理のことだから、『車が突っ込んでくるから行っちゃダメ』って馬鹿正直に言うつもりなんだろうけど、そんなの言ったって信じるわけねーじゃん。いままで何人信じた?」

「う……」

 私は夢見た未来を何度か他人に伝え、危険を訴えてきた。

 でも、素直に信じてくれた人はゼロだ。

 私の言葉をすんなり信じてくれたのは、千聖くんと優夜くんだけ。

 お父さんだって、いまでこそ予知夢のことを信じてくれてるけど、最初は疑ってた。


「事故現場に誰も近づかないか見張っといて。間違っても車を止めようとはするなよ。危なすぎるからな」

「……うん」

 本当は車を止められたらそれが一番いいんだけど、確かに近づくのは危ないよね。

 幸い、突っ込んでくる車はそこまで早いスピードじゃなかった。

 あのくらいのスピードなら、運転手さんも死にはしないはずだ。


「よし」

 頷いた私を見て、千聖くんは頷き返し、歩いて行った。


 一人残された私は辺りを見回した。

 問題の横断歩道に近づこうとする人は誰もいない。


 横断歩道の向こう側では大人や登校中の子どもが歩いているけれど、車が突っ込んでくるのはこっち側だから大丈夫だ。

 千聖くんは道案内でも頼んだらしく、園田さんたちと一緒に、横断歩道とは全く違う方向へ歩き出した。

 これから起こることを伝えずに安全な場所まで避難させるとは、さすが千聖くんだ。

 私なら『とにかく行っちゃダメ』としか言えなかったな……。


 頰を掻いていると、横断歩道の信号がチカチカと点滅して、赤に変わった。

 もし私が見た未来が現実になるのなら、もう少しで車が突っ込んでくる。


 そんなこと起きなければいいのに。

 私が見た夢は夢のまま終わればいいのに。

 でも、やっぱり夢は現実になってしまった。

 右手を見ていると、白い車が走ってきた。

 白い車は止まることなく歩道に突っ込み、シャッターの閉まったお店の壁にぶつかった。


 ドーンっ!!

 ものすごい音がして、私は耳を塞いで身を縮めた。


「!!」

 目撃した子どもたちは目を真ん丸にし、大人たちは大慌てだ。


「こんなときは救急車、いや警察でしたっけ!? どっち!?」

 化粧をした女の人がスマホを取り出し、近くにいたサラリーマンに聞いている。

 車に突っ込まれた店の壁はひしゃげてしまっている。

 車の前面は凹んでいるけれど、運転席にいた男の人は無事なようだ。

 運転席から下り、壊れた自分の車と店の壁を見て頭を抱えている。

 わき見運転でもしてたのかな。

 運転手さんはこれから大変だろうな。

 事故を起こしたら、お金を払ったり被害者に謝ったりしないといけないもんね。

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