神の手を持つ彫刻師

甘栗ののね

第1話

 離婚の話し合いの途中、男は娘を庇って妻に刺された。


「あんたのせいで! あんたが黙ってればよかったのよ!」


 半狂乱の妻は義両親に取り押さえられた。男は腹を押さえ、その場に倒れこんだ。


「お父さん! お父さん!」


 娘の声が聞こえた。その声を聞いて、ああ、無事だったんだな、と男は安堵していた。


 離婚の話し合いの途中、妻が娘を刺し殺そうとした。鞄の中に隠し持っていた包丁で妻は自分の娘を殺そうとしたのだ。


 男はそれを庇って刺された。包丁は内臓にまで達し、傷口から大量に血が流れだしていた。


 薄れ行く意識の中、男は走馬灯を見ていた。


 中学生の時、両親が事故で他界したこと。高校を卒業してすぐに工場に就職したこと。24歳の時に友人の紹介で妻と結婚したこと。26歳の時に娘が生まれたこと。


 娘が中学生になったこと。その娘が実は自分の娘ではなく妻の不倫相手の娘だとわかったこと。その事実を娘から聞かされたこと。


 娘は妻から、自分の母親からそのことを教えられた。男が長期の出張中に不倫相手と外出し、酒に酔って帰って来た妻が酔った勢いで娘にそのことを漏らしたのだ。


 本当の父親は他にいる。あいつはただのATMだ、と妻は娘に告げたのだ。


「私のお父さんはお父さんだけだよ」


 DNA鑑定で娘が自分の娘ではないことがわかった。それでも娘は男を父親だと言った。不倫をするような人間は母親じゃない、とまで娘は言ったのだ。


 そんな娘を男は十数年間自分の子供だと思って育てていた。血のつながらない他人の子供を大切に育てて来た。血が繋がっていないとわかっても、男は娘を捨てる気になれなかった。本当の娘だと、男は本気で思っていた。


 男は数々の証拠を集めて妻を糾弾した。けれど妻は反省するどころか開き直り、上から目線で「最初からそのつもりだった」と言い放った。娘が大きくなったらいずれ別れるつもりだった、と男を見下してそう言ったのだ。


 妻が出て行った。それからしばらくして話し合いが開かれた。そこには義両親、妻と妻の不倫相手、さらには娘も同席していた。娘を同席させるつもりはなかったが、本人がどうしてもと言うので話し合いに参加させた。


 その話し合いの途中、妻が逆上して包丁を取り出し、男を刺した。


「お父さん! しっかりしてお父さん!」


 娘が男の傷口をタオルで押さえて必死に呼びかけている。けれど、血が止まる気配はない。


「……よかった、怪我は、なさそうだな」


 男はぼやけていく視界の中で娘の姿を見ていた。


 怪我は無い。つまりは守ることができたのだ。


 血が繋がっていないとわかっても自分のことを父親だと言ってくれた、自分の味方になってくれた娘を守ることができたのだ、と男はホッとしていた。


 いろいろと思うことはある。けれど、満足だった。守ることができたのだ。


 壊れてしまった家族の中で最後まで残った大切なものを守ることができた。


「ああ、よかった。本当に……」


 男は目を閉じる。寒くて、眠い。


 男は長い長い眠りについた。


 そう、長い眠りだ。


 眠りについたのなら、目覚めるものだ。


「よく頑張った、よく頑張たな!」


 目覚めた。けれど何も見えなかった。目を空けることができなかった。


 聞こえた。誰かが泣き叫ぶ声と、複数の男女の声。


 すぐ近く、自分の隣で赤ん坊が泣き叫ぶ声が聞こえた。


「だ、あ……?」


 男は目覚めた。体が思うように動かなかった。


 ある世界で一人の男が血の繋がらない娘を守って死んだ。


 そして、その男はある世界で生まれ変わった。


 双子の兄弟の片割れとして男は生まれ変わった。

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