15.

 ◇ライラ視点◇

 

 茜色に染まる水平線へその夕焼けが沈む頃、ようやく私の魔力とレイフの体力は回復し、私達は離れ小島から氷の橋で海を渡って帰路へ着いていた。日没に伴い〈ブーゲンビリア〉とその幼体は海へ帰って行き、街は一時の静寂を取り戻す。ポツポツと点り始める街灯の柔らかさが、戦いに披露した騎士達を少しだけ労ってくれているように見えた。白い石灰で塗り固められた階段を登りながら、少し冷静さを取り戻した私達は、今日の光景に、そして目を逸らした現実に向き合う。

「どういうこと? ルーナの魔法が通じないなんて。私達の最大火力よ。……勝ち目が無いわ」

「魔力の流れが不自然に屈折していた。〈ヘクソカズラ〉の時はそんなことなかったのに」

「間違いなく、〈ブーゲンビリア〉の能力でしょうね。あの隼の花火が消えていたのと同じ理屈ね」

 カノリア村に眠るあの厄災には、魔力を吸収し自身の命へと変換する能力が備わっていた。四百年以上前に魔女が倒しきれず封印したということは、やはり魔法では倒せないという事かしら?

 であれば祝福者ではなく、魔法を扱う私達には勝ち目は無い。

「〈ヘクソカズラ〉とはまた違った別の能力があるという事か。またルーナに聞いてみるか?」

 その発言がどのような振る舞いを呼ぶのか、貴方は何も考えずに言葉を紡ぐ。

 隙有りよ。

「まあ! キスのお誘いかしら?」

 貴方はハッとした顔を見せて、そして徐々に頬を桃色へ染める。

 初心ね。本当に、可愛い顔をしているわ。

「茶化すなよ! ……いや、まあ、……結果的にはそうなるけど」

 必死に、しどろもどろに取り繕う貴方。

 でも、……私が欲しいのね。

 ……死ぬ程、嬉しいわ。

「ふふ! レイフったら! 朝もしてあげたのに、欲張りさんね」

 私は幸福で緩んだ情け無い顔を見せないように貴方の少し前を進む。先程の〈ブーゲンビリア〉との戦闘では赫焉の魔女はその姿を現さなかった。毎回顕現するわけでもないのね。あの広間を右へ曲がれば、太陽の休憩所。ネーミングセンスは無いけれど、清掃の行き届いて内装も設備も綺麗な私達の愛の巣。折角のレイフのお誘いなんだもの。今夜は一杯チューにしないとね。……もしかしたら、私達の関係も、一歩前進するかもしれないわ。

 すると、私達だけの愛の巣の入口には何やら人集り。よく見れば白と琥珀の騎士装束。……隼の騎士隊。ボリス、速攻でしくじった上に、しかも私達の居場所を簡単に吐いたわね。私の直感がビリビリと警報を鳴らす。これ、絶対碌な話じゃないわ。

「ライラ君だね?」

 三人の強面をバックに従えた隊長様が、腕を組んだまま真っ直ぐに私に向き合う。軽いウェーブの掛かったココアブラウンの長髪を掻き上げて、まん丸の形の良いおでこと、小さな左耳を露わにしている。化粧も真っ赤なリップをサラッと遇らうだけ。それでも長い睫毛と意思の強そうな眼差しは色褪せない。自身の肌と顔のパーツ、要は美貌に自信があるのね。

「人違いね」

 貴方に構ってる暇は無いの。私は今日、何があっても良いように、念入りにお風呂で無駄毛の処理とスキンケアが必要なの。下着はどうしよう。いつもの黒で良いのかしら。レイフ、何色が好きなのかな。

「君と話がしたい。お食事でもどうかな」

 妄想に耽る私の拒否をフルシカトし、ノシュテット参与は話を続ける。

「まあ! 下手なナンパね。お断りよ」

 ここで臆せば舐められる。敬語なんて以ての外。そんな簡単に話には乗らないわ。私はその人間の垣根を掻き分け、ホテルのドアに手を掛ける。

「あのバリアを破壊する方法を知りたいんだろう?」

 隊長様は私達に背中を向けたまま、含みを持った問いを投げ掛ける。

「トップ会談といこう」

 そして振り向き、席へ着くよう要求する。

「……いいわ」

 ヨニーの書の全文は、今、この場ではこの女しか知らない。ボリスみたいなポンコツの三次情報のみを当てにするのは余りにリスキーだわ。

 ……一方的に吐き出させてやる。情報。

「待て! ライラに何をするつもりだ」

 私の可愛いワンちゃんは、敵意剥き出しでマルティナを睨み剣の柄に手を掛ける。エレガントさには欠けるけど、護ってくれようとしてるのね。

 嬉しいわ。

 大好き。

「大丈夫よ。敵意は感じないわ」

 私はワンちゃんを諌めるも、その敵意は一向に冷める様子が無い。

「騎士は信用出来ない。ライラを連れて行くならこの男達を置いていけ」

「それは構わないが、それでどうするつもりだ」

 マルティナは首を右へ傾げる。

「人質だ。ライラに何かあればこいつらを全員殺す」

「はっはっは!」

 そして隼の四人は高笑い。

「良い! 素晴らしい自信だ。そしてそれは世間知らず所以のものではなく、過去の研鑽の積み重ねから漲る結論だ。素晴らしい」

 マルティナは信用出来ないと口にした礼の無いレイフを寧ろ称賛する。器の大きさを見せつけられるわね。

「そういうわけだ。お前達はレイフ君に鍛えてもらいなさい」

 隊長は三人の配下へ楽しそうに、しかし鋭い眼光で指示を出す。その声の裏には『敗北は許さん』といった絶対の厳令が見え隠れする。男達はその意図すぐさま察したのか、その強面を更に厳しく顰める。

 ……何?

 もしかして、あわよくば殺る気?

 ……不味いわね。

「レイフ、全員に勝ったら、今夜はご褒美をあげる」

 私は彼にだけ聞こえるようにコソコソと耳打ちする。

 負けないで、レイフ。

 相手より優位に立つには舌戦による勝利だけじゃ駄目。約束を履行させる為には、武力で全てを引っ繰り返されないように、その抑止力を提示する必要があるわ。派閥にも属さず後ろ盾を持たない私達にとって、それは絶対の生命線。それは貴方に掛かってる。

「な!」

 レイフは驚きつつも、その瞳にはいとも簡単に活力が漲る。

 ……本当に可愛いわね、この生き物。

 ご褒美、欲しいのね。

「俺はイェルド。隼の副隊長をやっている。胸を借りるぜ。剣戟主席様」

 三人の内唯一眉目の良い男は指の関節を鳴らして威嚇する。まあ、ボサボサの寝癖と無精髭が残念ね。

 それにしてもレイフの事、知ってるのね。

「良いだろう。見せしめに一人くらい殺してやる」

 頭に血の昇ったレイフはベストを脱ぎ捨て、ワイシャツのボタンを一つ緩め戦地へ向かう。

「さあ、ライラ君。私達はそこに座ろう」

 指差したのはホテルのテラスの丸テーブル。

 どうやら端から何処かへ連れて行くつもりは無かったみたいね。

「良いナイトを連れているな」

 マルティナは背後を振り返り、少し遠くの私の王子様に目線を向ける。

「ふふ。良いでしょう。あげないから」

「お酒は?」

 マルティナは席へ着くや否やメニューを確認する。

 未だ、本題には入らない。

「嗜む程度よ」

 するとマルティナは一番高い白ワインと、ローストした茄子のパプツァキとミートソースのパスティッチョを注文する。

「任務中なのに良いわけ?」

「普段は飲まない。今宵は特別だ」

 酔わせようなんて無駄よ。私、酒豪だから。……まあ、貴方もある程度は自信が有るのでしょうね。

「レイフ君、随分と信頼しているみたいだね。彼とは長いのかい?」

 視線の先、マルティナの背中の奥では、レイフとイェルドが拳で取っ組み合いをしている。それを見ながら他の二人は地べたに座り、ビールを呑みながら笑っている。

「アイスブレイクは要らないわ。私、忙しいの」

 マルティナ、貴方の誘導には乗らないわ。

「……それは良かった。正直、駆け引きや前置きは苦手なんだ」

  黒い文字は吐き出さない。本当に苦手意識があるようね。浅い溜息の後、存外穏やかな目でこちらを見やる。

「単刀直入に言う。協力関係を結ばないか?」

「それは私達が隼の傘下に入る、という意図かしら?」

「そうだ。今回の任務期間中だけで構わない。無論、正採用を受けたいとのことであれば歓迎しよう」

 ……完全に、舐めてるわね。まあ相手はほんの一握りの参与騎士。たかが主幹騎士の私達に恐れる必要なんて、当然無いわ。

「……一応、協力関係を結ぶメリットだけは聞いておこうかしら」

 その油断が命取りよ、マルティナ。

 引き出してやる。〈ブーゲンビリア〉討伐への手掛かりを。

「本日、君達は〈ブーゲンビリア〉へ接近したな?」

「いえ」

「隠さなくていい。最前線で戦う我々にはこの目で確認できたよ。大波を引き起こす莫大なエネルギー量の塊が、厄災の前で霧散する瞬間をな。あれは遠い日の伝説に匹敵するものだ。……流石に我々も、言葉を失ったよ」

 そう言って苦笑し、柑橘系の爽やかな香りを振り撒く白ワインへ口を付ける。

「そう。何のことか分からないわ」

 教えない。

 これは私達が持つ唯一の手札よ。まだこの切り札を切るタイミングでは無いわ。

「秘密主義なんだな。良い心構えだ。初対面の人間をそう簡単に信用するものでは無い。特に、この澱んだ騎士団の人間をな」

 ……これも嘘では無い。

 案外、貴方もこの世界で苦虫を噛み潰したような思いをしているわけね。まあ、なら仕方無いのかしら。

「しかしあの光、我々では無い。当然そんな人員、南部地方騎士団では無い。ならば一択。騎士団長の謎の気紛れによって、本件に参加した君達だ」

 鋭い眼差しを向けられる。

 まあ、そこまでは当然行き着くでしょうね。参与騎士の貴方は、私達の〈ヘクソカズラ〉討伐の報告書を読んでいるんでしょうから。

「団長は聡明で公正だ。何の意味も無く内規を破る人間では無い。であれば三月前、上代の穢蕊えしべを葬ったという君達が鍵になると睨んでいるのだろう。『地殻を消失させた』だったな。あれは厄災消失によると報告していたみたいが、その信憑性には検証が必要だ」

 グスタフはどこまで話しているのかしら。最悪を想定するならば、中央の幹部は全員、私が魔女である事を裏では知っている、という状況ね。

 やはり、グスタフはあの日殺しておくべきだったわ。

 ……まあ、私の可愛いお人好しさんの決断なんだから、仕方が無いんだけど。

「随分とグスタフを買っているのね」

 とにかく、この話を掘られるのは危険ね。話題は転換させましょう。

「ははは! 団長を呼び捨てとは! 大物だな」

 マルティナは腕を組み、天へ向かって笑い掛ける。

「ああ。そうだな。この腐った騎士団の中で、珍しく尊敬すべき人間だと思っているよ。ライラ君、君もその実績を知らないわけではあるまい?」

「そうね。彼の事は色々と知っているわ」

 どうやら、レイフが最初の一人を倒したみたいね。イェルドと名乗った男は大の字で寝転んでいる。他の二人は笑いながらイェルドを詰る。その調子よ、レイフ。そしてビール瓶を脇に置いて、二人目の長身の男が立ちはだかる。

「話を戻そう。例えばの話だが、我々の最大戦力であるデレシア・エリ参与と君達の一撃、同時に放ってみてはどうだろうか? そうなれば〈ブーゲンビリア〉のバリアの容量を超える事が出来るのでは無いか?」

 容量。

 妙に確信めいて発した単語。

 ……間違い無くヨニーの書の情報ね。

 ……なるほど。〈ヘクソカズラ〉の時と同じ。防ぐ魔力や祝福の熱量には限界がある、つまり一定の閾値を突破すれば刃が立つ、という意味ね。

 この情報は、大きいわ。

「例えば地殻を消失させる力が私達のものだったとして、貴方達の祝福なんて誤差の範囲じゃ無いかしら? そんな都合良く、合算値が基準を超えると?」

「可能性はゼロじゃない。このまま手を拱いているよりは前進だ。デレシアさんの蛍火は明日見せよう」

 蛍火。そう、あの祝福は花火じゃなくて、蛍火と呼称しているのね。

「明日? 私達は戦場には出ないわよ。命が惜しいからね」

「前線まで出る必要は無い。君達が昨日寄り付いた離れ小島で確認するといい。明日正午に放つ。それまでに準備しておいて欲しい」

 私達の位置まで把握されていたのね。言葉を失った、と言ってた割には抜け目無い。

「……まさか花木を破壊する方法ってそのこと? 呆れた。もう少しマシなアイディアは無かったのかしら」

「では、そのご慧眼に肖りたい」

 ……これも嘘じゃない。

 表情には出さないものの、皮肉では無く本当に懇願している。案外余裕は無いのかもしれないわ。

 そしてバリアの破壊ではなく、花木の破壊という表現にも表情を変えなかった。恐らくあの花々がバリアの根源という情報も正ね。

「まず前提を整理しましょう。その占星の魔女、とやらの発言は本当に信用できるのかしら?」

「バリアを生成しているのは頭上の花木であるということ、そして厄災は心臓を貫かねば、幼体から捧げられる魔力を源にその肉体を再構築できるということ。この二点については問題無い。実はこの占星の魔女は、ヨニーの書に何度か出現し、その発言の信憑性は過去の騎士達に実証されている。つまり我々の勝利条件とは、あのバリアを打ち破りその心臓を破壊するに至る事となる」

 前者は良いとして、後者は初耳ね。『占星の魔女』という単語で私の認識を過大評価したみたいだけど、貴方もまだまだね。グスタフは私達に何も情報を与えてはいないのよ。恐らくはマルティナ、貴方がその差分を利用して私達を上手く手懐けられるようにね。でも残念。正しくは私へ先に前提条件を喋らせてから発言するべきだったわ。この情報と騎士団の性質を踏まえれば、この戦争は恐らくバリアを破った者、そして心臓を貫いた者、この両者へ第一功が与えられる。やはり幼体との戦闘なんて割に合わないわ。あれらがどれだけ街を食い尽くそうと無視で良いという結論に至るべきね。

 ありがとう、マルティナ。

 宵闇だった私達の勝利条件が今、確定したわ。

「なるほど。前提は同じ認識ね。……まず砲撃は通ったのよね」

「ああ。うちの優秀は砲手が見事一五五ミリ重砲を命中させたよ。結果は傷一つ付かなかった」

「つまり祝福が屈折させられたといっても、物理的に触れることは出来るという事よね」

「ああ。そうだな」

「ならばあの平べったい身体に騎士を登らせて、花木を吹き飛ばせば良いじゃない」

「それも今日試したよ」

 マルティナは背を凭れ少し落胆した表情。そんな程度か、とでも思っているのかしら。

「得体の知れない上代の穢蕊えしべ。その背にしがみ付くなんて蛮行を進んでやりたいものはいない。私が行こうとしたが、結局イェルドが行ってくれたよ」

「結果は?」

「駄目だ。結果は同じ。あの硬質で分厚い皮膚に、剣では傷一つ付けることは出来ない」

「凡人の剣ではね」

 隊長様は眉をピクリと吊り上げる。自慢の部下を詰られるのは気に食わないようね。……それは貴方の弱点よ、マルティナ。

「〈ブーゲンビリア〉の見えないバリアは、体表から一定間隔の距離があったわ。もしかしたらそのバリアの内側から祝福を放てれば、その妨げを受けることなく厄災を討伐できるんじゃないのかしら」

「……可能性は有る。だが、デレシアさんは今年六十だぞ。その背に降り立つことなんて不可能だ。しかも〈ブーゲンビリア〉の消失する瞬間が危険すぎる。脱出先も不安定な海上のボート。それは再現性が無い」

 なるほど。

 私と同じとこまでは、その思考は辿り着いていたと。でも残念。手札が足りなかったようね。私は靴をトンッと鳴らし、マルティナの周囲に氷柱を出現させる。

「……これは?」

 少し警戒した目でこちらを見やる。

「涼しいでしょう?」

 どうやら、私達にはもう一枚の切り札があったみたいね。天の女神様には感謝しなくっちゃ。

「私のレイフはね、高速で移動が出来るのよ」

 私は視線の先、マルティナの後ろを指差す。振り返れば、神速で長身の男を翻弄しダメージを与え続けるレイフの姿。

「彼なら、バリアの内側への運搬と脱出、その両方を解決できるわ。そして足場は小さなボートではなく、周りの海を、私の氷で固めてあげる」

 そして今さっき手に入れた一枚のカードをここで切る。ゲームは私の勝勢ね。

「……なるほど。それは試してみる価値はある」

 マルティナは顎に手を当て思案する。

 計画に穴は見当たらない。

 タイミングは、今。

「まあいいわ。ただし、その有用性を確認したとして、傘下に入るのは貴方達よ」

「それは出来ない。我が部隊にも面子がある」

 当然、そう言うわよね。

「そう。なら交渉は決裂ね。明日の花火でしたっけ? 楽しみにしてるわ」

「功績を争っていては進む議論も進まない。ミコノレーゲンの市民をこれ以上苦しめたくはない」

 ……これも嘘じゃない。

 ……凄いわね。

 貴方は、誇るべき真の騎士なのね。

 でもねマルティナ。今は交渉の場よ?

 そんなカードが、今更通用すると思って?

「ならば貴方達が折れるべきよ。文句は内規を破って、私達をねじ込んだ敬愛すべき騎士団長にお願いね」

 真にミコノレーゲンを思うなら、貴方が頭を下げなさい。それで全ては丸く収まるわ。

「……私の部下は命を張っている。その労働の対価を希釈するような真似は出来ない。それは組織の長として、部下に対して不誠実だ」

 これも嘘じゃない。

 良いリーダーね。交渉術は中の下だけど、その人格は尊敬に値するわ。

「同感ね。でもね、私のレイフの働きだって安くないわ」

「……平行線だな」

 視線の奥で、レイフは二人目も殴り飛ばした。そして最後、最も筋骨の発達した怪物が、ストレッチを終えて笑いながら立ち上がる。これは間違いなく難敵ね。

 お願い。勝って、レイフ。

「随分とレイフ君に心酔しているみたいだね」

 マルティナはワイングラスを空け、お代わりを注ぐ。

 ……何その話は?

 観念したのかしら?

 なら、本当に交渉は決裂ね。

「君たちは男女の仲なのか?」

「そうよ」

 まあ、実際は恋人の振りだけど。でも今夜、本当に恋人になるかもしれないわ。既成事実させ作ってしまえばこっちのものよ。あの子は、そっち関係は流され易いんだもの。

「はは。どうやら違うらしい」

 マルティナは確信めいた笑顔で、さっき注いだばかりのワインを飲み干す。

「何でよ!?」

「女の勘だ」

 隊長は再びお代わりを注ぐと、そのボトルの口を私に向ける。どうやら、グラスのそれを空けろ、という意図のようね。私は一気に飲み干すと、マルティナは嬉しそうに高級な白ワインを、空気に触れるように細い軌跡で丁寧に注ぐ。

「ヒントは君達の距離感だよ。男女の仲となった恋人達は、その夜以降は肌の触れ方やパーソナルスペースの取り方が変わってくる」

 そしてマルティナは再び、白ワインに口を付ける。ペース早すぎよ、とも思ったけどどうやらエンジンが掛かってきたようね。本題では敗れたからってこっちで優位を奪おうって魂胆かしら?

「君達は初々しい。見ていて幸せな気分になれるよ。こう見えて案外応援してるんだよ。私は恋する女の子の味方だからね」

 私達は、貴方のセロトニンを分泌するための要員じゃないわ。

「貴方こそどうなの?」

「私は元々結婚をしていたよ」

「元々、ということは今は?」

「ああ。捨てられてしまってな。離婚したよ」

 ……意外。

 美人だからって幸せな結婚を結べるわけでも無いのね。まあ、この男尊女卑の世界で騎士を続けているという事は、そういう事なんでしょうけど。

「貴方のような美人を捨てるなんて、よっぽど良い男なのね」

「……私は、どうやら子を成せない身体のようなんだ。もしかしたら祝福を酷使してしまったかもしれなくてね。結婚してからそれに気付いたよ」 

 マルティナは右へ視線を逸らす。どこか遠く、半月が照らす海を見つめている。

 ……そしてこれも、どす黒い文字は、描かれない。

 胸の奥がキュっと締め付けられる。別にそのくらい、嘘の方が良かったわ。

「元夫はそれでも良いと言ってくれたんだが、その義母がね。詐欺だの、役立たずだの散々言われたよ。元々、私の家庭に入らず騎士を続けたいという意向を疎んじているようだったからね。……結局彼は、私ではなく義母を選んだよ。大事な一人息子だったからね」

「まあ! 古い考えね。跡継ぎなんて養子で良いじゃない。そんなマザコン、離婚出来たのは寧ろラッキーね」

「はは! ライラ君は強いな」

 貼り付けたような笑顔の後に、自嘲混じりの浅い溜息。

「……だが、私にはどうしてもダメでね。もう誰かとそういった関係になる事は無い」

「まあいいんじゃない? 別に。男が幸せの全てでは無いわ。貴方は大切な騎士という仕事を続けられているんでしょう?」

「はは! そうだな」

 それでもマルティナは朗らかに笑うものの、その眉尻は少し下がる。

 ……本当に強い女性ね。

 一切の嘘を吐かず、初対面の人間にそこまで自己開示をするなんて。

 本当に、誰かさんにそっくりね。

 私はあの日の中庭に咲き誇るニワトコの蕾を思い出し、大きく溜息を吐く。

「貴方は今日、私の前で一度も嘘を吐かなかったわね」

「ああ。これから手を組もうという相手に対して、嘘は御法度だ。信頼関係を築けない」

「……貴方、良く参与騎士まで、しかも隼の騎士隊隊長まで上り詰めたわね」

「はは。部下に恵まれたんだ」

 論理では私の圧勝。

 このまま押し切れば、有利な条件を押し付けられるはず。第一功も私達の手柄。それは私達の目的成就への必至条件。

 ……頭では分かってる。

 でも、この尊敬すべし目の前の女性を思うがままに打ちのめすなんて、そんなのは私の美学に反するわ。

「気に入ったわ。傘下に入る事は出来ないけれど、今回に限り、共同戦線を張りましょう」

 私は立ち上がり、右手の掌を差し出す。

「五分のね」

「な、何で? その心変わりの理由が知りたい」

 マルティナは目を丸くして私を見上げる。

「哲学は、時に論理を超越するのよ」

「? 話が見えない」

「ふふ。こっちの話よ」

 するとマルティナは頭にクエスチョンマークを浮かべたまま、しかしホッとしたように席を立ち、私の右手を握ろうとする。私はその手を躱し、上へ掲げる。

「その代わり、私達の奥の手は秘密。同時攻撃は無しよ。協力するのは運搬だけ。本作戦に伴う第一功はハーフで分け合う。幼体との戦闘にも参加しない。良いわね?」

 このくらいの条件は付けさせてね。これは舌戦の勝者の特権よ。

「なんだ。あっさり認めるんだな」

 マルティナの目には再び熱が蘇る。

「私、嘘って嫌いなの」

 これも大切な、私の美学。

「はは! 随分と都合が良いものだ。……公文書偽造は内規違反、及び刑事罰に問われるものだ」

「そんなもの百も承知よ」

 私は振り上げた右の掌を戻す。この一連で察する事が出来たのは、マルティナは私が魔女である事を知らない。もしその手札を所持しているならば、脅すには至らなくとも、そのカードを仄めかすくらいはするはずだもの。ならば、この隼の騎士隊隊長様とは組む価値がある。

 ……グスタフ、貴方も最低限のマナーは有しているようね。

「明日の蛍火。楽しみにしてるわ」

 私達は固く握手。そして乾杯し、ボトルに残った白ワインを一気に飲み干す。

「あら、もう空っぽ?」

「はは! 良い飲みっぷりだ」

 マルティナは弾むような笑顔で、お代わりを注文する。

 こいつら、まだ居座る気かしら。

 私、今日勝負の日なのだけど。

「勝ったぞ!」

 視線の先、そこには鼻血を出したレイフがガッツポーズをして褒めて欲しそうに待っていた。そして地面には三人の大男達が、グロッキーにダウンしている。

 良くやったわ、レイフ。

「ふふ。流石私のワンちゃんね」

 可愛い笑顔。

 頭を撫でて、ハンカチで彼の鼻血を拭いてあげる。

 あまりの可愛さについキスをしそうになるけれど、私が嚙み切った唇の傷跡を見てなんとか押し留まる。

「なんだ。お前達、三人もいて負けたのか」

 マルティナは呆れた声で、男達を慰める。

「すいやせん。……やっぱり主席は伊達じゃねぇ。……強ぇっす」

 するとイェルドは何とか上半身だけを起き上がらせる。

「レイフ! 次は酒だ! 酒で勝負だ!」

「上等だ!」

 アドレナリンが出まくっているレイフは、鼻息荒く売り言葉に買い言葉。

 ……いや、貴方下戸じゃない。

 私の初夜は、またしても先送りになりそうね。悶々とした私の疼きは、夜風に吹かれ霧散した。

 そしてさっきまで本気の殴り合いに興じていた四人の男達は、一転仲良さそうに酒を酌み交わす。男って本当に馬鹿よね。

 酔い潰れたレイフを肴に、マルティナだけが最後まで私の愚痴に付き合ってくれた。

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