第11話

 時刻は夜の九時を回り、街灯の明りが照らす道を、知聖と二人肩を並べて歩いていた。

 健達はゲームで盛り上がり、日がとっぷり沈むまでずっとゲームをし、結局知聖は先日と同様に夜ご飯まで一緒に食べることになった。


「ごめんなさいね、また夜ご飯までごちそうになっちゃって……」


 知聖は申し訳なさそうな表情で、健を横目で見ながらそう言った。


「あはは、一回勝ったら終わるって言ってたのに、なかなか勝てなかったもんね?」


 健の言葉に知聖はムスッとした表情になる。


「今までゲームをやってこなかったのだから仕方ないでしょう。次はもっと戦えるようになるわ」知聖は怒ったようにそう言った後、じとーっと健を睨みつける。「というか健、あなた強すぎよ……麻由ちゃんでも相手になっていなかったじゃない」


「あはは、麻由はゲーム好きなだけで、そんなに上手くはないからなぁ。知聖さんも二回目にしては上手かったし、そのうち麻由になら勝てるようになると思うよ」


 麻由はどんなゲームでも基本力任せのゴリ押しなのだ。対して知聖は少しずつだが、負けた理由を理屈立てて考え、対策しようとしてるように見えた。きっと、練習をしていけば上手くなるタイプだろう。

 健は軽く笑った後、知聖に笑いかける。


「ま、遅くなったことは気にしないでよ。麻由も父さんも賑やかなの好きだから、むしろ喜んでるし。……それに、俺も楽しかったし」


 すると知聖は驚いたようにビクッと体を揺らし、人差し指に髪をくるくると巻き付けていじりながら「だったら、いいのだけれどね……」と顔を逸らしながら言った。

 照れたようにムスッとそう言った彼女は、滅茶苦茶かわいかった。


 彼女のことをニコニコと見つめていると、知聖はそのことに気付いたのか、急に早足になり、後姿しか見えなくなってしまった。

 

 知聖のマンションに着くと、健は相変わらず存在感のあるタワーマンションに健は感嘆の声をあげる。知聖は改めて自分とは住んでいる世界が違うと実感してしまう。


「知聖さんはなんでウチなんかに食べに来てくれたの?」


 思わず口をついて出た健の問いに、知聖は何を質問されているのか分からない、といったように眉をひそめた。健は慌てて質問の補足をする。


「あ、いや、ごめんなんでもないんだ。ただ、うちの店って庶民派というか……知聖さんみたいなお金持ちが食べに来るような場所じゃないなって思って」


 知聖は「なんだそんなこと」と言って、健の問いに答える。「私の家も、昔からお金があったわけじゃないわ。小学生の頃は古くて狭いアパートに住んでいたし、明日食べるものも心配してたほどよ。」


「え!?」


 健は思わず大きな声で驚いてしまった。

 全身ブランド物に身を包み、贅の限りを尽くしているように見える知聖が、昔は貧乏だったなど信じられない…というか全く想像もつかなかった。

 知聖は驚く健の顔を見て、クスリと笑って話を続ける。


「でも、だからといって嫌な思い出という訳ではないわ。その分両親が家にいることが多かったし、今よりずっと…幸せ…? うーん、違うわね……言葉は難しいけれど、とても温かい家族だったのよ。」


 知聖は昔を懐かしむようにそういった。暗くて彼女の表情は良く見えないが、きっと優しい表情をしているのだろうことがその口調から伺えた。


「だからと言っては何だけど、塩野食堂の生姜焼き定食には助けられたものだわ。お小遣いを溜めては、よく食べに行っていたのよ」

「ああ~、確かにうちの店でも一番安かったからね。確か三百円位だっけ?」

「税込み二百八十円よ」


 当時の価格なこともあり、今聞くと価格破壊も甚だしい。確か牛丼も一杯二百三十円位で食べれていた時代だ。婆ちゃんも価格競争で苦労したことだろう。


「そう考えるとすごい時代よね。今なんてお弁当買うだけで5千円近くするもの」

「いや流石にそこまでインフレしてないよ! どこの高級店の弁当だよ」


 そんな当時は良かったわーみたいな顔されても、住む世界が違いすぎて全く共感できない。


「まぁ、そんな風に安くて美味しい塩野食堂の生姜焼きに惚れ込んでた私は、誕生日に両親に何が食べたいか聞かれて、塩野食堂!って言って二人を連れていったこともあるのよ」

「……へぇ」

「ふふふ、その時店主……健のお婆ちゃんは私をお得意さんのように扱ってくれてね、私はここのお得意さんなのよって両親に自慢したのを覚えてるわ。それでね、私は生姜焼き定食をお勧めしたのだけれど、結局お母さんは麻婆豆腐で、お父さんは唐揚げ定食……二人とも私のおすすめを聞いてくれなかったのよ? ひどいでしょう? だから健のおばあちゃんに小鉢で生姜焼きももってきてもらうよう頼んでね……」

 よほど楽しい思い出だったのだろう。その後も知聖は、楽しそうに両親との思い出話に花を咲かせた。


 健は適当な相槌を打ちながらその話を聞いて、胸の奥がじわりと温かくなるような感覚を覚えた。

 健は小さいことから塩野食堂で懸命に働く婆ちゃんの後姿を見てきた。玉汗を掻きながら鍋を振る姿も、売り上げを見て頭を抱えている姿も、当時小学生ながらになぜそんなに頑張るのだろうかと疑問も感じつつ見ていた。


 その婆ちゃんが苦労して作り上げた店で、知聖の様にかけがえのない思い出を作ってくれているお客さんがいたのだ。

 きっと婆ちゃんは、このために頑張っていたのかもしれない。

 そんなことを考えながら、知聖の話を聞いていると、突如後ろから声が聞こえてくる。


「知聖?」


 妙齢の女性の声だった。

 振り返ると、眼鏡をかけたビジネススーツ姿の女性が立っていた。顔立ちは知聖によく似ており美人ではあるが、知聖以上の鋭い目つきで、如何にもキャリアウーマンといった風貌だ。


「お…お母さん…。」


 顔立ちから予想はしていたが、やはり知聖の母親であるようだった。

 知聖は先ほどまでの楽しそうな様子は消え失せ、俯いて肩を窄めて縮こまる。


「随分遅いのね、いつもこんな時間に帰ってるの?」

「…私もう大学生よ?  友達と遊んでいて遅くなることだってあるわ。」

「…友達?」


 そこで初めて知聖の母の目が健に向いた。


 その瞬間背筋に寒気が走った。その突き刺すよな視線は、好意的なものではないのは明らかで、健を頭からつま先まで値踏みでもするかのように見てくる。


 本来なら名乗るべきなのだろうが、あまりの迫力に圧倒され、健の頭は真っ白になった。

 知聖は健の様子に気付いたのか、母との間に割って入り、代わりに紹介してくれる。


「そう、同じ大学でね、健っていうの。 というか、そういうお母さんは今日は早いのね。いつもは日を跨ぐじゃない?」


 少し嫌味な言い方をする知聖に、知聖の母はため息をついて呆れたように言い返す。


「知聖、私はね、あなたのために働いてるのよ?」

「……」

「なのにあなたは、こんな夜遅くまで異性と遊んでるなんて、気楽なものね?」


 知聖は俯き、口を引き結んだまま何も答えない。

 たった二言三言の会話を聞いただけで、親子関係が良好ではないのがよくわかるような会話だった。

 知聖のお母さんは厳しい人で、おそらく男性である自分と遅くまで一緒にいたのが気に入らないのだろう。そう思った健は勇気を振り絞って口を挟む。


「す、すみません、こんな時間になったのは自分のせいです。課題を手伝ってもらってたんですが、自分が遅くて……」


 口から出まかせだ。学校の課題で遅くなったことにすれば、溜飲も下がるかと考えたのだが、知聖の母の鋭い眼光は衰えることなくそのまま健に向けられる。


「あなた、ご両親は何をしているの?」


 またあの目だ。値踏みされているような視線。健は背中に嫌な汗を掻きながら答える。


「ふ、普通に、サラリーマン…ですが」


 健の言葉に、知聖の母の眉がピクリと動く。そして「ふぅん…」と納得するかのように頷きながら、目を細めて健の身なりを舐めるように見てくる。

 すると、知聖がうんざりしたような口調で口を開く。


「お母さん! そういうのやめてって言ってるじゃない!」

「あのね知聖、付き合う友達も選ばないと……」


 知聖は母の言葉を遮るように腕を取り、マンションの方向へとぐいぐいと引っ張っていく。


「ごめんなさいね、健。また、学校でね」


 知聖はそう言って、「ちょ…待ちなさい知聖!」と言って抵抗する母を、無理やりマンションの中へと引っぱっていった。

 健は軽く頭下げて、そんな二人を茫然と見送った。




 次の日の昼食時、知聖に会って早々頭を下げられた。


「ごめんなさい! 昨日は母が失礼な事…!」


 健は手を振って答える。


「いや、大丈夫大丈夫、本当に気にしてないから」健はそう言った後、知聖にお弁当を渡しつつ、言葉を続ける。「俺の方こそごめん……、俺、知聖さんのお母さんからはあまり良いようには見られてなかったよね?」


 自分がもし八坂先輩のような人間だったら、知聖のお母さんからあんな視線をもらうようなことはなかったはずだ。そう思うとふがいない。

 健の言葉に知聖は首を横に振り、重ねて謝ってくる。


「いいえ、こっちが全部悪かったの。本当にごめんなさい……お母さんは、見た目……というか身なりとかで人を判断するところがあって……。」


 あの値踏みされるような視線は気のせいではなかったようだ。安物の服ばかり着ている健ではさぞ心証が悪かったことだろう。

 健は、知聖のお母さんの姿を思い起こしながら答える。


「ううん、本当に気にしないで。ただ、知聖さんが話していたお母さんのイメージと大分違ったから驚いたけどね。」


 知聖の母に声をかけられる前、知聖が楽しそうに語っていた誕生日会の話では、彼女の両親のイメージはもっと温和な家庭である印象を受けていた。

 知聖は健の言葉に眉間にしわを寄せ、俯いた。


「お母さんも昔はあんな風じゃなかったの。私が中学生に上がる前くらいに、お父さんとお母さんが起業して、お金に余裕が生まれるのと比例して、家族と話す時間が減っていっちゃってね。昨日話した塩野食堂での食事……結局、あれが家族揃って食べた最後の食事になっちゃったのよ。今ではお母さんが何を考えているかも私にはわからないわ……」


 知聖はそう寂しげにつぶやいた。

 知聖は、塩野食堂での誕生日会を両親が何を頼んだかまで鮮明に覚えていた。普通記憶は、何度も同じことがある度に曖昧になっていくものだ。現に健は、小学生の時家族で行った外食で父と妹が何を頼んでいたのかなんて全く覚えていない。

 しかし知聖にとってはそれが最後の記憶であるため、そのたった一回の思い出を、大切に大切に胸の奥にしまい込み、上書きされることなく強く記憶に残っていたのだろう。


「……そっか、それでウチの生姜焼きをもう一度食べたい、って思ってくれてたんだね」


 健の言葉に、知聖は顔をあげて一瞬ハッとしたような顔をした後、眉間にしわを寄せて考え込むように顎に手を当てる。


「自分でも分からないけれど……言われてみれば、そうなのかも知れないわね」


 きっと知聖は、楽しかった思い出とともに残っている生姜焼きの味を、もう一度食べたいと考えていたのだ。

 健は目を閉じ、婆ちゃんが口癖を思い出す。


『家族が同じ釜の飯を食う、それが一番の贅沢。今も昔もそれは変わらん。』


 小さいころは、全員揃わないと食べることできない唯々面倒くさいだけのルールと思っていた。

 しかし、最近朝食時に明莉がこなくなったことや、今知聖の話を聞いて、その言葉がいかに大事な事かを実感した。


 家族での食事は、コミュニケーションの場なのだ。

 先輩や上司など立場が上の人と話す時のように気を使う必要もなく、友達と話す時のように話のオチを気にする必要もなく、誰かに言いふらされたら困る等と心配する必要もない。絶対的な味方である家族に愚痴や嫌なことを相談することで安心感を得たり、その日あった他愛のない話を共有することでお互いの状況を知ることができる。


 時には喧嘩のようにお互いの考えをぶつけあったりもするだろうが、それも互いの考えを知るためには必要な事。もし家族での食事の時間がなくなれば、コミュニケーションが取れず、一番距離の近い存在であるにもかかわらず、お互いに何を考えているのか分からなくなってしまうのだ。


 今、知聖にとって必要なのは、そういった家族の時間だ。


「よし!!」


 健は頭の中で閃いたことがあり、大きな声を出して立ち上がった。

 そして、いきなり大声をあげた健を目を丸くして見ている知聖に質問する。


「ねぇ、知聖さんの誕生日っていつかな?」

「え? 十二月三日だけれど……」

「え!? 近っ!?」


 健はスマホでカレンダーを確認する。今日は十一月三十日であるため、知聖の誕生日は今週の日曜日ということだ。

 いきなり出ばなをくじかれ、健は頭を抱える。流石に数日では健の計画の準備が間に合わない。

 最悪、誕生日でなくてもいいか……と考えていると、知聖がどうでもよさそうに言葉を続ける。


「そういえばそうね。誕生日なんて毎年特に平日と変わらないから、すっかり忘れていたわ」


 誕生日に計画を実行することを諦めかけていた健だったが、知聖のその言葉に覚悟を決めた。

 健は、知聖に笑いかける。

「知聖さん、急で申し訳ないけど、誕生日にご両親と一緒にウチに来れないかな? 塩野食堂を、一日限定で開店するから!」


 開店する準備期間が短いという不安よりも、知聖の力になってあげたいという気持ちが勝ったのだ。

 知聖にはもう一度、塩野食堂で忘れられない思い出を作ってもらう。健はそう心に決めた。

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