死に至る花の病

水鳴諒

第1話


 姉が死んだ。


 私の姉は、長らく『花現病』と俗に言われる病いで隔離されていた。


私とは一歳違いの姉である茨木は、高校一年生の頃には、既に実家の離れで暮らしていた。私は接触を禁じられたが、元々別行動が多かったので、特別な寂しさは抱かなかった。隔離以前に私達が一緒に行動していたのは、月に一度ほどで、それは習い事の時だった。私達姉弟は、華道を習っていた。先生は、神門絢瀬と言った。絢瀬先生は、当時二十代後半で、私達が中学三年生の時に、不慮の事故で亡くなった。以降、私達に共通していた習い事は消失したし、その後すぐに姉は発病した。


 ただ、本来花現病は、死に至る病いではない。


 世間では幻の奇病と言われ、存在すら疑問視される事も多いのだが、平安より連なる、私と姉が生まれた華頂かちょう家では、時折罹患者が現れていたので、別段珍しくはなかった。華頂家の場合は、花現病の亜種が遺伝病としてあるようで、きっかけはまだ判明していないのだが、発病すると、怪我をした際に出る血液が、花びらに変化する。不思議なもので、吐血や喀血、鼻血の場合は花にならない。刺し傷や擦り傷、切り傷といった、皮膚が傷ついて血が零れた場合のみ、それが花びらになる。ただごくまれに、非常に重篤な場合、内臓から出血したものが、体内で花びらとなり、全身の皮膚の内側が花びらで埋め尽くされて、死に至る事があるそうだ。私の姉の場合は、まさにその症状だった。だが大半の場合、記録に残っている限り、花現病になっても死ぬ事は無いという。ただ――自然治癒した例は、とても少ないそうだ。


 病気になる理由が分からないから、私も感染したら困るとして、私は姉から隔離された。とはいえ、正直楽観視していた。死ぬわけがないと、私だけでなく家族や、使用人と言った周囲も思っていた。


 そのため姉は、次期当主として、専門の教育を受けていた。これもまた、元々別行動をしていた理由だ。私には当主教育は無かったので、私は普通に義務教育を経て、高校から医大へと進学し、現在は大学病院の医局に勤務している。どちらかといえば、私は科学的なものを好むし、日常的に白衣を纏って、薬品の香りを嗅いでいる。


 しかしながら私の実家は、元々が陰陽寮に属する陰陽師に連なる家系だったとの事で、姉はその家柄の次期当主であるからと、陰陽道を父から習って暮らしていた。表向きは病弱だとして、学校にも通っていなかった。籍だけはあったので、高校も通信制の学校を卒業だけはしていたが。姉はどこか浮世離れした性格でもあった。私とは異なり、夢見がちな部分もあった。それが、私の知る、姉・茨木だ。


 この現代において、陰陽道なんて、非科学的だと私は感じる。

 そんな事を考えつつ、私は結婚のニュースが、医局のテレビから流れてくるのを、プラスティックのカップに入れたコーヒーを飲みながら見ていた。政治家と旧華族の結婚という話題であり、その一方の華族――それこそが華頂家であり、これは私自身のニュースである。世間はこれが、陰陽道が理由による政略的な結婚だとは知らない。


 さて、その相手の政治家であるが、若手の実力派で、私より二歳年上なだけだというのに、既に国政の場において、大きな存在感を持っている人物だ。


 蘆屋隆史さん、三十二歳。

 現在三十歳の私は、幼少時より彼を知っていた。私達姉弟と共に、華道を一緒に習っていたから――という理由だけではない。彼は、茨木の婚約者だった。姉が亡くなったため、私と結婚する事になったのである。元々、姉が三十歳になったら結婚する予定で、許婚関係は公表されていなかったので、世間は隆史さんと姉が婚約していた事は知らない。


 蘆屋家もまた、陰陽道の家系である。だが、没落しかかっている旧華族の華頂家とは異なり、蘆屋家は資産家でもあり、政治家も多数輩出している。ただ、個人的に陰陽道の仕事を引き受ける事は多いらしい。今もなお、華頂家とは異なり、非常に強い陰陽道の力を持つそうだ。私は元々陰陽道の知識がないし、花現病より余程そちらに懐疑的であるから、事実か否かは知らないが。


 けれど――私は、結婚を二つ返事で承諾した。


 実を言えば私は幼少時に、隆史さんに初恋をした。一緒に華道を学ぶ月に一度の習い事の日は、私にとって本当に大切だった。その後、絢瀬先生と茨木と、四人で雑談をしたり、お菓子を食べたり、遊んだり、そんな時間がどうしようもなく好きだった。隆史さんを目にすると私の胸は高鳴ったし、時に切なく疼いた。理由は無論、隆史さんの結婚相手が姉であり、私の恋は叶わないと知っていたからである。正直、茨木が羨ましくてたまらなかった。一年先に生まれたという理由だけで、隆史さんと結婚できる姉が、すごく羨ましかった。


 でも、だからと言って、死んでほしかったわけじゃない。


 私は相応に、姉が好きだった。隆史さんだって、茨木を好きだったと思う。二人は仲睦まじかったのだから。隆史さんはいつも愛犬の賢ケンを伴っているのだが、二人と一匹が散歩をしている姿を、私は帰省した時に、遠くから何度か見かけた。隆史さんは華頂の人間ではないから、罹患可能性も低いとして、姉と頻繁に会っていたようだ。私は医学部進学後は一人暮らしをしていたから、詳しくは知らないのだが。


「おめでとうございます!」


 同僚にかけられた声で、私は我に返った。視線を向け、小さく頷く。


「ありがとうございます」

「華頂先生が退職なさるのは、寂しいですが……お幸せに!」


 ゆっくりと瞬きをし、私は微苦笑した。医局の出世争いは激しいから、本当は私の退職をこの同僚が喜んでいる事も知っている。それ以外にも、容姿端麗で資産家の高名な政治家との婚姻を羨んでいる同僚もいる。時に嫌味を投げかけられた。だが、私は何も言わず、白衣のポケットに突っ込んだ両手を握って、聞き流した。


 なにせ私は、隆史さんとの結婚を、誰よりも喜んでいる。

 それは――姉の死を喜ぶに等しい。

 遣る瀬無さと罪悪感が綯い交ぜになった胸中でいると、私は寧ろ、周囲の棘がある反応を、心地良く思ってしまう。私は、攻撃されて当然の考えを、抱いている最低な人間だと、己を考察しているからだ。


 私は左手に輝く婚約指輪を見る。ダイヤの煌めきに、苦しくなった。

 こうして私は、医局に勤務する最終日を終えた。



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