④十四と天使様

「生まれた時から私は天使でした」


 一般国道299号の道沿いは車幅が広いが交通量はそこまで多くはない。この道を通る者は飯能市に在住している者か、その先の田舎町へ向かう者だけだ。顔を見上げれば山に囲まれている。春の山は賑やかな色ばかりだが、夕日に包まれて一色に統一されている。コンビニから目的もなく歩きながら十四は話を続けた。


「両親も信者も私のことは十四ではなく天使として扱っていました。娘である私を御神体の使いとして崇拝し、畏れ多くて目を合わせることすらしない。ずっと娘の私に頭を垂れている。そんな御神体の使いである私は聞こえもしない神のお告げとやらを伝えるため嘘八百を並べています。おままごとの延長線みたいなことをしているんです」


 歩道と車道の境界線ブロックの上を歩く十四は両手でバランスを取っている。背中は猫背になって姿勢が良いとは言えない。


「『天野道ノてんのみちのかみ』って観測者であるカレンさんならご存知では?」

「ほどほどには」

「各国の災害復興に多額の寄付をしたり貧困層に食糧面で支援したりする側面、スラム街に出入りして人攫いや薬品の人体実験など人道を外れたことをしているなんて悪い話も耳にしているんじゃないかと思います」

「噂はかねがね」


 当時の観測者仲間から天野道ノ神の観測記録も共有されている。任意宗教団体『天野道ノ神』。彼らをここで多く語るつもりはないが、正義か悪かで片付ければ後者だった。そう当時の観測者は判断した。


「優しいんですねカレンさんは」

「何も言ってないでしょうに」

「何も言わないから、ですよ」


 境界線ブロックの終着点で十四は足を止めた。ここから先はガードレールに整備され、さすがにガードレールの上を歩くほどチャレンジャーではないため、仕方がなく私の隣に移動する。


「私は肉まんを四等分するどころか誰かとシェアしたこともありません。足りなければ買うだけですから」


 細い指で太ったハートを作って私に見せた。肉まんのつもりなんだろう。


「なにせ大きな宗教一派ですから派生も相当数あるのです。大木の根っこのように。信者も数十万、もしかしたら数百万を超えてるかもしれない。ゆえに綺麗だろうが汚いだろうがお金には困りませんでした」


 かかとを軸にくるっと回りスカートを翻す。私に見えるよう腰を低くして天使の輪っかを指さした。


「見てよコレ、蛍光灯だよ。御神体の使い、天の使い、天使。天使だから天使の輪っか。そんな安直な考えでこんなもの作っちゃうとか笑っちゃうでしょ。あの人たちは執拗に天使にこだわっているんだよ。なにかに憑りつかれたみたいにさ。ホント笑っちゃうよ」


 そう言って十四はほがらかに笑う。私の好きな笑顔だった。普段からそんな風に笑えばいいのにと思うが、今の話からどうしたらそんな表情ができるのか私は理解に苦しんだ。


 そんな十四を見ていると不安になってくる。そういう人間を何人も観測したことがあるからだ。例えば天使のような可愛らしい容姿をもつ小さな女の子が、その恵まれた容姿は金になると踏んだ両親によって売り物として世に出され、女の子は傀儡のように働き、偽物の笑顔を振りまいて金貨を稼ぎ、金目にくらんだ両親はついに娘自身を売り物として売却した。その娘は買い主に引き渡される前日、牢獄のような織の中で観測者である私にこう言った。


『もし生まれ変われるとしたら普通の家で、普通の容姿で、普通に暮らしたいなぁ』


 娘は次の日、自らの首を鋭利な刃物で刺して命を絶った。


 十四とその娘は同じ境遇ではないとしても、そういった最悪な結末に転落する危うさを感じる。そこで初めて私が十四に執着する理由が分かった。似ているのだ、その娘と十四が。今度こそは手を差し伸べて救うことができるかもしれない、と心のどこかで思っているのかもしれない。


 だけど天野十四は違った。その娘とは根本的なところで違っていた。


「でもね、嫌じゃないんだ」


 腕を伸ばしながらリラックスした声でそんな風に言ってのける十四に、思わず「え?」と声に出してしまう。


「私はいつか、このくそったれな実家を乗っ取ってやるんだ」

「それはずいぶんと大きな野望だね。どうしてだい?」

「カレンさんほどじゃないけど父と母に連れられて世界中をたっくさん見てきたの」


 十四は夕陽に手を添えながら指の隙間から漏れる眩しさに目を細めている。その横顔を私は静かに見つめていた。


「人の幸せのために尽力している国。人と人が助け合う素敵な町。笑顔の花がいっぱい咲いている地域。そんな世界の裏側にはいつだって泣いている人がいるんだよ。路地裏で野良猫のように彷徨い、手を差し伸べても払いのけられる。信じられるのは自分自身だけ。ボロボロの服で傷だらけの身体で衰弱していく。そんな日陰を私は見てきた」

「うん」

「私はねカレンさん、いつしか実家を乗っ取ってこの権力を行使して陽の当たらない地域に眩しい陽の光を届けるんだ。表立たなくてもいい。ヒーローになりたいわけじゃない。世界中を本物の幸せにする。本当の天使様になってやるんだ。そのためだったら私はこんな道化師みたいな格好だってしてやるんだ」


 夢みる少女が思い描く未来を語るときのように、楽しそうに壮大な夢を口にする。正義感あふれる小学生のような夢だが彼女の目は本気だった。光が宿るその瞳にはどんな光景が映っているのだろうか。


「どうしてこんな話を私に?」

「なんでだろう?」

「いやいや、なんでだろうって……」


 特別に深い理由は無いだろう。単なる気まぐれで自分を語りたいときだってある。


「多分だけど知ってほしかったからだと思う。私はすごいってことを。ただちやほやされている小娘じゃないってことを。ずっと生き続ける観測者のアナタに。誰にも言えない私の頑張りを知ってほしかった」


 十四は小石を蹴りながら歩いているが、その足は徐々に弱くなっていく。小石を蹴っても数十センチしか飛んでいない。


「だけど、だけどね、天使様であることに疲れちゃうときがあるんだよ。たまに全てを投げ出したいと思ってしまうことがあるんだよ。私は人間だもの。16歳の女の子だもの。普通の恰好をして普通に友達がいて普通の家族がいる。それがとても羨ましく思ってしまうときがあるんだよ。それでも私は頑張ってる。美しく汚らしく頑張っているんだよ」


 大きく引いた右足で小石を蹴り上げた。地上すれすれを猛スピードで移動し、道を外れ、隣の田んぼにポチャと小さな音を立てた。


「すこしの愚痴ぐらい神さまだって赦してくれるよね?」


 頑張り続けられる人なんていない。好きな事や好きな物で疲弊していく心身を癒やして元気になったらまた頑張っていく。あくまで理想的な話だ。そのスパイラルを維持できる人こそこの世界を背負って立つ人だ。


「それなら」

「へ?」

「えい」


 ぽーんっ。感傷に浸る十四の背中を押すと、バランスを崩した彼女は小石が落ちた田んぼに向かってよろめく。


「へ、ちょ、ちょ、ちょっっと!!?」


 手をブンブン振っても重力には逆らえない。落ちまいと必死な顔であらがう十四を、私は火曜サスペンス劇場の犯人になった気分で嘲笑っていた。そのとき天使の顔が一瞬、悪魔に変わったのを私は見逃さなかった。


 どぷんっ。と顔面から田んぼへ落ちていった。十四の美しい金髪も、新品の制服も泥だらけ。頭から爪先まで泥まみれ。全身泥まみれになるなんて子供かお笑い芸人か、それとも美容意識の高い人くらいだろう。全身泥まみれになる経験をせずに死にゆく者も大勢いる。貴重な経験だ。そんな嬉しくない経験をした十四は、怒りよりも自分の置かれた状況が理解できずに田んぼに浸りながら座り込んで呆然としていた。


 その隙を狙って私も「とぉう」とウルト◯マンのような掛け声とともに十四の隣にダイブした。泥を飛び散らせて十四に追撃を喰らわす。そこでようやく十四は「ハッ」と我に返る。


「な、なな何してるし何すんの!? 私を田んぼに落としてイジメられたと思いきや自分も落ちるなんて意図が分からないよ! 心理学者も三日三晩寝れないくらい難問だよ! 田んぼで暮らすカエルもドン引きだよっ!」

「怒涛のツッコミ天野十四」

「某学苑のCMみたいに言わないでくれる!?」

「それに某チューチューバーがこんなこと言ってたんだよ。『ひとりならイジメ、ふたりならエンタメ』ってね」

「それで正当化できると思ってる!?」


 ゼェハァと呼吸を整える十四に、私は彼女の天使の輪っかもどきに視線を向けた。


「天使の輪っか、泥まみれだね」

「全身泥まみれなんだが?」

「あんなに綺麗だったのに泥まみれで汚れてる。これじゃあ堕天使だね」

「いったい誰のせいだと……っ」


 沼底から手を引き抜いて十四の肩に添え、 少しずつ彼女を押し倒すように体重を移動させていく。反射的にわが身を引かせる十四に、私はパーソナルスペースを取っ払って身体を寄せつける。冷たい泥を打ち消すように彼女の体温が私に伝わってくる。田んぼで泥まみれの女子高校生が絡み合うなんて一部界隈で盛り上がりそうなシチュエーションだ。


「えっとカレンさん、その、私はこれから、ナニされるのかしら」


 髪をすくい上げた右手はしだいに彼女のうなじに触れ、首筋を舐めるようになぞる。こそばゆさに可愛い反応をみせる十四の耳元で私は囁いた。


「墜天してしまったのなら浄化させなきゃ」

「そ、そそそれ、エロ同人で見たことあるセリフぅ!!」

「……」


 すでに取り返しのつかないところまで墜天していたとは。若干ドン引きしてしまった私がいた。

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