⑩小さな科学者と惚れ薬

「なんだ、まちこは知っていたのか」

「入学説明会の際に校長先生がお話されていましたので」

「あの過保護め、余計なことを」


 人類には寿命がある。生存していくための知恵や文明を発展させるためにはそれを後世へ伝える必要があった。コンピュータも紙も存在しない時代。文字というものを覚え始めた頃の未熟な人類には、後世へ引き継ぐ手段も方法も分からず、文明の発展など乏しく衰退していくばかりだった。


「この世界を創造した神様がこの地球に使者を放ち、その使者たちはこの世界のあらゆる出来事を記録して次の世代へと引き継ぐ役割を担っていた。それが”観測者”」


 きっと入学説明会の話を覚えていたのだろう。まるで教科書を読んでいるみたいにまちこは喋る。


「正直今でも吞み込めてません。御伽噺のようなお話ですが本当なのですね。カレンさんは本当に何百年、何千年と生きているんですね」

「私は”元”観測者だよ。すでに観測者という役割はこの世界から失われている。天啓だって聞くこともできない。当時、数百人もいた仲間だって今では誰一人もいない。私は死に場所を失ったゾンビなのさ。この命が尽きる瞬間を数千年も待ち望んでいる」


 まちこの握力が一瞬強くなる。すこし表現を誤ったかな。


「私は歳をとらないし身体もこのまま。おっぱいだってDカップのままさ。ずっとこの学校で留年し続けてずっと学生寮に住み続ける。そんな異端児な私と友達になりたいヒトなんていないし、不気味がられて避けられる。なによりも私は、私より先に亡くなる友達の死に顔を見るのは嫌なんだよ」


 愚痴っぽく話してしまうが、そうやって話すことでしか私は私を語れない。


「私はこう見えても寂しがり屋なんだよ。一緒に老いることができず、ひとりだけ時間が止まったまま取り残されて、みんなの背中を見続けるのはつらいんだ。私は観測者らしく一歩後ろでみんなを観察しているのが好きなんだよ。干渉しすぎないように程よい距離感を保って観察する。ゆえに私は知り合いは多いけれど友達はいないんだ。そういう関係は作らないつもり。そうやって生きてきた。そしてこれからもそうやって生きていくつもりだよ」


 遠回しの冷めきった最低の告白。まちこにとって告白する前に振られたみたいなものだ。


「寂しくはないのですか?」

「寂しいさ。それでも私はずっとひとりでいるべきなんだよ。私は孤独に愛されてしまったみたいなんだ」


 それが本心なのか嘘なのか自分でも分からない。そこまで深く考えてこなかった末路がこれだ。ただ一つ分かることは私と一緒にいるとまちこは悲しい思いをする。


「カレンさんはお友達を作りたくないのですね」


 そう言ったあとまちこは布団から起き上がり、私の手を解いて去ってしまった。呆れられてしまったのだろうか。それとも友達になれない私は用済みってことなのだろうか。ちょびっと胸が痛くなる。そう思ったが彼女は白色のチョークを手にして落書きされた黒板の空いたスペースに文字を書き始めた。


「何してるの?」


 背伸びをしていて下半身がプルプル震えている。腕いっぱいに伸ばして書く字は、目を細めてようやく認識できるくらい小さい。


「私は大人の方ばかりと接してきたので歳の近い方との接し方がいまいち分かりません。失礼な態度や言動をとってしまうかもしれません。それでも今日、カレンさんと一緒に過ごして楽しかった。とても楽しかったんです。気を遣わずにありのままの私でいられました。明日からもカレンさんと思い出を作りたい。惚れクスリだけの関係で終わるなんて寂しすぎます。もっとアナタと青春がしてみたい」


 一文字書くたびに二つ結びの黒髪が左右に揺れる。震える手で書き綴る文字は微かに歪んでいた。


「だけどアナタは友達を作らないと言いました。私から言わせればそれは友達の良さを知らないからです。お互いに何ひとつ知らないんです」

「それは否定できないけど」

「さっき色々と語っていましたが、友達がいたことのないカレンさんの想像に過ぎないでしょう」

「お、言葉の刃が鋭いぞぉ」

「だから私からカレンさんにコレを提案させていただきます」


 心地よいチョークの音は、カッ、と叩きつけるようにしてピリオドを打つ。目を細めないと見えないくらい小さい短文が書かれている。どこか緊張を感じさせるような空気感を取り巻くそれは、ドラマや映画でみたプロポーズのワンシーンに似ていた。


『私とお友達(仮)になってくれませんか?』


 今まで観測してきたどんなに美しい景色や胸打たれる芸術作品よりも、その可愛い丸文字で描かれた一文は私の心を鷲掴みにした。


「(仮)からでもいいので私と友達を始めてみませんか?」


 その黒板の白文字をみて私は胸が急に苦しくなる。感じたことのない心地よい苦しさだった。私は湖畔まちこを侮っていた。彼女は脆くなんてない。弱くもない。


「まちこは……立派な女児だよ」

「女子高校生ですがぁ?」

「でも私は、私は」


 普通じゃない。そもそもヒトと呼んで良いのかも分からない。自分自身の存在が分からなくなっている。そんな存在理由が不明な私を求めてくるまちこに戸惑ってしまった。歳を重ねると感情のままに首を縦に振ることができなくなる。考えてしまうのだ、この先のことを。


「ごめん」


 逃げ出そうと動き出した途端、私の腕をまちこが掴んでくる。両手に持ちかえられて振り払うこともできないほど強く拘束されてしまう。


「そうやってまた近づいてくるくせに自分から距離を置くのですか。人と関わりたいくせに理由をつけて離れるのですか。そんなのは臆病者だ!」

「そうさ私は臆病者だよ。だから都合が悪くなれば逃げるのさ」

「肯定するな捻くれ者!」

「どうとでも呼べばいいさ。私はこういうやつなんだよ。これ以上、私といても時間の無駄だよ。まちこの求める関係にはなれない。だからここいらでリセットしようよ」

「そんな寂しいこと言わないでください。出会いは最悪だったとしてもこうしてあなたと出会えたことに感謝しているんです。それを無かったことにするようなこと言わないでください」


 何度も手を引いてもビクともしない。私を剝がしたければ力ずくで殴る蹴るなりしてください、といった覚悟すら感じる。さすがにそんなことはしないが、戸惑いのなかに一つの疑問が浮かぶ。


「どうしてそこまで私に執着するの? たった数時間だけ一緒に過ごしただけなのに」

「充分ですよ。そのたった数時間で私はあなたのこともっともっと知りたいと思いました。もっとあなたの身体に、心に、触れたいと思いました」


 腕から首筋まで指でなぞり、頬に手のひらを当ててくる。さっきまで火元の近くで作業していたからほんのり温かさが残っている。


「あなたはあなたが思っている以上に素敵な方です。だから自分自身をそんなに卑下しないでください。そんなカレンさんのことが私は好きなったんです」

「まちこから愛の告白を受けるなんて照れちゃうな~」

「それですね、これは一種の愛の告白です」


 適当にあしらっても丁寧に拾って私に返してくる。目を背けることも逃げることも許されない。真っ直ぐな瞳で私を捉える。重たい愛の圧を感じる。


「私に歩幅を合わせて歩いてくれるカレンさんが好きです。私の心情を読み取って気にかけてくれるカレンさんが好きです。冗談を言って場を和ませてくれるカレンさんが、私を肯定してくれるカレンさんが今日一緒に過ごして好きになったんです。あなたの冷たい言動はすべて私のことを想ってのことでしょう」

「……っ」


 肉食女子のようにずいずいと迫ってくる。壁まで追いやられた私の手首を手錠をかけるように握り、ぐいっと顔を寄せてくる。顔を前につき出せばキスができてしまいそうだった。


「カレンさんはもっと自分を愛してあげてください。それが難しいならまずは私を愛してみる努力をしてみませんか? そうすればいつか自分自身を好きになれます。愛情は伝染するんですよ?」

「私に誰かを愛することなんてできないよ。私とまちこの生きる時間軸が違うのだから」


 時間の流れる方向は同じでも、私の寿命と時間は数千年前から止まっている。川の中心でたたずむ岩石のように、時間の流れの狭間から抜け出せないのだ。


「言い方を変えましょう」


 まちこは私から一歩離れて、胸に手を当てる。


「カレンさんは死に場所を探してるんですよね。それでしたら私を死に場所として選んでください」

「……???」


 まちこは自信に満ちた顔でそう言い放ったが、理解が追いつかなかった。


「私が年老いて死んだとして、カレンさんがひとりぼっちになって寂しい思いをするならば私がアナタを死なせてあげます。手を繋いで墓場で一緒に眠りましょう」

「心臓をナイフで突き刺しても死なない私を?」


 嫌味っぽく言ってみたが、まちこは二つ結びの髪を揺らし、向日葵のような眩しい笑みをみせる。


「カレンさんを死なせる薬くらい私が開発してみせますよ。幸せを感じながら死ねる最高の薬を。忘れたのですか、私は天才科学者なんですよ? だからそれまでは、私のわがままに付き合って下さい」


 どんなに反論しても言いくるめられてしまう気しかしない。彼女の愛の告白は褒めづくしのバーゲンセールで私の調子を狂わせる。すこしだけ期待してしまう。もしかするとこの子なら私を死なせてくれるんじゃないかって。


「こりゃあ勝てないな。降参です」


 私は彼女の小さな体を抱き寄せた。


「カレンさんッッ!!?」


 私の胸にまちこの顔をうずめる。フィットサイズで抱き心地が良い。それ以上に忘れかけていた幸せがこみ上げてくるような気がした。

 まちこの手が腰にまわってくる。力加減が分からないのか息苦しいと思うくらいギュッと抱きしめてくる。それが余計に愛おしく思えた。彼女の優しさと愛情に包容される。誰かとハグをしたのは何年ぶりだろう。こんなにも気持ちが良いものなんだと実感する。


「私は神様に見捨てられてこの世界に留まっているけど、私の女神様はここにいたんだねぇ」

「女神様だなんて大袈裟な」


 私はずっと死に場所を探していた。観測者としての役割を終えてひとりだけ世界に取り残されてから、いつか神様が迎えに来てくれることを信じて怠惰に生きていた。


「先のことなんて誰にもわかりません。私は今この瞬間の気持ちを大切にしたいのです。私と一緒に新しい足跡を残していきましょう。後悔なんてさせません」

「今この瞬間の気持ちを大切に、か」


 それは私の今までの悩みや苦労を一瞬で解消する魔法のような言葉だった。


「きっとまちこと過ごす青春はレモネードのように甘酸っぱいんだろうな」

「それでお返事はOKということでよろしいのでしょうか?」

「そうだな……」


 私もチョークを掴んで黒板に書き記した。二文字のお返事を。



 深夜2時を過ぎると街の雑踏すらも眠っていた。科学実験室は液体が煮詰まった音と小さな寝息が流れている。私は瞼をこすり、頬を叩いて眠気を飛ばしていた。惚れクスリは常にかき混ぜ続けなければならないそうだ。私はまちことバトンタッチして大鍋の前で火の番をしていた。


「一時間おきに青い瓶を二滴。液体が固まりだしたらこのミックスジュースを入れてよく混ぜる、と」


 布団で仮眠をとっているまちこ。だらしなく腹を出して口端からヨダレが流れている。


「まだ夜は冷えるから風邪ひいちゃうよ。まったく私はお母さんじゃないんだから」


 布団を掛け直そうとしたら寝ぼけたまま乱暴に奪われ、近くに敷いてあった私の布団も引き込み、抱き枕にしてふたたび深い眠りにつく。寝相の悪い小さな子供を見ているようで笑いがこみ上げてくる。


「この私が友達を作るなんてね。いや(仮)か。爺さんが聞いたらさぞ驚くだろうな」


 惚れクスリの匂いにでも当てられたのだろうか。きっとそうなんだろうな。


「まったく末恐ろしい小さな科学者だこと。まちこは将来、重たい女になりそうだ」


 その可愛い寝顔に優しい口づけをして、朝日が昇るまで鍋をかき混ぜた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る