⑥小さな科学者と惚れ薬

 本校は進学校といえるほど偏差値の高い学校ではないが、国立ということもあり設備は充実している。例えば音楽教室では完全防音性で窓ガラスでさえ二重サッシとなっている。視聴覚室なんて個々に座席が設置され、巨大スクリーンが壁に埋め込まれている。一言で表すならシアタールームだ。ポップコーンの匂いがしてきそうだった。

 

 そんな恵まれた環境で惚れクスリを調合するのに一番最適な場所と言えば。


「科学実験室ですね。名のとおり実験するために適した教室ですから実験用品の調達には困らないでしょう」

「それならα棟の四階だね。それじゃあ行ってみるとしますか」


 しかしそう簡単に事が運ぶわけもなく科学実験室にはカギが掛けられていた。鍵穴を壊したり窓から侵入したり中へ入る方法はいくらでも思いつくが、そんなことをすれば防犯セキュリティが作動して筋肉マッチョの警備員が駆けつけてくる。私一人ならまだしも、まちこがいる状況でそんなリスクある行動はできなかった。


「しょうがない、めんどくさいけどカギ取ってくるか」

「どちらにですか?」

「そんなのカギが保管してある職員室にだよ」

「え゛」


 職員室はα棟とβ棟にそれぞれ設けてあるが、科学実験室のカギはα棟側の職員室にしか置いてなかった。α棟の職員室は一般生徒らが出入りする昇降口のすぐ横にある。


 昇降口にはちらほらと一般生徒らが靴を履き替えている。入学して間もない私らが別棟の生徒かどうかなんて判別できていないだろう。だから目が合っても不審そうな顔をしてくるが通報まではされなかった。ちなみに不審がられているのはまちこが原因である。


「ムリですムリです!! バレます、怒られます、退学待ったなしです!!」

「だぁいじょうぶ。そうしていると逆に目立つから」


 廊下の壁に引っ付いて動こうとしないまちこ。そんな挙動不審のまちこの手を引いて私たちは職員室に忍び込んだ。パソコンと睨めっこしてる教師たちの傍で、物陰に隠れて息をひそめる。


 α棟自体が立入禁止とされている私たちがα棟の職員室に侵入しているところを見つかれば、重たい処罰が下るのは確実だった。いま、敵陣地の根城にいる状況である。まちこは招き猫のように置物と化していた。ビビってしまうのも仕方がない。


「まちこ、この場を打開する秘密道具とか出せない?」

「私を未来型ロボットか何かと勘違いしていませんか? そもそも専攻が違います」

「そういう問題?」


 物陰に隠れて数分が経過した。パパっとカギを取って即退散しようと思っていたが、予想以上に教師が残っていてこの場から全く動けなかった。このまま待っているのも良いがリスクが大きすぎるし、なにより性分ではない。


「まちこをおとりにするか」

「とんだクズですね」

「ん、ちょっと待って。なんか様子が変じゃない?」


 職員室の一角で教師たちが神妙な顔つきで会話している。周りの教師も作業を止めて聞く耳を立てている。次の瞬間、慌てた様子で体育教師が職員室に飛び込んできた。


『α棟の二階だ! 生徒の目撃情報では、そこにω組の生徒がいたそうだ!』


 ギクリッと背筋が凍る。

 

『ω組はα棟に入れないんじゃなかったのか。セキュリティはどうなっているんだ!』

『いったいどんな生徒が……』

『巨大な棺桶を背負った銀髪の生徒らしい。エクソシストの末裔だとか』

『入学式で目立っていたコスプレ女か』

『手伝える先生方は至急、応援を頼む』


 そんな会話が徐々に遠のいていき職員室には誰もいなくなった。巨大な棺桶と銀髪少女なら私たちも見覚えがあった。


「ステラハートだな」

「ステラハートさんですね」

「あいつの犠牲に感謝しなくては」

「南無阿弥陀仏ですね」


 職員室の壁際のキャビネット上にキーボックスが置いてあった。そこに保管してある科学実験室のカギを拝借する。


「科学実験室のカギだけ無いと怪しまれませんか?」

「それなら私の自宅のスペアキーを替わりに置いとくか。期間限定、私の家に入り放題キャンペーン実施中だ」

「防犯対策ゆるゆるですね」

「お股はゆるゆるじゃないけどね」

「穢らわしいにも程がある!! このさき一生、淑女なんて名乗らないでください!」

「名乗ったことすらないけどね」


 教師が戻ってくる前にそそくさと職員室を後にし、α棟の三階にある科学実験室へ移動する。科学実験室というだけあって鼻の奥を刺激する薬品の匂いがした。どことなく病院の匂いにも似ている。普通の人は抵抗のある匂いだが、まちこはうっとりとした顔で深く呼吸をして堪能していた。


「なんだか懐かしい匂いがします。アメリカの研究室ではこういった薬品の匂いを完全排除していましたので。がむしゃらに実験していた若い頃を思いだします」

「まちこは人生二周目なのかな?」


 とてててっ、とまちこは小走りに黒板の前に移動する。上下にスライドできる二枚の黒板を動かし、チョークで科学式を書きはじめた。惚れクスリに関する科学式かと思いきや、ただ落書きをしたかっただけのようでメルヘンチックなお花と熊の絵が描かれている。満足したらチョークを置き、教壇に手を置いて室内を隅から隅まで見渡しはじめる。


 透明のビーカーや秤が並べられている棚。少し錆びれている銀色の蛇口が併設された六つの実験台。科学実験室の後方には巨大な水槽が置かれ、カラフルなメダカが群れをなして泳いでいる。


 コポポっと水槽ポンプから漏れる気泡音とモーター音にまちこは耳を澄ませ、追想にふけっていた。なんていうか公園にある遊具で次から次へと遊び始める子供、それを見守るお母さんになった気分だった。


「すみません時間をとらせてしまって。さっそく準備にとりかかりましょう」

「いえっさ」


 まちこいわく、惚れクスリを調合するのに半日以上はかかるそうなので早速準備に取りかかった。まず最初に道具の準備からである。


 ラーメンのスープを煮込むような底が深い大きな鍋とコンロ、ビーカーなどまちこに言われた調理道具を科学実験室を物色して見つけだした。さすが科学実験室だけあって色々なものが置いてある。まちこの言うとおり調合する場所としては大正解のようだった。


「さて、次はなにが必要なんだい?」

「食材ですね。スーパーに行きましょう」


 調合には市販で売っている食材も必要らしい。ちょうど学校から徒歩十分ほど離れた場所にスーパーマーケット『NGストア』がある。そこで食材の買い出しをすることになった。


「一緒に来てくれるのは大いに嬉しいけど、わたし一人でも大丈夫だよ?」

「いいえ一緒に行きます。この街に来たばかりでどこに何があるのかも知りませんし、せめて学校付近だけでも把握しておきたいので」

「お、それなら私が案内してあげる! この辺は誰よりも詳しいからさ」

「え、ちょっと手を引っ張らないでください」


 靴を履き替えてまちこの手を引く。アーチ型をした朱色の小橋を渡り、笠地蔵が並ぶお寺にお参りし、公園の茂みにいる野良猫の集会場を覗いたり、寄り道をしながらスーパーマーケットを目指した。結局、十数分で到着する距離のはずが三十分ほど時間が経っていた。


「ネコさんたち可愛かったですね~」

「そうだね~」


 成猫から子猫まで可愛らしいネコーズが見れてまちこも満足そうにしていた。やはり可愛いものは正義である。心も口調もふにゃふにゃである。けれどスーパーマーケットに入店するとまちこは「ハッ!」と我を取り戻し、「私についてきてください」と迷わず野菜売り場へ向かった。


「待ってよまちこ。もう少しにゃんにゃんの余韻に浸ろうよ~」

「材料集めから実験はすでに始まっているんですよ。私の尊敬するフランスの学者ルイ・パスツールはこんな言葉を遺しました。『発見のチャンスは、準備のできた者だけに微笑む』と。この材料集めは実験の成功不成功を左右するもっとも大事なフェーズ」

「そのヒト、生物学者だけどいいの?」


 夕方の時間帯は主婦や仕事終わりのサラリーマンが晩御飯を買い揃えている中、まちこはイチゴやさくらんぼ、バニラエッセンスなど甘味系の食材をつぎつぎと買い物カゴに入れていく。1パック560円の福島県産さくらんぼ。商品説明と値段表をみて、ちょっとした疑問が湧いてくる。


「バニラエッセンスとさくらんぼ……」

「どうかしました?」

「いや、なんでもない。このハッピーカラフルグミも惚れクスリの調合に必要なの?」

「私の元気の源なので」

「食べたいだけかーい」


 世界規模の禁止薬品名簿に登録されているほどの代物だから、てっきり取扱注意の怪しい葉っぱと怪しい液体を混ぜて調合するものだと思っていた。それが庶民の味方『NGストア』で買える品物が材料だなんて誰が想像できるか。想像の斜め上をいく材料ばかりでさすがの私も戸惑いが隠せなかった。案外身近なもので作れてしまうものなのだろうか。


 結局、果物やら調味料やら甘味系だけを購入して退店した。この食材だけでフルーツタルトが作れてしまう。これじゃあお菓子作りをする女子高生の物語だ。

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