15
「…え?」
たっぷりの間をおいて声を発したのは坂本さんだった。
「ちょっと待って。どうして佐々木さんがそんなこと決めるの?」
「私じゃなくてミコが決めるの」
坂本さんの至極真っ当な質問に、百合が即座に反応した。
何の答えにもなっていないその返事に、坂本さんは納得いかないと眉間に皺を寄せて
「私の連絡先が必要ないだろうからって言ったでしょ」と食い下がった。
「だってそう思ったんだもん」
百合はまるで当たり前のことのように言ってのけた。
ただ言葉を交わしているだけで、それは会話として噛み合っておらず坂本さんは早々に百合への追及を諦めた。
「意味わかんないんだけど。実子ちゃん、消す必要ないよ」
「そうかな。ミコはどう思う?」
背中にピッタリと体温を感じ、百合が纏った柔軟剤の匂いがふわっと香る。
どう思う?と聞いておきながら、百合は答えなど聞く気もなく目の前にある私のスマホを手に取った。
ロックが解除されたスマホの画面を百合の人差し指がなぞる。
メッセージアプリのアイコンをタップすれば、それは簡単に開いた。
百合が迷いなく画面をスクロールすると、そこに坂本真里と佐々木百合、二人の名前が連なって表示された。
そこまでしてようやく百合の指が画面から離れる。
「…可哀想」
三人だけの教室は、一人一人の声をよく響かせる。
坂本さんがぽろりと溢したその言葉も、シンとした空間ではいやに大きく聞こえた。
「坂本さんは何か誤解してるんじゃないかな。ミコは可哀想なんかじゃないよ」
百合はそう言いながら私の顎に指を添えて持ち上げた。
されるがままに上を向けば百合と視線がぶつかり、いつにも増して耽美なその瞳に囚われる。
見つめられただけで、指先が痺れるような不思議な感覚に陥った。
「やって?」
たったそれだけの短い言葉で、私は百合の手中に落ちた。
半ば操られるようにスマホを手に握りしめ、画面をタップする。
スマホを操作する私を見て、坂本さんが驚いたように「まさか、」と何か言いかけたけれど、その後の言葉を紡ぐ前に口を閉じた。
《連絡先を消去しました》の文字が画面に表示され、それを確認した百合が私の頭を優しく撫でながら満足そうに言った。
「よかった。これだけは今日中に済ませておきたいと思ってたの」
私は衝動に駆られ音を立てて椅子から立ち上がり、百合が着ているシャツの胸ぐらを掴んで引き寄せキスをした。
「んっ」
全く予想していなかったであろう展開に、百合の口から小さな声が漏れる。
「えっ、えっ?」と坂本さんの素っ頓狂な声が教室に響いた。
一度体を離し、すぐにもう一度近付けると、百合はそれを制止するように私の頬に手を添えた。
「待って、ミコ。どうしたの」
どうしたのかなんて、私が知りたい。
でもとにかく今は百合が欲しかった。
もう私には百合しかいない。他に何もない。
「して、おねがい」
坂本さんがそこに居ることなんてもうどうでもよかった。
百合が目を見開いた。でもそれは気のせいだったのかもしれないとさえ感じるほど一瞬だった。
百合は黙って私の手を握り、シャツを掴んでいた手を解かせる。そして私の顔を隠すようにその肩に抱き寄せた。
一部始終を目の当たりにした坂本さんがどんな表情をしているのか、私からは見えないし見たくない。
そしてきっと、この先私は坂本さんの顔を見ることができない。
寂しさを紛らわせるために近付いて、今まで何度も裏切って謝って、また裏切った。
この胸の痛みが全部百合にうつってしまえばいいのに。
この期に及んでまだそんなずるい事を考えながら、私は百合の肩にぎゅっとしがみついた。
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