打ち上げ花火

「ね、今の人みた?」

「彼女羨ましい」


これは屋台に並んでいる最中、百合をちらっと見てはヒソヒソ声で投げられた言葉たち。

今日の百合は、黙って立っていれば本当にどちらか分からなくても仕方がないと思えるほどだった。


「百合、中学のときも髪短かったんだよね?」

「あー、そうだね。今と同じくらいかな」

女子校にこんなのがいたら、そりゃ大騒ぎにもなるだろうと納得した。

同時に、夏休み明けは学校中の注目の的になると容易に想像できた。


「今何か想像した?」

「別に」

横に並んでいる百合の左手が、ふいに私の右手に触れた。

そのままするりと指が絡み、きゅっと握られる。

私はその手をそっと握り返した。



フランクフルト、焼きとうもろこし、焼きそば、かき氷、りんご飴、たこ焼き、チョコバナナ。

それぞれ好きなものを食べたり、分け合ったりしながら、花火が始まるまであれもこれもとたくさん食べた。

「お腹いっぱいだぁ」

「ミコ、たくさん食べてたね」

「太るかな」

「それもいいんじゃない」

二人並んで観覧席に座り、花火が打ち上がるのを待つ。

夏の夜の暑さに、無料で配っていた団扇が大活躍した。


花火が打ち上がるまであと少しというところで、突然足に冷たい液体がかけられた。

「わっ、わ、なになに」

狼狽える私に、前に座っていた30代くらいの男性が「やべー!すみません!」と勢いよく謝ってきた。

どうやら側に置いておいたビールが入ったコップを倒してしまったらしい。

それが運悪く私の足にかかってしまったのだ。

新しい浴衣の裾までビールで濡れてしまい、私は完全に意気消沈した。


「洗いに行こう」

せっかく座れた観覧席だったが、百合はすぐに立ち上がった。

項垂れる私の手をぐいぐいと引っ張って前を歩く。


しばらくして公衆トイレの近くに手洗い場を見つけ、百合は私の足元にしゃがみ込んで汚れた足と浴衣を洗ってくれた。

百合が濡れたハンカチで私の浴衣の裾を押さえてくれているとき、ドーンとおおきな音がして空が明るく光った。

打ち上げ花火が始まったのだ。


「ごめん」

「どうしてミコが謝るの」

「せっかく、花火見に来たのに」

「うーん、」

少し間が空いたあと、百合が言った。

「私は花火より、ミコに会いに来たから。これで満足だよ」

どうしてそんな恥ずかしいことが言えちゃうの。

顔が赤くなっても百合には見えないから、暗くてよかった。



しばらくして百合は立ち上がり手を洗うと、私に向かって「ハンカチ貸してくれない?」と言った。

私はハッとして、ハンカチを取り出し百合に手渡した。

そうしている間も頭上では花火が上がっている。

百合が持ってきたハンカチは、ビールの匂いが染み込んでいてもう使えそうになかった。

それも申し訳なくなり、私は再び「ごめん」と謝った。


「いーよ。気にしないで」

「自分のハンカチ使えばよかった」

「私がしたことだからいーの」

「でも、」

「そんなに言うならお礼ちょうだい」


屋台の明かりや人々の賑やかさから少し離れたところまで手を引かれ、どこまで行くのと聞くと漸く百合は立ち止まった。


百合の両手が腰に回り、つんと唇を尖らせて私を見る。


「え、ここで?」

「みんな花火に夢中だから、誰も見てないよ」

周辺を見渡しても確かに人の気配はなかった。

「はやく」

そう言って、百合は私の浴衣の帯を引っ張って急かす。

「わかった、から。黙って」

ほんの少しだけ伸びをして、百合に顔を寄せる。

ちょんと触れるだけの、おままごとみたいなキス。

寸前、打ち上げ花火で照らされた百合の顔がはっきり見えた。

黒い瞳には私しか映っていなくて、百合は花火ではなく私に夢中なんだと思った。





駅までの帰り道、カランコロンという足音を楽しみながら百合と手を繋いで歩いた。

「来年はちゃんと見たいね、花火」

「それは来年も一緒に来たいってことでいいのかな?ミコちゃん積極的〜」

百合は茶化すように、でもとても嬉しそうに笑っていた。

私は黙って百合の手を握る手に力を込めた。

百合はそんな些細なことにも敏感に気付く。

「来年も、再来年も、一緒に花火見に来ようね」


私の四年ぶりの花火大会は過去を上書きし、思い出に残るものになって終わった。

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