08*
「みーつけた」
その声の主である百合は私と向かい合うようにぺたんと座り込むと、しっかりと目を合わせるように顔を覗き込んできた。
百合は黙ったまま両手を伸ばし、私の両サイドの髪の毛をそれぞれの耳にかけた。
大粒の瞳が右へ左へとちらちらと動き、そしてまた、私の目を見つめる。
「なんで約束破るの」
最初に口を開いたのは百合だった。責めるような、それでいて落ち込んだような声色だった。
あんなやり方をしておいて、約束なんて言葉を使うのは狡い。
考えすぎかもしれないけれど、約束という言葉とその予想外に悲しげな声色に、何故か罪悪感を抱きそうになってしまう。
「…じゃあ聞くけど、なんで付けなきゃいけないの」
せめてもの抗議は、自分でも驚くほど小さな声だった。
しかし、この静かな空間で、百合はその声を難なく拾い上げたらしい。
ほんの少し考える素振りを見せた後、百合は悪戯な笑みを浮かべて答えた。
「んー…マーキング、かな」
思ってもみないフレーズにその意味が見出せず、私は首を傾げた。
「今は意味わかんなくてもいいよ。これから教えてあげるから」
百合はそう言ってふふっと笑った。
不意に百合の指が私の耳に触れた。
昨日の出来事を思い出し、反射的に体が縮こまった。
しかしその指は昨日と打って変わり、触れるか触れないかの微妙な距離で耳の形をなぞると、すぐに離れていく。
「約束守れたら、ご褒美あげる」
「ご褒美って」
「私なら、ミコが寂しくないようにしてあげられるよ」
百合が真剣な目をしたあと、私の耳元に口を寄せた。
百合の柔らかな毛が頬に当たりくすぐったい。
「どうする?ミコが決めて」
耳元で囁かれ、気づけば私はスカートのポケットに手を突っ込んでいた。
四角いケースを取り出し、それを百合の前に差し出す。
その中身を理解した百合の形のいい唇の端が満足そうに吊り上がった。
百合は私の震える手からケースをそっと取り上げると、蓋を開けて中からピアスを取り出した。
「付けてあげる。どっちの耳にする?」
「みぎ」
「ん。痛かったら言ってね」
百合は慣れた手つきで私の右耳の穴にポストを通した。
もう1ヶ月以上ピアスをしない生活をしていたけれど、幸い痛みや引っかかりもなく簡単に装着が完了した。
お揃いのピアスが付いた右耳を、百合は何度も何度もすりすりと撫でる。
そうそう他人の手が触れることのない場所を執拗にいじられて、不快感とは違った得体の知れない感覚が迫り上がってくる。
鼻から抜けるような声が漏れ、慌てて唇を噛んだ。
付けたばかりのピアスを、百合の指がぴんっと弾く。
「私、確かにピアス付けてきてって言ったけど、このピアスとは一言も言ってないんだよね。ミコってほんとにかわいーんだから」
瞬間、かぁっと顔が熱くなった。
そうだっけ?そうだった?
昨日のやり取りを必死に思い出す。
明日からピアスつけてきてって言われて、キスされて…。
確かに、そうは言ってなかったかもしれないけど、でも。
顔から火が出そうなほど恥ずかしくなり、私は自分の右耳を隠すように手で覆った。
「ミコが自分で選んだんだよ。このピアスも、このピアスを付けることも」
百合の手が右耳を隠す私の手に重なり、その手を退ける。
「でも、もう外しちゃだめ。毎日付けててね」
百合の顔が正面から近づいてくる。
ほんとに綺麗な顔をしてるよな、なんて呑気に考えている隙に、鼻と鼻が触れ合った。
と、そのとき朝礼まであと5分という予鈴が鳴り百合の動きが止まった。
あと数センチ近付けば唇が触れるほどの距離で、百合は体を後ろへ引いた。
「さて、教室に戻ろうか」
立ち上がった百合を見上げ、今何しようとしたのと聞いてしまいそうになる。
それを見透かしたかのように「続きはまた今度しようね」と言い残し、百合はさっさと階段を降りていった。
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