06
「今日はもう、帰っていいよ」
私がそう告げると、実子は脱兎の如く逃げ出した。
一人になった生徒会室で、実子が落としたホッチキスとプリントを拾い上げる。
まだ三分の一ほど残った紙の束を上から3枚捲り、左上の角にきっちり45度の角度でホッチキスの針を刺した。
ぱちん、と小さな音が響く。
佐々木百合−17歳
附属中学からの内部進学で、入学式の日には既に半数以上の生徒と繋がりがあった。
両親の遺伝子をイイとこ取りし、「容姿端麗」「頭脳明晰」なんて褒め言葉に臆する必要もない。
それを鼻にかけることもなく、上手くあしらう処世術も身につけている。
相手が喜びそうな言葉を常に考え、求められれば最高のタイミングでそれをプレゼントする。
それが本心でなくとも、誰も気付かない。
当然のようにスクールカーストの頂点に押し上げられ、私と友達ということがステータスだと思っている者もいるらしい。
本当にくだらない。
「私、佐々木百合。なんだかミコとは仲良くなれる気がする」
そう言ってにっこり微笑めば、初対面の田村実子はアワアワとして落ち着きがなくなり、コミュニケーション能力の低さが目に見えた。
高校デビューを目論んだのか、そのナチュラルメイクも入学式には目立ちすぎていた。
ただなんとなく、席が近いという理由だけで声をかけたのが始まり。
それが今ではこんなにも彼女に執着するハメになるなんて。
あれは一年生も終わりを迎えようとしている季節のことだった。
いつものグループで机を突き合わせてお弁当を食べている最中。
いつも誰からともなく持ち上がる恋愛トークに興じていると、そのうちの一人がふざけて「わたし結婚するならユリみたいな人がいいな」と言い出した。
周りがすぐに便乗する。
「わかる!ユリって中学ん時はショートだったの。それがまじでイケメンだったんだから!」
「えーー!見たかった!!写真ないの!?」
「あるある。みんな見て!」
「うっわぁぁ、リアル王子様じゃん。ユリ、またショートにしてよ!」
「見たい見たい〜」
女子校という隔離された世界の中で、男子の役割を求められていることに気付いてからというもの、中学後半はずっとボーイッシュなヘアスタイルを維持していた。
それが同級生だけでなく上級生や下級生からも人気で、本気で恋をされたこともあった。
その頃の写真データが目の前で許可なくあちこちに拡散されてゆく。
大きくなっていくはしゃぎ声は、また次のグループへと波及していき、もはや収拾がつかなくなっていた。
「ね〜、また切ってよ。みんな期待してるって」
ことの発端となった友人が言った。
長い時間をかけてようやく肩まで伸ばした髪を、いとも簡単に切れと言う。悪気がないからタチが悪い。
この盛り上がりに水を差さないように、
「切ったらほんとに惚れちゃうよ?」
なんて顔を寄せて言ってみれば瞬く間に教室の声は一層黄色くなった。
さて、この空気をどうやって乗り過ごそうか。
そんなことを考えていると、
「私は今のユリが好きだなぁ」
やや後方からそんな言葉が耳に飛び込んできた。
周囲の大きな声に掻き消されてもおかしくない声量にも関わらず、その時は何故かすっと耳に入ってきたのだ。
振り返るとそこでニコニコしていたのが実子だった。
その後、何かの拍子に偶然2人きりになったタイミングで私は実子に
「ミコは今のままがいいって言ってくれたけど、やっぱり髪切ろうかなー」
と冗談混じりに言ってみた。
実子は
「ユリがそうしたいなら、絶対似合うと思う」
と、相変わらずニコニコとした笑顔でこちらを見る。
そして、
「でも、もし、みんなが期待してるからっていうのが理由なら、切らないほうがいいんじゃないかな。百合もたまには自分の気持ちを優先してね」
と付け加えた。
「…そう、かな。そうだよね」
「うんっ」
そんな、なんでもない会話がずっと心に残っている。
ちゃんと見てくれてる人がいるんだ、と思った。
その気持ちはいつしか「私だけを見てほしい」「この子を誰にも見せたくない」という歪なものに形を変えた。
二年生になってすぐ、今年も実子と同じクラスであったことに安堵し、私は早速行動を起こした。
行動、といってもそれはとても簡単なことで。
「ミコってさー、ちょっと浮いてるよね」
と、一言みんなの前で言っただけ。
それ以上のことはなにも指示してないし、何もやってない。
もともとグループに深く馴染めていたわけでもなく、なんとなくノリに着いて来れないところもあったのだから、別に嘘も吐いてない。本人はそう思っていないだろうけれど。
兎にも角にも、私の気まぐれな一言で実子は完全に孤立した。
しばらく一人きりにしておけば、実子の顔から笑顔が消えた。
カースト上位から一気に蚊帳の外に放り出されたことが余程ショックだったらしい。
これで誰にもあの笑顔を見せなくて済むと思っていたのに。
バスケの最中に軽い突き指をし、大したことはなかったが実子が居ることを思い出して保健室に寄った。
保健室には先生が居らず、カーテンの向こうのベッドに実子がいるだけだった。
寝ているのか、すごく静かで、起こさないように冷凍庫を漁っていると急にカーテンが開いて、そこから顔を覗かせた実子は満面の笑みだった。
無性に腹が立って、誰もみたことがない実子が見たくなって、少しだけイジワルをした。
苦しそうに指を咥えるその顔は、癖になりそうなほど私の心を満たしてくれた。
それから2週間は何事もなく、ただひとりぼっちで過ごす実子を遠目に見ていた。
体育の授業で、いつも通り実子を迎え入れようとしたとき、突然邪魔が入った。
その子たちは体育だけでなく昼休みまで実子を自分たちのグループに囲い込んだ。
あ、だめだよ。
実子の居場所はそこじゃないでしょ。
ちゃんと、教えてあげないと。
実子があの子たちの前で笑った分だけ、歪んだ表情を私にも見せてもらおう。
痛みに耐える実子を堪能した後、そのファーストキスを奪い、一生の思い出に残るであろうピアスをプレゼントした。
「明日、つけてきてくれるといいな」
最後の束をホッチキスで留め終わり、私はうーんと伸びをした。
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