03*


百合が倒れ込んだベッドの端に腰掛け、目の前に掲げられたスラリとした手を握る。

色白で細くやや骨ばった指にそっと保冷剤をあてがうと、その冷たさに百合の指先がぴくりと震えた。

できるだけ百合と目を合わさないように手元だけに集中していると、ふいに百合が口を開いた。


「手、あっついね。汗かいてるし」


「ごっ、ごめん!」


カァっと顔まで熱くなり、私は百合から手を離した。

緊張すると手のひらに汗をかいてしまうのは仕方のないことだと分かっていても、それを人に指摘されると途端に恥ずかしくなった。

無意識のうちに先ほどまで百合にあてがっていた保冷剤を両手で握りしめてしまう。


「緊張してる?」

「…うん」

「なんで?」

「なんで、って」


そんなの、あんたのせいじゃん。訳もわからず無視されて、久しぶりに相手にされたら緊張もするよ!

なんて言えるわけもなく、私は唇をきゅっと結んだ。

冷たくなった手で再び百合の手を握り、その指に保冷剤を押し当てた。

黙って手を冷やす私に百合はそれ以上答えを求めることはなかった。



しばらくそうしていると、突然百合の左手が私の手首を掴んだ。

「もういい、冷たすぎる」

不愉快そうに眉間に皺を寄せ、保冷剤を離せと言わんばかりに私の手を押しやると、百合は怪我をした指にふっと息を吹きかけた。


「つめたー。やばい、感覚ないかも」


「ごめん、ごめんね。大丈夫?」

冷やしすぎてしまったのか、指の感覚がないと言い始めた百合に私は焦った。

そんなに冷たかったのならもう少し早く言ってくれればいいものを、どうして感覚がなくなるまで我慢するんだと悪態のひとつもつきそうになるがそれはぐっと堪えた。

「何かで温める?タオルとかで巻けばマシになるかも」

さっきの棚にタオルが入っていたことを思い出し、それを取りに行こうと立ち上がると、百合にパシッと腕を掴まれた。

寝そべっていた百合が上体を起こし、私にもう一度ベッドに座るよう促した。

言われるがままにもう一度元の場所に腰を下ろすと、百合はずいっと体を動かして一層近づいてきた。


「責任とって、ミコがあっためて」

「責任って、どうすれば」

どうすればいい?そう言い終わらないうちに、突然口内に異物が押し込んできた。

それが百合の指だと気づくのに1秒もかからず、私はひどく狼狽えた。


「んっううう、ひゃ、ぁんで」

なんでと発したつもりの言葉は、百合の指に舌を押さえられたせいでろくに発音できていない。

「あー、あったかくてきもちいい。ミコのナカ」

そのまま人差し指の腹で上顎をなぞられゾワゾワと全身に鳥肌がたった。

逃れるために咄嗟に頭を後ろに引こうと試みたが、百合の左手にがっちりと後頭部を捕まれそれすら許されない。

両手で百合の右手首を掴み抵抗しようとすると、

「ねぇミコ、もし私の指の感覚が戻らなかったらミコのせいだからね?」

2人の額が触れ合いそうなほど近くで目を合わせ、低い声で言い聞かせるように囁かれる。


「はっ、…はっ」

一定のリズムで私の口から溢れる息が百合の手首を掴む自分の手にもかかる。

こんなことをし出した張本人である百合が、「早く終わらせたいよね?」などと宣い、ぐにっと私の舌に人差し指を押し付けた。


「あぐっ、それ、…くるひぃ、からっ」


子供の頃、風邪を引いた時にお医者さんにされたことを思い出した。

銀色の薄いヘラのような器具で舌を押さえつけられては嘔吐反射を繰り返していた。

目に涙が溜まり、じわりと外へ溢れでた。ぽろりと水滴が頬を伝い落ちる。


「口閉じて。開いてるから苦しいんだよ」

まだ抜く気がないことを悟り、言われた通りに口を閉じる。

上下の歯に指の感触を感じ、少しでも不快感を和らげるために舌の力を抜いた。

「だんだん感覚戻ってきた。イイ感じ」

百合の指は初めこそ本当に冷たかったものの、今はもう口内の温度と大差なく当初の冷たさは既に全く感じられなかった。

当の本人もそのことに気がついているはずなのに。

あとどれくらいこうしていなければならないのか、最早諦めの境地に踏み込み、目を閉じたその時。

ガラリと保健室の扉が開いて、「田村さん?まだいるー?」と村上先生の声が響いた。

半分だけ閉まったカーテンのおかげで、先生からはこちらが見えていないようだった。

ちゅぽんっと間抜けな音をたて、漸く百合の指が引き抜かれた。


「マナミ先生、バスケで突き指したから保冷剤借りてる〜」

百合はベッドから降りるとカーテンのスキマから出て行った。

私が寝ていたはずのスペースから出てきた百合に、

「そうなの?しっかり冷やさないとダメだよ。痛みが続くようなら病院ね」

と言った後、「田村さんは?」と尋ねた。


先生がカーテンを開けたとき、私は口元を手の甲で拭いながら鼻を啜っていた。

ぎょっとした村上先生は百合の方を振り返り、

「2人で何かあったの?」と聞いた。

私が答えないでいるのをいいことに、

「ちょっと2人で話してたんだよね。ミコ、今はいろいろ辛いことがあって」

と、百合の同情を孕んだような声色に先生も頷くと

「そうね。佐々木さん、田村さんのことよく見ておいてあげてね」と言いながら私の肩にそっと手を置くのであった。

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