Ⅱ.窓越しに見る夢は

 入団直後、各団員との軽い顔合わせが終わってから俺に待っていたのは”生活に慣れる期間”と名付けられた放置だった。とはいえ理不尽に無視されているとかそんな酷いものではなく、タイミング悪く数日後に公演があるからそちらを優先するため待っていてくれ、とただただ待っているだけだ。にしても、就活の忙しさも去り何もすることがないのは暇。なので、先日教えられた先輩達の名前と特徴を覚える時間にしようと決めた。


「えーと…ルカ先輩、ギルバート先輩、マリー先輩とレベッカ先輩、ジュリア先輩、ディラン先輩、ノエル先輩…」


猫の頭をしたルカ先輩は個人的理由で一番記憶に残っている。ギルバート先輩は俺の教育係らしいので、失礼なことをしでかさないように嫌でも覚えなければと頑張った。マリー先輩はかなり不思議な性格をした女性で、髪から肌から暗闇のように真っ黒で顔も凹凸がわからない。ただ、ずっと見ていると暗闇に目が慣れるようになんとなく表情がわかったりするのだからやっぱり不思議だ。レベッカ先輩はアラビアンドレスを着たおしゃれな人形。人形というだけあって体は小さめなので、最初は視界に入っていなくて無視したかのような状態になってしまい申し訳なかった。アラビアンドレスの割に、髪の毛の色は綺麗な金髪である。ジュリア先輩はとにかく肉体美に目を奪われるタイプの、蝋燭の頭を持つ女性。そしてジュリア先輩ががらがらと音をたてながら運んできた、台車の上の水槽に入っていたのがディラン先輩。人魚だという。目が見えていないらしく、声をかけるまでは見当違いな方を向いていたのが印象に残っている。先日団長が言っていた「喋れて動けるのなら」という言葉は単に誰でも良いという意味ではなく、彼と意志疎通が瞬時にとれるようでなくちゃいけないという意味だったようだ。そしてノエル先輩、彼女…いや、彼が一番驚きだった。確かに声が低めだとは思っていたけれど、女性ではなく男性だったらしい。男性なのにスカートやフリル、という方向よりも男性の体をしていてあそこまで可愛らしくなれるのかという方向への驚き。女の体を持っていようがあそこまで出来る人はいないだろう、と勝手に尊敬してしまった。


「…あれ、足りない…っあ、オリバー先輩。」


紹介された人数は八人、名前を綴ったのは七人。一人足りていなかったようで、バレていなかろうが申し訳なく思いつつ彼のことを思い浮かべる。オリバー先輩はぬいぐるみの男性。ぬいぐるみだから年齢の概念はよくわからないが、見た目も喋り方も考え方も丸っきり幼い少年のようだった。好奇心旺盛という言葉がまさに正しいような…おかげで俺の蕾の頭に興味を示したらしいオリバー先輩に顔を触られたり等した。


「仲良く、やれるか怪しいな…まぁなんとか頑張らなきゃいけないけども。」


無意識にぽろりと漏れ出た言葉を払うように言葉を重ねる。俺を抜けば一番の新人はルカ先輩らしいが、見るからに彼は周りから愛され立派に団員の一人としてそこにいる。入団して数日で何を言っているんだって感じではあるが、俺はまだ馴染めていない。用意されたずいぶん状態の良い部屋で寝かせてもらっているだけで、実際のところ何も貢献も出来ていないなと、待っていろと指示されたのに、待ちもせずに考えてしまうのだ。


 手持ち無沙汰な思いをなんとかしたくて、とりあえずこっそり練習を見学してみることにした。一応見て回る許可は出されていたはずだから、と例の森を通り抜ける。この森はというと実は特殊な裏技のようなものを使っていて、認められた人ならば正しく通り抜けられるのだという。例えば招待状を持った人や団員、動物等も。初めて一人で通り抜けた時は少しばかり不安があったが、ちゃんと抜けられたのでそれからは安心して通っている。例の会場の建物へと入り、そっと扉を開けてみれば流石公演前といえようか、俺の入団時はなかった綱や空中ブランコが設置されていた。


「おー…すっげ…」


人気のないステージ上、今は練習している人はいないのかと下に敷かれた分厚く柔らかそうなマットを眺めつつ呟けば、上から透き通った声が降ってくる。


「そこで何してるの?不躾な新人さん。」

「っあ、レベッカ先輩!?…こんにちは。」


慌ててもう一度上を見上げれば、少しばかり暗い照明で霞んでいたものの確かにそこに人影が見えた。空中ブランコの上に腰かけて休んでいるだなんて、十中八九彼女しかいない。何よりその言葉から、俺が初対面で足元の彼女を見つけられなかったことを根に持っているらしいこともわかったことだし、どう考えてもレベッカ先輩だ。


「なに、また私を見つけられなかったわけ?やぁね、どこまでも不躾な子。」


その高い位置に取り付けられた空中ブランコから、恐れる様子もなく厚いマットへと飛び降りてこちらへ歩きつつそうぶつぶつと呟いている。何かされるのかな、躾ならしょうがないけど痛いのは嫌だな、なんて考えていたのも杞憂で、彼女は俺の目の前に来るなり言った。


「で?何の用?私に会いに来たの?それとも会場を見に来たのかしら。もしかして練習の見学?」


こちらを見上げるガラス玉のような瞳にはもう怒りはなさそうで、純粋な疑問を向けていることがわかる。


「見学、です。」


そう伝えると彼女はにっこりと微笑み、衣装の飾り達をしゃらりとならしながら踵を返して空中ブランコのジャンプ台へと向かいながら言った。


「私、人に見られてると上手く出来ないたちなのよ。だから帰りなさいな、当日だって見に来るんでしょう?その時を楽しみにしてて。」

「あー…はい。あの、レベッカ先輩は軽業師…になるんですよね?でもオリバー先輩も軽業師だったはずで。分担はどうしてるんですか?」


その笑みと言葉に諭されたような気分になり、一つだけ疑問を投げ掛けるだけにしようとすれば、返ってきたのは今までのはきはきした声とは違う優しい声だった。


「ああ、あの子高いところが怖いって空中ブランコや綱渡りはやりたがらないのよ。それに…私の足みたいに平らな足じゃ玉乗りは出来ないでしょ?」


そう言ってまた彼女はくす、と小さく笑って見せた。




 公演当日、俺は裏方に回る団長の隣でその公演を見学することになっている。朝から団長と共に行動して、まず最初に連れられたのは寮の端の部屋。団長に促されるままその部屋に入ると、迎えてくれたのは人型の炎のような、不思議な小人だった。団長曰く炎の精霊らしい。


「アレン、君は珍しい子だ。この子達は初めて見る相手が近付くと逃げ隠れてしまうことが多いんだが…ずいぶんと落ち着いている。」


団長が興味深そうな顔でこちらを見てくるものだからなんだか嬉しくなってくる。その後はその精霊を率いて照明等の調整に向かったのだが、その小さな精霊たちを引き連れている団長が父親みたいでなんだか面白かった。


 あっという間に日は落ちて夜に。会場には多種多様な種族や年齢や性別の客が集まってきて、綺麗に席が埋まっていく。放送機械の並ぶ部屋で、慌ただしく照明の確認や客席の確認に動き回る精霊たちに受け答えをしながら時計を横目に見た団長が焦ったように呟いた。


「おっと…始まってしまうね。」


その言葉を合図にしたように会場の柔らかな照明が落とされ、辺りが闇に沈む。手元の機械を軽く弄った団長は、小さなマイクに口を寄せて


「本日はお越しくださりありがとうございます。仕事や学問、それどころか生きていくのすらも大変なこの世で、一夜の夢を御覧にいれましょう。」


とアナウンスをした。マイクを切り、なんとなく一歩後ろに立っていた俺を手招きして、素直に横に立てば肩を抱き寄せて言う。


「ちゃんと見ていなさい。君の先輩達の舞台であり…そして、次は君もあの中に立つんだから。」


確かにそれもそうだ、と納得して、とりあえずはその窓越しにステージ上を見つめる。始めに光に照らされ出てきたのはギルバート先輩だった。綺麗に一つ礼をして、どこからか流れ始めたBGMに合わせて演技を始める。まずはぶんぶんと手を振って見せた。何をしているのだろう、とそれを見ていれば、袖をごそごそと探りふわりと一輪の白い花を取り出した。入っていれば布が持ち上がるだろうし、花弁も多少は折れてしまうだろう。だがそれを感じさせない花であった。それだけでも歓声があがっていたのに、彼がその花をぽんぽんと上に投げる度に本数が増えて、最後には10本になってしまうのだからさらに歓声が大きくなる。その花を観客に確認させるように見せた彼は、今度は自分の腰に巻いた藤色のスカーフを解きその花束に被せ、取り去る。すると先程までは真っ白だった花が色とりどりに色づいていた。またもスカーフを被せ再び取り去れば、今度は鳩に。会場の薄暗い天井の方まで飛んで行く鳩を追う観客の視線を、パンパン、と手を打ち鳴らすことで呼び戻した先輩は、観客に自身の膝を示して見せた。途端にまた沸き上がる歓声。身を乗り出して見てみると、観客達の膝の上に一輪ずつ花が贈られていた。


「種がわかったものはあったかい?」


楽しげに問う団長に、俺はふるふると首を振ることしか出来なかった。視線を戻せば、ステージ中央に置かれた布幕のようなものの中に入ったギルバート先輩。早着替えというやつだろうか、なんて考えていたのも束の間、中から出てきたのはジュリア先輩だった。去り際ですらも手品師だ。


「彼女の芸は一瞬で終わってしまう。見逃さないようにね。」


団長が言うように、ジュリア先輩の演技は本当に一瞬一瞬の輝きを魅せるものだった。ベースはその両手に持った松明をくるくると回したり振ったり等する炎の揺れを見せるダンス。そしてもっとも会場が沸くのが、なんと形容したら良いのか”炎細工”のようなもの。その松明から燃え上がる炎がいろいろな形に姿を変えていくのだ。その炎はなぜか妙に惹き込まれるものがあって、俺もまた夢中で見つめていた。


「ほら、次が今回の彼女の目玉だ。」


団長がそう囁いた直後、彼女の手から織り成される火の鳥に完全に目を奪われて呆然としてしまう。いつの間にかステージの中央に水が張られていることにも、ディラン先輩がステージに出ていることにも気づかないほどに。顔合わせの時にも皆公演衣装だったはずなのに、彼はその時には着けていなかっただろう目元を隠す仮面を着けていた。ジュリア先輩とディラン先輩の演技はどこか似ていて、ディラン先輩の演技は自分の歌声で水を浮かせ形を作るものだ。星や魚、特に大きな鯨は見事で、先程のような歓声というよりも感嘆の声が響いている。透き通る水のような、彼らしい歌声が終わると浮かんでいたまぁるい水は、支えを失ったように崩れてぱしゃりと音を立てた。頭を下げると同時に鳴り始める拍手の音に安堵したような表情を浮かべた彼は、そのまま泳ぎ戻っていく。直後、スポットライトが上へと当てられた。


「レベッカ先輩…だ。」


数日前見せてはくれなかったその芸は洗練されていて、誰かに見られていると上手く出来ないだなんて言葉が嘘に感じられるほどには美しい。ジャンプ台から飛び降り目の前のブランコを掴み、飛び移る合間にくるりと回転してみたり体の向きを変えてみたり。彼女の衣装の飾りが当てられた光を反射してきらきらと輝くのがまた、煌びやかで美しく、思わずこちらまで感嘆の声が漏れ出る。ここまで輝いていれば、初めて彼女を見た客だろうと彼女の存在に気づけるだろう。その身のこなしに感心しつつちらりと下を見やれば、いつの間にかステージは普通の床に戻っていた。上でレベッカ先輩が演目を終えると、今度はまたスポットライトが下に。玉に乗ったオリバー先輩がステージに上がった。その身軽さは本当に自力で動いているのか不思議なほどで、もしかしたら天井から何かで吊るされているのではと思うほど。玉に乗っているだけでもすごいのに、そのまま移動したり、その上で逆立ちしたりして見せている。その可愛らしい見た目もあってか、心配と母性の入り交じる目で見ている客が多い気がした。これもまたオリバー先輩の強みの一つだ。


「次はルカだよ。彼、結局夕食の希望権をもらって機嫌が良さそうだったし調子も良いんじゃないかな。」


ああ、猫ちゃんの番かと贔屓するつもりはないのになんとなくじぃっと見つめてしまう。右手にクラブ、左手にボールを持ち、優雅に礼をしたルカ先輩はまずボールを投げ始める。スタンダードにくるくると回す、速度に緩急をつける、背中側に回したりなんかもしていて、ボールだけでもこんなに飽きないものかと妙に感心した。けれど、本番はクラブだったようだ。クラブも最初はスタンダードに、高さを変えて、投げ方を変えて、その後。クラブから、突然紙吹雪が舞った。


「面白いだろう?あれは彼の仕掛けだ。勉強熱心な子でね、ああいうのは全部自分で考案して作ってる。」


沸く歓声に満足気に笑みを浮かべた彼は、最後までクラブを落とすことなく演技を終えてステージを去った。紙吹雪の中に二体の人形を残して。へたり込むように座らされたその二体へ客が注目する。注目を浴びたその二体は唐突にゆらりと起き上がり、動き出す。暫くとことこと歩き回ったかと思えば、BGMに合わせて踊り出した。オリバー先輩のような種族とは違い、明らかにへにゃりとしたぬいぐるみだったのにも関わらず細かい動きまでもまるで命が宿っているかのようにこなしている。客の一部は自分の目を疑うように首を傾げているのだから、この芸はまさに大成功だ。そして終盤、ダンスも終わり、人形達が決めポーズをしたと思えば急に照明が落とされた。観客のざわめきが目立ち始めた時、また会場が明るくなれば、ステージ上には人形を抱きかかえたマリー先輩が立っているのが見える。鳴り響く拍手に嬉しそうに応えながら、マリー先輩もまた退場。同時に入れ替りで上がったのはノエル先輩だ。


「彼女も上達したな。…さて、最後だよ。フィナーレ。」


彼がステージの中央に立つと同時に、円形のステージの周りを囲うように均等に的が立てられる。腰に携えられたナイフはギラリと光り、それを手に取る彼の表情もまた凛々しい。指の間に挟むように片手に4本ずつ持たれたナイフに、観客の目が奪われる。そして次の瞬間、ノエル先輩は腕を大きく振るい、そのナイフを投げた。だんっ、と鈍く硬い音が反響する。投げる的の先が観客席だからなんとなく怖くて目を瞑ってしまっていたが、薄く目を開けてみれば、その八本のナイフが見事にそれぞれ的に刺さっているのが見える。自分の命が懸かったからだろうか、鳴る拍手は、沸く歓声は誰よりも大きい。それを暫し楽しんでから、こちらにまで達成感の見て取れる表情で、ノエル先輩はもう一本ナイフを取り出し頭上へと投げた。小さな破裂音がしたと思えば、観客席へと降り注ぐ花弁の雨。その美しい景色の中で彼は衣装のスカートの裾を摘み淑やかに礼をし、ステージ裏に続く道へと消えた。団長が隣で何かアナウンスをしているような気がするが、なんだかもう、余韻のお陰で耳に入ってこない。今回の見学で確かに学べることはいろいろあったが、最終的に言えることはただ一つになってしまった。窓越しに見ただけでこんなにも高揚するのだから、直に目にしたのなら。


きっと誰もが、この舞台に恋をする。

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