影、影、影

nobuotto

第1話 影スプレー

「おおーい。始まるぞ。今から始まるぞ。ホントにすぐに始まるぞ」

 苛立った大兼の声が研究所内に響き渡った。

 もうそろそろ50歳にもなる大兼浩二はその名前通りの大柄で声も大きかった。

 所長室のドアが勢いよく開いて、白衣を着た井伊芳雄が「済みません、遅れました」と汗を拭き拭き入ってきた。

 大兼は「残業」とまで言って口ごもった。

 井伊は、毎日好きで残業している。井伊にとって残業は「ご苦労様」でなく「普通の幸せ」なのだった。

 「そう慌てることはないさ。まあ、特等席に座りなさい」

 そう言って、自分はソファーの端へどくと、井伊を真ん中に座らせた。

「沙織、沙織、沙織、さーおりちゃーん」

 ドアの向こうの「うるさい」という声と同時に、大兼の姪の沙織が髪の毛をバスタオルで拭き拭き入ってきた。

 井伊も沙織も研究所の最上階で暮らしていた。

「だからさ、なんで今見なくちゃいけないの。私も録画してるから後で見るっていうの。えっ、なにそれ」

 ソファーの前のテーブルには、ワインが2本と、Lサイズのピザ、そして刺し身の盛り合わせが所狭しと置いてあった。

「おじさん、放送時間は10分って言ってたじゃない。10分でこれだけ飲み食いするわけ」

「まあ、まあ、久しぶりに研究所がテレビに出るんだから。録画もしてるから、ゆっくりたっぷり見しましょうよ。ほら、座れ座れ」

 ぶつぶつ言いながら沙織は井伊の横に座った。


 目の前の大型テレビに流れているビジネス番組が、経済ニュースから「ほっとけないホットテクノ」コーナに切り替わった。

 コーナー担当の若手の女性アナウンサーがアップで写される。

「今週の””ほっとけないホットテクノ”は今静かなブームとなっている”影スプレー”です。この”影スプレー”を発明された大兼研究所に秋山アナウンサーが先日お邪魔しました」

 画面が切り替わり、大兼研究所が映し出された。

 秋山が先端研究室と大きく書かれたドアを開けて中に入っていく。「神しか作れない影スプレー」と大きく書かれたパネルの横に燕尾服を着た大兼と、白衣を着た井伊、桜田が立っている。

 秋山は三人に挨拶をすると「まずは、”ほっとけないホットテクノ”影スプレーを御覧ください」と机の上にきれいに並べられた影スプレー缶を紹介した。



「うむ、やはり全カットか」

 大兼がうなる。

「当たり前じゃないの。おじさんの自慢話しの番組じゃないんだから。昔の発明の話を延々30分もして。秋山さん本当に困ってたわよ」

「それだけで番組終わっちゃいますからね」と井伊も相槌を打った。


 研究室の床に写っている沙織の影を井伊はスプレーで固め、剥ぎ取って秋山に渡した。

「ああ、冷たい」と秋山は自分の頬にあてる。

「これが、話題の影スプレーです。それにしても影がこんなに冷たいなんてとても不思議です」

 秋山が井伊の前にマイクを差し出した。打ち合わせ通りの進行である。

「温度差が大きいほど冷たくなります」

 秋山がスタッフから影を受け取る。

「これは、外で固めた影です。確かにこちらの方が明らかに冷たいですね」

「はい。温度差です。自分と研究室の床だと温度差があまりないですが、外だと陽があたっている自分と道路の影との温度差が大きくなります。その分影も冷たくなります。同じ外で影を剥ぎ取った場合でも、コンクリートでなく、土の道だともっと温度差があるので冷たくなります」

「炎天下のプールで、水面に写った影をとると、氷か!!ってほど冷たくなりますよ」

 急に割り込んできた大兼を静かにどける秋山であった。

「それでは、この発明が生まれたきっかけについて、お聞きしたいと思います」

「はいっ」

 元気よく手を上げて一歩前に出てきた大兼に秋山がマイクを向けた。

「常々考えていたのですが、世の中には、ホッカホッカになるカイロがあるので、なぜ、冷え冷えになるカイロがないのか、これは大問題であると」

「けれど、保冷剤がありますよね」

「確かに。しかし、それは答えではないのだと、神が私につぶやいたのです。思い起こせば2年前の夏でした。有名な私の話しを聞きたいという要望で、とある中学校に講演に行きました。まあ、講演料は雀の涙、用意されたホテルが、ホテルとは名ばかりの安宿で、痛い」

 早く話を進めろと沙織が大兼のおしりをつねった。

「で、運悪く風邪にかかり熱がでましてな。ホテルの人に薬をもらい、保冷枕を買ってきてもらったのですが、なんと安宿で冷蔵庫が壊れていたのです。いくらなんでも、ひどいでしょ。じゃあ、なんのために冷蔵庫をおいているかと思いませんか。宿についた時から、なんか嫌な予感が、痛い!。兎に角ですね、私は、熱にうなされながら、冷凍しなくても冷たくなる製品が世のため人のために必要だと思いついたのです。これこそが天才発明家に神が与えた啓示ですな。発明の種というのは、神が天から播くようなもので」

「なるほど。その話だけで、井伊さんが研究を始められたわけですね」

 秋山は井伊にマイクを向けた。


「その話だけって、この言い草はないよね。あの時も、不愉快だったが、こうして当時のシーンを改めて見ると…」

「いいから静かにして」

 沙織の言葉で大兼は黙るのであった。


「はい、所長に作れと言われ研究を始めました。最初は保冷剤の素材に注目しました。冷やさなくても衝撃で冷える素材、ほっとけば冷えちゃう素材などの研究をしました。色々試していたのですが、うまくいかなくて」

「なるほど、そうした中で、先程大兼先生が話されていた神の啓示のように、影スプレーを思いついたのですね」

「はい。忘れもしません、去年の猛暑日でした。昼に所長と近所の定食屋で昼ご飯を食べての帰りでした。本当に、その日は、暑くて暑くて」

「いやあ、死ぬかと思うほどあの日は暑かった」

 大兼が大きくうなづく。沙織は邪魔をするなと言うように、大兼の手を引く。

「その帰り道ですが、所長がずっと私の後ろをつけてくるように歩いてたのです。大きな身体を屈めながらです。所長に何をしているのかと聞くと、私の影に入っていると言われました」

「井伊さんを盾にしていたということですね」

「はい、そこで、影に入れば涼しい、つまり影こそが、この問題の答えなんだと気づいたんです」

「ひと月ほどでスプレーの原料を開発したとお聞きしたのですが」

「はい。アイデアさえあれば、実現するのは簡単ですので」

「井伊は、私の1番弟子で、私の次に天才と認めた逸材でしてな…」

「確かに」と秋山は言うと井伊にマイクを向けた。

「影スプレーもこれからまだまだ進化していくということでしょうか」

「はい。影スプレーは、1缶3000円で、1缶で取れる影は20枚程度です。そして5分くらいで消えてしまうので、もっと安く長持ちさせることが課題です」

「そうですね。今のままでは、保冷スプレーや、保冷枕などのほうがコスパはいいですからね。これからの進展に大きく期待して「ほっとけないホットテテクノ」コーナは終了です」


 大兼がパチンとテレビを消した。

「やはり、私の話は、ほぼほぼ全カットだな。そんな予感はしたが」

「当たり前でしょ。井伊さんの話の間にダラダラ自慢話しばかりいれて。これだけ残してくれただけでも感謝よ」

「しかし、最後の一言はないだろう。褒めてんのか、貶しているのかわからん。実にけしからん」

「いえ、秋山さんのいう通りです。課題は多いです。開発を進めていますが、大幅な改良は難しそうです。結局原材料の調達とコストという問題が…」

「大丈夫、大丈夫。神の啓示でできた影スプレーだ。今も売れに売れている。これからどんどん売れるぞ。この研究室も手狭になってきたなあ、引っ越すか。それから、研究員をもっと雇うか」

「あのね、おじさんはそうやって少しうまくいくと過剰投資して、失敗してきたんでしょう。大兼研究所でなく、大法螺研究所ってママが言ってたわよ。今は絶対にじっとしてて、絶対よ」

 大兼は静かに頷いた。


 結局、沙織が心配していたことが現実となった。一時は売れたが、秋山の指摘通り、1缶3000円はそれなりの値段で、その割にはすぐに影は消えてなくなる、コスパが悪いということで、影スプレーはすぐに在庫の山となっていった。

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