エピソード4, 死神は僕を殺さなかったから


 珍しく現代の物語を書いていたようです。

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 既に空は茜色に染まり、夕日は建物の影へと吸い込まれるようにして西の空へと沈んでいく。

 これが最期に見る景色の一つかと思うと、さほど珍しいものではなくとも感慨深く感じられた。


「此処に人が来るなんて珍しいなぁ」


 突然、男の低い声が僕の耳に入った。

 振り返ると、数歩後ろには見るからに怪しい人物が佇んでおり、僕は自然と身を固くさせる。


「俺は【死神】という者だ。初めまして」


「……何のようですか?」


 声を掛けられ男への警戒心は更に積もる。緊張からか口から出た僕の声は普段よりも固かった。


 そんな僕の様子に死神を名乗る男は愉快げにこちらを眺ていた。


「そっちこそ何故此処にいる?」


 死神は僕の質問に応えること無く質問に質問を返す。

 恐らく僕がここですることなど見透かしているからだろう。

 もしくは死神だからだろうか、人の死というものに敏感なのかもしれない。


「わかっているでしょう?僕が今から何をするのか?」

「――あぁ、分かるが理由までは知らない」

「貴方に教える義理も無いですから言うつもりは無いですよ」

「それもそうだな」


 この死神は何がしたいのか。ただ邪魔がしたいだけなのであれば質の悪い死神である。

 早々にこの場から退出して欲しい。

 この死神がいるからいつまで経ってもけじめを付ける準備すら儘ならない。


「勇気もないのに下らないことをするんだな」

「僕の勝手だろ」


 心境を見透かしたようにそう言う死神の言葉は無神経であり僕の神経を逆撫でさせた。


 銀の手すりを持つ手の平に自然と力が込められる。それでもここから飛び立つ勇気は死神の言う通り微塵も感じ取れなかった。―あるのは覆い尽くすような恐怖のみである。


「……。」


 高層ビルの屋上は地上よりも冷たい風が頬に突きつけ、癖のある髪先を鼻に掠めさせる。

 薄いワイシャツ姿では初夏の始まり頃と言ってもまだ肌寒くて、両腕には無数の鳥肌がたっているようだ。

 視線の先に見えるのは高く聳え立つ幾つもの高層ビルとマンション、帰宅途中の会社員や学生もここからでは十分に見下ろすことが出来た。


「……今ならまだ間に合う、引き返すんだ。」

「もう何度も引返しましたよ。ここ数ヶ月で6回程ね」

「じゃあこれで7回目だな」

「いえ、今日で終わらせます」


 怪訝な表情を浮かべる死神を横目で見ながら僕は深呼吸を繰り返した。耳元で音を立てる心臓は未知の恐怖によって痛いぐらいに脈を打つ。


 どくん……

 どくん……


「――僕だってさ、本当はこんな事したくなかったさ」


 恐怖を紛らわせるために口を開くと、溢れたのは懺悔のような言葉だった。


「……。」

「でも、今は死にたくて、死にたくて堪らない」


 目の前の手すりを飛び越える。

 振り返ると、そこには無表情に僕を見つめる死神がいた。

 その瞳はどこか死神には似合わない哀しみの色を宿しているようで、人間と同じように死神にも人を労る気持ちがあるらしい。


 そんな事を嬉しく思いながら僕は幾らか余裕のできた心境で体を傾けさせた。


 今まで体験したことのない浮遊感に襲われながら体は地表へと落下していく。


 まるで映画のスクロールのように景色は次々に真横を通っては流れていく。その時間は僕にはとてもゆっくりに感じられて、これから死を迎えるというのに思考はぼんやりとしたままであった。


 先程までの恐怖も哀しみも喜びも何もない。

 ただ、体が落ちていくのと同時に意識も徐々に沈んでいく。


 一瞬の激痛と、人々の喧騒



 そして僕は闇に呑み込まれた。



 目を開けるとそこには見覚えのある空間が広がっていた。色褪せた灰色の壁紙と質素な木製机、自身の寝転がっているのは薄っぺたな敷布団と枕。


 いつも目が冷めてから見る光景に、ここは僕の部屋だとすぐに気付いた。


「……っ!?」


 体を起こした僕は視線の先何かが転がっているのを見つける。その塊に僕は思わず息を呑んだ。目を凝らし、それが本物なのか何度も目をこすってはまじまじと見つめる。


 しかしそれは紛れもなく幻影ではない、本物であった。

 そして、さっきの光景は夢などではなかった事をそれは証明している。


 なぜなら僕の部屋にはあの【死神】が床に寝転がっていたからだ。


「んー…」


 むにゃむにゃと寝言を言いながら寝返りをうつこの死神はまるっきり人間にしか見えなかった。


「……死神さん、起きていますか?」

「んー…?、何だぁ誰だぁ?」

「昨日ビルの屋上であった人間です」


 そう口にすると死神はやっと目を開けて体を起こす。

 その瞳は血を塗り固めたような鮮やかな赤色であり自然と視線を釘付けにした。


「あぁー……思えばそうだったな」

「何か僕にしましたよね?」


 あのとき僕は高層ビルの屋上から飛び降りて死んだはずだった。

 それなのに僕は生きている。

 この死神が僕に何かしたというのは明白だ。


「そうだな……端的に言うと俺がお前を殺さなかったからだな」

「あんたが俺を殺さなかったから……?」

「人が死ぬのはさ、【死神】に魂を刈られてその魂を回収されるからなんだ。つまりお前の魂を俺が刈らない限りお前は死なない。いや、語弊があったな魂は生きている状態だ」

「と言うと?所謂幽体離脱と言うものですか?」

「今は魂だけの状態だからそういうことになる」


 どうやら僕は魂だけの状態であるらしい。

 しかし、体は普通に触れる事ができる他、声を出すこと物に触れることもできた。

 本当に魂だけの状態なのか実感が湧かない。


「お前さんはこれから俺の助手になるんだよ」

「はい……?」


 唐突すぎて僕は死神の言っていることが理解できなかった。思わず口をぽかんと開けたまま立ち尽くしていたようで『まるでアホ面だな』と死神に呟かれる。


「助手とは?」

「死神の仕事を手伝うんだ」

「それ、僕やってもいいんですか?」

「……人間界のバイトと同じものだと思え」


「給料は発生しないがな」と死神は何が面白いのかクククッと喉を震わせながら笑みを浮べていた。


 どちらかと言うと新手のヤ◯ザにも見えなくはない……。


 こうして自殺行為をしようとした僕は何故か意識のあるまま霊となってしまい、死神の助手となってしまったのだった。










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