第49話 帰りたいです

「お嬢様、おかえりなさいませ」

 部屋へ入ると侍女のベスが待っていた。私の帰宅後の着替えを手伝ってからお茶を入れ、その後予定が無ければベスは自宅がある王都に帰宅する。自宅と言ってもスコット侯爵家の従業員専用宿舎で、家族皆で暮らしているのだ。

 私が王太子妃になれば、ベスはスコット侯爵家に戻るので、一緒にいられるのもあと少しだ。10歳年上だったベスも目覚めた時には20歳年上になり子供2人の母親になっていた。それでも今の生活に馴染めない私の為に、スコット侯爵家からわざわざ王宮まで通ってきてくれている。

「いつもありがとう」

 温かい紅茶を入れてもらい、ホッと息を吐いてお茶を飲んだ。学園生活と王宮生活、どちらもそれなりに慣れてきたがやはり疲れる。スコット侯爵家に帰りたいと何度か伝えようとしたが、その度にアレン兄様や文官が真っ青な顔で首を振るので言い出せないままだ。

「どうされましたか?」

「お礼が言いたい気分だったの。いつも王宮まで来てくれてありがとう。ベスがいてくれるから、少し気が休まるの。まだ慣れないことが多くて…。本当は家に帰りたいのよ…」

「そうですわね。アレン様も王太子殿下に進言しようとは思われているそうですが、なかなか厳しい雰囲気ですわ」

「そうよね。一度学園から家に少しだけ帰ろうとしたら大騒ぎになって、結局それからは王宮からの迎えの馬車が来るようになって、必ずそれに乗っているものね…」

「デビュタント前には必ず帰すと、王太子殿下もお約束してくれていますから、それまでの辛抱ですわ」

「デビュタントまで、まだ半年あるわ…流石に長いわよ。何とかそれまでに帰りたいわ。最近は夕食も一人だし、食べる気がしないのよ」

 アルバート様は時間があればなるべく一緒に食事をしてくれるが、最近は多忙で時間が無く一人の時が多かった。家族で食事をしていたのが懐かしく感じるのだ。

「そうでしたか、スコット侯爵家はご家族で夕食を取るのが決まりでしたものね…。分かりましたわ、それではうちの若奥様に助けていただきましょう。きっとアレン様よりも頼りになります」

「若奥様って、キャサリン様?」

「はい、今日帰宅しましたら、一度ご相談させていただきます。きっと王太子殿下を説得してくださいますわ」

 説得なのか脅迫なのかはわからないが、キャサリン様なら何とかできるかもしれない。

「ベス、ではそのようにしてくれる?」

「はい、お任せください、お嬢様」


 次の日、学園から戻るとキャサリン様が部屋で待っていた。

「早速来てくださったのですか?」

「ええ、当たり前よ。アル兄様も大人気ないのよ。ずっとクリスといることが出来ないのに、王宮に一人で居させるなんて、クリスが可哀そうだわ」

「そんな大袈裟なものではないのですが、目覚めてから一度も帰れないのでホームシックのようなものだと思うのですが…」

「結局お兄様の我儘にクリスが巻き込まれているのよ。今は忙しい時期なのかアレンも余り帰宅できていないの。それならばクリスはスコット侯爵家に居た方が、きっと楽しいと思うのよ。うちには天使が二人もいるし、きっとクリスに懐くもの」

 天使二人とは、キャサリン様とアレン兄様の息子ジョシュア君とアダム君だろう。まだ二人には会えていないので、ぜひ会って遊んでみたい。

「勿論私も楽しみにしているし、クリスが帰って来るなら領地にいるお義父様もお義母様もすぐにタウンハウスに来られるわ。近くに住んでいるミランダ義妹様も呼んで、きっと賑やかで楽しいわよ」

 キャサリン様の言ったことを想像して、私の心は一気に傾いた。

「帰りたいです。みんなでご飯が食べたい…」

 言葉にすると、ポロポロと涙が溢れた。やはり私はホームシックになっていたようだ。

「だ、そうですわよ。アルお兄様」

「…え?」

 振り向いたら、扉の向こうからアルバート様が現れた。どうやら奥の部屋の扉のところで話を聞かれていたようだ。

「クリスを帰らせてあげて下さい。このまま一人ぼっちで王宮に閉じ込めるのは、愛なんかではありませんわ。護衛も警備体制も、王宮でなくともスコット侯爵家ならば十分に整えることが出来ますわ。デビュタントが終わり、アル兄様の元へ嫁ぐまで、どうか我が家へお戻し下さい」

「アルバート様、私、帰りたいです。お願いします」

「わかったから泣かないで。明日帰れるように手配するから。今日はここで過ごしてくれないか?」

 私は泣きながらコクリと頷いた。なかなか泣きやまない私を抱きしめて、明日待っているわと言ってキャサリン様が帰っていった。

「クリス、少し話してもいいか?」

「はい…」

 二人分のお茶を用意してから、ベスが帰宅すると言って部屋を出ていった。

「ごめんクリス。ずっと我慢させていた。分かっていたんだ、君が家族を愛していることも、寂しがっていることも、それなのに君と離れることが不安で、気づかないフリをしていた。我ながら最低だったと思う。でも、嫌いにならないで欲しい…」

「ふふふ、今更ですよ。私はそんなアルバート様も含めて好きなんです。でも、家に帰してくれてありがとうございます」

「そんな可愛いこと言われたら帰したくない…」

「それは困ります。帰してください。休日は遊びに来ますし、婚礼の打ち合わせもありますから、ずっと会えないわけではないですし…」

 アルバート様は寂しそうにこちらを見た。私も今までより会えないのは寂しいと思う。でも家が恋しいのだ。

「はぁー分かったよ。今回の件は私が悪いのだから、そこは反省して我慢する。その代わり、毎晩声を聞かせてほしい。ほんの数分でいいんだ」

 アルバート様は私の手首に嵌まっているバングルを優しく触った。

「これですか?」

「ああ、お互いが魔力を流せば会話ができる。ずっと魔力を流すのは辛いだろうから、少しの間だが、例えば就寝前に少しだけ、その日あったことを話してほしい。クリスの声を聞きたいんだ」

「はい、私もアルバート様とお話しできるのは嬉しいです。一緒に居たくないから家に帰りたいのではないのです……」

「分かっている。家族を恋しがるクリスに、私はずっと我慢を強いていた。守るつもりだったのに、泣かせてしまった。許して欲しい、愛している、私のクリスティーヌ」

 優しく頬を撫でられ、アルバート様の大きな手がぎこちなく目の下に触れた。思わず目を閉じると、唇に温かいものがゆっくりと触れ、離れて行った。

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