第6話 王子妃教育を受けましょう

「初めまして。スミス子爵の妻、マリアンヌと申します。元々は王妃様にお仕えしていた侍女でしたが、結婚を機に引退しておりました。今回お二人に王子妃としてのマナーなどを指導させていただきます。以後よろしくお願いいたします」

 30代中ごろの年齢のマリアンヌ先生が、私たちの前で綺麗な淑女の礼をした。

「お二人とも侯爵令嬢でいらっしゃいますので、基本的な事は出来ている前提で進めさせていただきます」

 先生の言葉に私は頭が真っ白になった。確かに私は侯爵令嬢だ。しかし5歳からほとんど外の世界とは遮断されて、令嬢としての振る舞いなど、引き籠りには必要なかったのである。さすがに挨拶程度は問題ないと思うが、果たして私の仕草が令嬢として合格ラインなのかは自信がない。

「あの、マリアンヌ先生。基本とはどの程度のことを指されていますか?」

「そうですね。テーブルマナー、淑女の礼、社交する際のルールなどでしょうか?」

「あの、私はずっと体が弱く社交の場に出たことがほとんどございませんが、大丈夫でしょうか?」

「クリスティーヌ様の家庭教師をしていた方からは、問題ないという回答を頂いておりますので、大丈夫だと思いますわ。わからないことは、その場で質問していただければお答えいたします」

 どうやら引き籠っている私が困らないように、お父様がちゃんとした家庭教師の先生を雇ってくれていたようで、特に困ることなく1日目の授業を終えることが出来た。


「では、また明日ですわね。課題頑張りましょうね」

 ジョセフィーヌ様が、私に微笑んでから侍女と一緒に去っていった。私もこの後の予定はないので、このまま誰にも遭遇せずに帰宅したい。

「おや、私の愛しの婚約者殿は、私の顔も見ずに帰ろうとしているなんて、まさか、そんなこと無いよね?」

 背後からそう声がかかって、私は小さく肩を跳ねさせた。ゆっくりと振り向けば、そこには相変わらず美少年なアルバート様が立っていた。

「…ごきげんよう。殿下は多忙だとお聞きしていますから、私が訪問して貴重な時間を割いてしまうのは忍びなくて、ですので、ここは即刻家に帰りたい…ではなく、帰ろうと思っております」

「ふ~ん、それは気遣い感謝するが、あいにく今から暇でね。本当に久しぶりに顔を合わす婚約者とお茶でも飲もうかと思っているんだ」

 我が家に届く沢山の贈り物、その中には王宮に顔を出さないか?というお誘いもあった。だが、自分のメンタルに自信がない私は、それらの誘いを体調不良を言い訳にお断りしていた…うっかり顔を見て惚れてしまっては元も子もないのだ。贈り物に対するお礼の手紙や、街で人気の焼き菓子をお礼に送ったりはしていたのよ、一応。

「あの、でも、…」

 言い訳をフル回転で考えていると、アルバート様の背後からもう一人の人物が登場した。

「クリスティーヌ、久しいな。王宮で何をしている?」

「殿下、お久しぶりでございます」

 ドクドクと心臓が悲鳴を上げた。顔色はみるみる青ざめ、体がプルプルと震える。何とか淑女の礼で挨拶は出来たけど、心はパニックになっていた。

「そんなに震えて、僕に会えたのが嬉しいのか。どうだ、これから休憩しようと思っていたんだ。一緒に来ないか?」

 え??私がギルフォード殿とですか?無理です、今ですら吐き気と眩暈が酷いのに、ご遠慮したい…

 下を向いたまま、どうしたら円満に遠慮できるか考えていると、私の前にアルバート様が立ち塞がった。

「兄上、クリスは私の婚約者です。今から二人でお茶を飲む約束をしているので、今回はご遠慮下さい」

「む、そうか、それならば仕方ないな。月に一度の茶会は4人でするように侍従に言ってあるから、その時に会おう」

「え…」

 ギルフォード殿下はそのまま廊下を歩いて行ってしまった。4人でお茶会って……

 クラリと眩暈がして、アルバート様が慌てて私を支えた。後ろに控えていたベスも隣で支えてくれた。

「ごめんなさい、少し眩暈がして、いつものことで少ししたら落ち着きます」

「そうか、それならばお茶を用意していた部屋に行こう。座っていた方が楽だろう」

 案内された部屋の3人掛けのソファーにもたれ掛かって、ふうっと息を吐いた。

「顔色が悪いな。王宮の医師を呼ぼうか?」

「あ、いえ、このままで大丈夫です。少ししたら回復します。ご迷惑をお掛けして申し訳ございません」

「いや、気にしなくていい。それにしても、やはり体が弱いというのは本当なんだな。私の前では元気にしていたから、真偽を測りかねていたが…」

「不思議とアルバート様は大丈夫なのですが、事故で男性が苦手になってしまい体調を崩すことが多くて…」

「そうなのか…では、先ほど兄上と接近したため、倒れたのか…?」

「申し訳ございません…」

「いや、謝らなくていい。では4人でお茶を飲むのは、クリスにとっては大変な事なのだな?」

「はい、ですがお断りは出来ないので、何とか頑張ってみようとは思っています」

「そうか、では出来るだけこちらで助けよう。体調が悪くなったら遠慮なく言って欲しい。体が弱いということは兄上も承知しているのだから、お茶会の途中でぬけても文句は言わないだろう」

「ありがとうございます。アルバート様」

 優しい心遣いに、思わず惚れてしまいそうになって慌てて俯いた。拙い、このままだとチョロい私のメンタルが今にも白旗を上げそうだ。

「どうした、まだ辛いならやはり医師か治癒魔法師を呼んだ方が…顔色が赤いし目も潤んでないか?」

 アルバート様がそっと私の頬に触れ、顔を覗き込んでいる。寒気や吐き気はないが、このままでは心臓が爆発しそうだ。

「あ、あの、大丈夫です。もう少しすれば、いえ、今すぐ家に帰ります!!その方が良くなるような気がします」

 私はベスに支えてもらい、心配するアルバート様を振り切って馬車に乗り込むと頭を抱えて悶えた。

「何、どうしてこんなに素敵に見えるの?今までクズ男しか知らないからかしら?チョロすぎるでしょ私…」

 10歳のアルバート様にゴッソリ精神を削られ、私は今更ながら婚約者になったことを後悔した。27歳の私、せめて大人な対応で乗り越えて欲しい。

 16歳で成人するまで後8年。隣国へ行く、それだけが心の支えだ。


 3日連続で王宮へ通い、残り4日で出された課題をこなす。王子妃教育はその繰り返しだった。月の最終週に4人のお茶会が開かれ、吐き気と戦いながらもなんとか乗り越えた。

 4人でお茶をするのにも慣れた頃、ジョセフィーヌ様が4人で集まるのも最後だと言った。

「折角クリスティーヌ様とも仲良くなれたのに残念なのですが、ギルフォード殿下と私は来月より魔法学園に行くので、今後は王子妃教育も別々のカリキュラムになりますわ」

 引き籠り生活が長い私は、あまり触れる機会がなかったが、この世界には魔法が存在している。貴族は魔法量も多く、13歳の年の春に魔法学園に入学することが多い。18歳で卒業する6年制で、私は5年生になったら隣国の魔法学園に留学して、そのままそこで運命の相手を見つけるつもりだ。

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