第17話 撤退戦は迅速に

 一同を率いるガードの足取りに、迷いはなかった。


 既に周辺の地理は把握している。

 索敵も十分に行っていた。


 最短で最適な道を選択することなど、造作もない。

 むしろ、後続を置き去りにしてしまわないよう速度を調整することに一番気を使っているくらいだ。


「んっ……」


 と、ガードの頬がピクリと動く。


「ねーちゃん!」


「はい」


 呼びかけると、最後尾から瞬く間にポーファが追いついてきた。


「では、ここは私が」


「うん、任せたよ」


 そんな短いやり取りで、姉弟が意思を通じ合わせたのとほぼ同時。

 ベキベキと周囲の木々を薙ぎ倒しながら、何かが出現した。


「イ、イビルベアっ!?」


 誰かの裏返った声が響く。


 現れたのは、二階建ての建物程もある巨大な熊に似た魔物だ。


 その目は赤く爛々と輝き、凶暴な光を宿している。

 体毛は最早生物のものとは思えない程に硬そうで、むしろ金属に近い印象を受ける。


 イビルベア。

 ドラゴンよりは幾分落ちるとはいえ、逆に言えば幾分しか落ちない程度に危険視されている魔物だ。


 スタンピード期には度々その姿が見られ、その場合は最重要ターゲットとして指定される。

 多くの冒険者に狙われると同時に、それよりずっと多くの犠牲者を生み出す存在だ。


 とはいえ。

 やはり、ドラゴンと比すれば与し易い相手ではある。


 学園生だって、まだ卵とはいえそれなりに鍛錬を積んでいるのだ。

 仮にこの場で倒し切ることは叶わずとも、年少組を庇いつつの撤退戦ならば十分に逃げ切れる可能性はある。


 にも関わらず、一部の例外を除いて一同の表情は等しく険しかった。


 なぜならば。

 そこに現れたイビルベアの数が、十を超えていたから。

 群れを成さないと言われているイビルベアでは、考えられない事態だ。


 しかし、その原因を探ろうとする者など誰もいなかった。

 どんな原因であろうと、事実に変化が生じるわけではない。


 一体だけでも全員で撤退戦に賭けてようやく逃げ切れるかどうかという脅威が、絶望的なまでの物量で押し寄せてきたという事実には。


 そんな中、場にそぐわぬ軽い足取りでイビルベアに向かっていく少女が一人。


「ポー、ファ……」


「ポーファ、ちゃ……」


 リースとサリィの二人が、掠れたでその名を呼ぶ。

 一瞬だけ彼女たちに振り返り、ポーファは笑みを向ける。


 いつもと全く変わらない笑顔だ。


「ぼ、ぼぼぼ僕が援護しよばはっ!?」


 震えながらもポーファに続いて駆け出そうとしたオリギネットが、一歩目を踏み出した瞬間にすっ転んで顔面から地面にダイブした。


 緊張していたのは間違いないが、足をもつれさせたりしたわけではない。


「な、なっ……!?」


 目を白黒させながら、オリギネットは自身の足元に目をやる。

 彼の足首を、巨大で真っ黒な『手』が掴んでいた。


 闇系統魔法、『影手』。

 本来であれば小石を投げる程度にしか使えない初級の魔法だが、ガードの魔力量で扱えば人一人を拘束する程度は容易いものとなる。


「ここはねーちゃんに任せて、皆は僕と避難を!」


 オリギネットの足を『影手』で掴んだまま、ガードは他の者に向けて声を張り上げた。


「バカなっ!? 君は、姉を見殺しにすると言うのか!」


 オリギネットが悲痛な響きを伴わせて叫ぶ。


「僕らがいても、ねーちゃんの邪魔になるだけです」


 今度は幾分声量を抑えて、ガードはそう返した。


「くっ……!」


 オリギネットが悔しげに顔を歪ませる。

 頭の中には、例の決闘で圧倒的な差を見せつけられた場面を思い出しているのかもしれない。


「ねーちゃんなら大丈夫ですので、早く」


 そう促すガードの声に表情に、揺るがぬ信頼を見て取ったのか。

 生徒たちが、ポツポツと足を進め始めた。


 リースやサリィなどはかなり後ろ髪引かれているようだったが、やはり足手纏いになる自覚はあるのか不安げながらもガードの指示に従っている。


 それらを見て、ガードは再び先頭に立って走り始めた。

 『影手』で、オリギネットを引きずって。


「ちょ、待っ!? わか、わかったから! 自分で走る!」


 そんな声に応じて、『影手』を解除する。

 するとしばらくして、オリギネットがガードの横にまで追いついてきた。


「……君に倣って、僕も彼女を信じることにする」


 硬い声ではあったが、嘘や誤魔化しの響きは感じられない。


「ここはまず、皆で逃げ切ることを最優先としよう。立ちはだかる障害は、今度こそ僕に任せてくれたまえ」


「はい、いざという時はお願いします」


 本心から、ガードはオリギネットにそう返す。


 その時、急に目の前が開けた。

 ガードは既に把握していたため、全く動揺はない。

 オリギネットは、少しだけ驚いた様子を見せた。


 次いで、彼の驚きが更に大きくなる。


 目の前に、数十体ものオーガが控えていたためであろう。


 身長にして人間の倍はあろうかという鬼の身体は、筋骨隆々。

 手にはこれまた巨大な混紡を持っており、それをまともに叩きつけられれば人間など一溜まりもない。


 ただしその動きはそこまで速いものでもなく、侮って良い相手ではないが過剰に恐怖する程の魔物でもない……というのが、一般的な評価である。


 実際、今度は怯えた様子も見せず、オリギネットを筆頭に幾人もの者が自分の武器に手をかけていた。


「いえ。急ぎますので、ここは僕が」


 そんな彼ら彼女らを手で制した後、ガードが跳ぶ。

 周りからは軽く踏み切ったようにしか見えなかっただろうが、ガードの身体はフワリと高く宙を舞ってオーガの群れの中央付近上空にまで到達した。


 跳んだ勢いで身体を縦に半回転させたガードが、下方に向けて腕を伸ばす。

 それから、手を広げた。


 するとその動作に呼応して、オーガたちの足元に『闇』が広がる。

 瞬く間に、それは群れ全体をカバーするまでの面積となった。


 ガードが手を握る。

 今度は、『闇』が立体化してオーガたちを飲み込んだ。


 直後、『闇』はまた平面へと戻る。

 そして、地面に溶け込むように消えていった。


 後には、オーガの一体も残ってはいない。

 抵抗の素振りすらも許されず、一瞬で全滅した。


 『呑昏』。

 闇系統の最上位に分類される魔法の一つで、使用者が込めた魔力以上の魔法防御を展開出来ない存在を有無も言わさず消滅させるという凶悪なものである。


 ガードの魔力総量からすれば、オーガ数十体を葬り去ることなど造作もない。


「さ、早く」


 音もなく着地したガードが、何事もなかったかのように後ろの人々に対して促した。


『……お、おぅ』


 一様にポカンとした表情を浮かべた後に、幾人かのそんな声が重なる。


 平時であれば多少の解説くらい加えてやっても良い場面だが、生憎今はそれほどの余裕がある状況でもない。

 ガードがそのまま走り始めると、慌てて一同もそれに続いた。


「……君ほどの力があっても、彼女たちにとっては足手纏いになるというのかい?」


 再びガードに並走してきたオリギネットが、信じがたいとでも言いたげな声で問う。


「僕は基本的に、隠密行動や斥候活動に重きを置いて鍛えているので。直接的な戦闘能力じゃ、にーちゃんやねーちゃんの足元にも及ばないですよ」


 その言葉は、嘘偽りのないものだ。


「想像もつかないような世界だ……」


 オリギネットが頬を引き攣らせる。


「というかこれはもう、僕の出番はなさそうだね……」


 その声には、多分に失望が含まれていた。

 恐らくは、自身の非力に対するものだろう。


「いえ、僕もどこかで別行動を取る必要が生じるかもしれません。そうなった場合、フォメート様たちに僕の学友を託すことになります」


 これもまた、嘘の混じった言葉ではない。


 実際、ガードは学園生の力をそれなりに高く評価していた。

 仮に今言った通りの事態になったとて、彼らならばかなりの高確率で全員逃げ切ることが可能だと踏んでいる。


 更なる想定外が発生しなければ、という前提ではあるが。


 もっとも。


(たぶん、僕らが森を抜ける分には問題は起こらないだろうね)


 半ば以上の確信を伴うレベルで、ガードはそう予想していた。


(明らかに、『逃されてる』)


 あからさまに危険度が下がっていっている現状からの判断だ。


(『敵』さんの狙いは、どうやら僕らじゃないようだけど……)


 未だ顔の見えぬ、しかし確かにその存在を匂わせる『敵』に思いを馳せる。


(僕の方に来ないとなると、僕らの『血』が目的ってわけでもない……? いや、人数の問題でどっちか片方にしか戦力を割けないとか……? 『予備』になるよう、下手に死なないようヌルいとこに誘導されてる……と考えると、辻褄は合う……かな……? 実際、『後継』と考えるならねーちゃんの方が『相応しい』だろうから僕の優先度は低くなりそうだし……年齢的にも、性別的にも……)


 ガードは、頭の中にいくつかの可能性を思い浮かべた。


(いずれにせよ、判断材料が足りない。まぁ相手が誰だろうと、にーちゃんとねーちゃんなら問題はない……はず、なんだけど……)


 人知れず、ガードの頬をツゥと冷や汗が伝う。


(なんだろう、この感じ……)


 周囲に、ガードの脅威となるようなものは存在しない。


 にも関わらず、なぜか本能が掻き鳴らす警鐘が鳴り止まなかった。

 肌が粟立つのを止められない。


(まさか……)


 ガードは、直接的に『それ』の恐怖を知っているわけではない。


これ・・が、にーちゃんたちが言ってた……?)


 当時の記憶なんてもう残っていない程に幼かった頃の出来事だったし、その時のガードはスヤスヤ眠っていたそうだから。


(『あれ』が、関係してるっていうの……?)


 それでもガードは、『それ』の恐ろしさの片鱗くらいは理解しているつもりだった。


(だとすれば……)


 彼の知る限り最強の男女が、等しくそれを恐れているのだから。


(無事で帰ってきてよ……にーちゃん、ねーちゃん……)


 記憶にある限り、生まれて初めて。


 ガードは、心から二人の安否を祈った。

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