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 ルルを降ろすと、直後、ルルがよろめいて倒れそうになったので、咄嗟に支えた。誰かが、後ろから突き飛ばしたらしい。

 そちらを睨めば、そこには横に広い少年がいた。その隣には、豚の顔をした人間のような魔物がいる。オークか? こいつが、彼のパートナーなのだろう。


「おい、ルル! 見ろよ! おれの使い魔、かっこいいだろ!」


 はぁ? まずは、ごめんなさいだろうが、この豚ガキ。

 しかし、何故か当のルルは特に気にした様子もなく、ニコニコ笑っていた。


「うん、ギークくんそっくりでかっこいいね」


「だろだろ! それに比べて、なんだよおめぇのはよぉー! ゾンビって、クソ雑魚の魔物じゃねーかよ」


「うん、そうだね」


「分かりゃいいんだよ、分かりゃ。じゃあ、今日も掃除よろしくなっ!」


 そう言う残すと豚ガキはのっしのっしと、数人の取り巻きを連れて教室を出ていった。


(なんだ、アイツ! 丸焼きにしてやろうか!? てか、なんで、ルルもあんなヘラヘラして……)


「うん、ごめんなさい」


 そう、慣れたように謝りながら、ルルが笑う。そしてすぐにうつむいてしまう。白くなるほどに、固く握られた小さな拳が、痛々しかった。

 あぁ、そういうことか。


 この場にいる誰一人として、ルルのことを気遣う様子もないのは、今起こったことが日常だから。

 喧騒が一定の音量を保っていることに、恐怖すら覚えた。

 どんな言葉をかければいいのか、分からないまま、子供たちが次々と教室を出ていくのを見送る。


 どうしようもないな?

 しょうもないよな?

 仕方がない?


 どれも違うような気がする。

 そして、最後の一人が出ていて、教室にはルルと俺の二人だけとなった。


「じゃあ、掃除するから、待ってくださいね」


 教室の隅にある掃除棚にトテトテ向かい、箒とちりとりを持ってきた。

 俺はルル捕まえて、再び担ぎ上げた。


「キャッ!?」


 四隅に寄せられた机の方に連れていき、机の上に座らせた。

 そして、手をとって跪く。

 ルルと目を合わせた。


「え? え、ど、どうしたんですか?」


 困惑するルルには悪いが、今、俺がルルにできることはこれしかないように思えた。


(俺はルルの味方だ。

 何があっても、絶対に。

 だから、俺の前でくらいは、我慢しなくてもいいんじゃないか?)


「……………………我慢なんて、我慢なんて」


 言葉とは裏腹にルルの瞳は潤み始め、すぐに大粒の涙を零す。


(大変だったよな。

 悔しかったよな。

 辛かったよな)


 泣きじゃくるルルの手をしっかりと掴む。

 夕暮れで朱色に染まる教室に、小さな少女の嗚咽はしばらく鳴り止まなかった。 

 泣きやんだルルは、呆けたように机から降りようとする。


「そうじ……」


 涙で顔がクシャクシャなのに、掃除をしようとは……。真面目というか、強情というか。

 ルルの手から箒を奪い取って、再び机に座らせた。


(俺がする。だから、座って待ってな)


「いや、でも、わたしが頼まれたから」


(俺はルルのパートナーだから、俺がやっても問題ないだろ?)


「そう、なのかな?」


(あぁ、そうさ。まぁ、俺ならこんなの知るかって、放り出すけど、ルルは嫌なんだろ)


「うん、ごめんなさい」


(謝らなくていい。自分がやりたいことをやりな。俺はそれを全力で、手助けするから)


「…………ありがとう、ゾンさん」


(あぁ、どういたしまして)


 教室の隅から掃いてそれを集める。ちりとりは、ルルに手伝ってもらった。

 こうやって掃除をしたことがある、気がする。詳しくは思い出せないけど、ノスタルジーが確かに俺の中に生まれていた。

 掃き掃除が終われば今度は机を並べるのだが……。

 俺はもとの状態を知らない。


(ルル、どんな感じだった?)


「えぇと、一列に机が5つ、それが4列です」


 ということは、このクラスは20人か。


(名前、覚えられなさそう……)


「ゾンさんは、わたしのことだけ、覚えておいてくれればそれでいいですよ」


(ハハハ、それもそうだな)


「ゾンさんって、力持ちなんですね」


 2つ重ねた机を小脇に抱えて、軽計四つ運んでいたら、そんなこと言われた。そうなのだろうか?


「ゾンビは力が強いとは聞いていましたが、凄いです」


(いや~照れるなぁ。だけど、体の小さなルルにとっては重いってだけだと思うよ)


「別に、小さくないです」


(え?)


 心なしか、ルルのほっぺが膨らんでいる。怒らせてしまったか? 小さいは、地雷だった。


(だ、大丈夫だルル! 年齢が追いつけば、他の子と同じくらいには……)


「同い年です」


(へ? 同い、年? ルルだけ、飛び級したとかじゃなくて、同い年?)


「……はい」


(……………………いっぱいご飯食べて、いっぱい寝ようか)


「はい」


 そこからは微妙な空気のまま、黙々と机を運んだ。

 机を運び終える頃には、外は夕方から夜の始まりへと移り変わっていた。


(ルル、このあとはどうする?)


「食堂に行って、ご飯を食べます。いっぱい食べます」


(うん。そうだな。)


 ルルを担ぎ上げて肩車する。


「な、なんで肩車するんですか!?」


(だって、こっちのほうがルルは歩かなくて楽だろ?)


「だってじゃないです! 降ろして! 降ろしてください!!」


(しょうがないなぁ)


「ふぅー、まったく。その、人が多いところでは、恥ずかしいので」


(分かった。今度から、人が、少ないときにする)


「まぁ、それならいいですよ」


 ルルは渋々といった様子だが、本当は肩車の高い景色が気にいっていることはわかっている。

 なんとなくだが、彼女感情が流れ込んでくるのだ。きっと豚ガキに苛立った要因には、少なからずルル本人の押し殺した感情もあったのだろう。


 俺とは、頭一つ分では足りないほどに背の小さいルルと連れたって歩くと、自然、別の問題が浮き彫りになった。


「ちょ、ちょっと待ってくだ、さい」


 やや、息を切らし気味の声にハッとなる。

 そこには、俺に追いつこうと駆け足で歩みよってくるルルの姿が。


「もう、ちょっとゆっくり歩いてもらえませんか?」


(す、すまん)


 そう、絶望的に歩幅が合わないのだ。俺の一歩がルルの二歩と少し分くらいだろうか? これに関しては、完全に俺の落ち度だ。一応、歩き出してすぐに気付いたので、気を配っていたつもりだったんだが……。


「そんなに、珍しいですか?」


(あぁ、珍しいものなんてもんじゃない)


 人気は殆どなくなり、シンと静まり返った廊下。今、俺たちの歩いている廊下にはズラリとガラスの窓があり、そこからは森が一望できた。だが、俺の視線は眼下の森ではなく、上に向いていた。


 夕暮れを通り越し、夜を迎えた空には、赤、青、橙、緑、黄、紫の六つの月が浮かんでいた。


「今日は、フルムーンですね。あ、ムーンが月で、それが全部って意味でフルムーンです」


 呆けていた俺にルルが教えてくれる。これに見とれて、つい足元がおろそかになってしまった。


「ゾンさんはまだ生まれたばかりなので、いろいろなものが珍しく見えるんですね」


(そうなのかもしれない。にしても、月が六つもあるなんてすごいな。普通は一つじゃ、あれ?)


「ん? 月はずっと六つですよ?」


(あ、あぁ、そうだな。月は六つあるのが普通だよな)


 ルルに聞こえないように、深いところで思考を転がす。

 なんで、俺は月が一つだと思っていた? もっと言えば、空に浮かぶあの光る球体が月だと、なぜ分かった?

 それをどこで、知ったのかを思い出そうとするが、あの暗闇しかない空間以前の記憶は、綺麗に途切れている。


 やっぱり、おかしいよな。ふと、前世、という言葉が脳裏を過った。

 前世? なんだ? なんで俺は、それを知っている? 俺には前世があるのか?

 いや、だとしたら、今の俺はなんだ?


「ゾンさん!」


 思考の渦に脚を取られていると、ルルの声で我に返った。

 いつの間にか握られていた手が温かい。


「大丈夫ですか? すごい、怖い顔してましたよ?」


 心配そうに、俺を見上げる黒い瞳。

 頼むから、そんな顔をしないでほしい。確かにそう感じた。

 そうだよな。それでいいんだよな。

 今の俺は、ルルが大切。この感情だけは、確かなんだ。分からないことが多くても、それだけは揺るがない。


「ゾンさん。無理してません? 召喚されたばかりで疲れているようでしたら、今日はもうお部屋に行きますか?」


(いやいや、そしたらルルのご飯はどうするんだよ? それに、俺は平気)


「ご飯は、一日ぐらいなら全然」


(ダメです。いっぱい食べるんだろ)


「うーん……分かりました。ただ、疲れたらすぐに言ってくださいね」


(分かった、分かった。)


 ルルは心配性な気があるらしい。あまり、負担をかけないようにしないと。

 

 

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