火山は日本人に和の哲学をもたらした

 前項で火山が日本を作ったと書いたが、火山がもたらしたのは食糧などの直接的な恵みだけではない。なぜ、日本人が日本人らしくなったのか、そのルーツが火山にあると考えている。


 前項では噴火の際には長期避難が強いられると書いた。もちろん頻繁にあるわけではない。噴火というのは、数十年~数百年、火山によっては数千年の間隔が空く。記録に残る富士山の宝永噴火は300年前の出来事である。


 私の地元、岐阜県では御嶽山という山が2014年に噴火しており、これは災害事故でニュースになったので、記憶している方もいるかもしれない。御嶽山と書いて(おんたけさん)と読む。御は丁寧な呼び方をする際につけるものなので、正式名称は嶽山だろうか? 


 この山は1979年、1991年にも噴火しており、小規模ながら近年は頻度が高い。私自身は91年でも物心つくかどうかという頃なので、さすがに記憶していないが、地元では騒ぎになったようである。他に近年の例で言えば、阿蘇山だろう。あれは縄文人ならダッシュで避難するレベルであると思う。


※また、これを書き始めた最中にマレーシア? で噴火があった様子。物書きあるあるだと思うけど、何か書き出すと、それを想起するような事故やら事件のニュースが入ってくるので、そういう偶然には辟易するね



 このように火山はいつ噴火するか分からないものなのだが、数十年に一度は日本のどこかしらで噴火している。小規模なものなら避難の必要は薄いかもしれないが、火山が活発化したのを発見したら、念のため避難していたのではないかと思う。現代人のように定住して会社に勤める必要はなく、縄文時代のように引っ越し先の食糧の心配がなければ気軽に引っ越すだろう。


 そして、その避難期間は短くても数か月~数年間の避難となり、火山灰の影響を逃れるとなると、結構な遠距離まで避難したと思われる。さらに、避難先は誰もいない土地ではなく、既にある村への移住が多かったのではないだろうか。


 これは私の検証していない(その方法もつもりもない)仮説である事を断っておく。


 何度も書いているが、当時の日本列島は食糧に恵まれていた。これは一つの土地が育む事が出来る人口が多いという事である。資源を奪い合い、独占する必要がないならば、避難民を受け容れる選択肢を採った村も多かったはずである。


 では、避難民を受け容れるメリットは何があるのか。


①避難生活終了後は交易相手となれる。

②外部から、婿、嫁を貰う機会であり、これによって障害児が生まれにくくなる。

③自分達が避難民になった時に他の村に助けてもらいやすくなる。


この三点だと考える。



①避難生活終了後は交易相手となれる。

 避難生活は一時的なものであり、よっぽどウマが合って、避難先の居心地が良ければ別だが、いずれ帰っていく事になる。帰っていったら、火山の噴火によって栄養がフルチャージされた土壌が待っている。有益な交易相手になる見込みが高い。



②外部から、婿、嫁を貰う機会であり、これによって障害児が生まれにくくなる。

 縄文時代は大きな集落もあったが、基本的には村レベルの集住実態だったようである。先に書いたようにでかい国を作る必要性がなく、山の中や海辺に住むので、どうしても規模が小さいのが普通なのだ。


 では、村生活最大のデメリットは何か?

 それは結婚相手の不足である(厳密には結婚制度というものはないけどね)。


 基本的に人間の男女は半々で生まれるが、男の方が病気に弱い事や、山や海に狩りに行くのは男であり、男の死亡率の方が高い。なので、当時は一夫多妻が普通だったと思われる。しかし、村によっては結婚適齢期の相手がいとこしかいない……とか、うちら年の差ありすぎ……みたいな事があったりしたはずである。


 映画『もののけ姫』に出てくる主人公アシタカの村を知っているだろうか? 彼らは平安~鎌倉時代の東北において、縄文~古墳時代にほど近い生活をしている部族である。

 あの村のシーンではアシタカと十代女子が三人、その他は年寄りしか出てこなかった。映画に描かれていなかっただけかもしれないが、小規模な村落ではそういった滅亡の危機が訪れる事がある。


 近親婚や高齢出産が障害児の確率を上げるという事は、経験的に分かっていたはずで、よその村がたまたま来てくれたりしたら、それは大婚活チャンスなのである。しかも、結婚成立したら、お互いの村が親戚として繋がって仲良くなれるおまけつき。


 もし、私が縄文村の村長であったとして、遠くで噴火の煙を見つけたら、酒と食糧をかき集めて婚活パーティの準備を始める事だろう。なんなら、踊りながら避難民を探しに行く。私の頭の中では各地の村で避難民を奪い合うような状況すら想像できる。若くて体力のある男、美人で気立ての良い女は、いつの時代も貴重なのだ。



③自分達が避難民になった時に他の村に助けてもらいやすくなる。

 最後に当たり前の事だが、自分達が避難民になる可能性もある。いや、自分が生きている間に災害に見舞われなかったとしても、自分の子孫が避難しなくてはならなくなる可能性は相当高い。

 そうなった時に、「お前らの村は他の村を助けないから、こっちも助けてやらねえよ!」と言われないためには、避難民を受け容れないという選択肢は存在しないのではないか。


 もちろん、自分のところが苦しいから受け容れられないというケースはあるだろう。しかし、そうでないなら、受け容れた方が圧倒的にメリットが大きい。

 


 このように、日本の豊かな自然と、烈しい火山は、日本人に「困った時はお互いさま」という精神を与えたと私は考えている。これは私達の生活哲学として、かなり深いところにあると思う。


 我々はスポーツをすると快感を感じる。栄養価の高い食事、セックス、質の高い睡眠、これらと同様に「親切」を行った際に快感を感じる。

 これは生存や遺伝子の伝達に有利になる行動をした場合に快感を感じるよう、脳が進化してきたからである。


 資源の少ない土地では、庇を貸して母屋を取られるという事態は頻出しただろう。かつて杉原千畝はナチスに迫害されるユダヤ人を助けた。しかし、70年を過ぎて、彼らはイスラム人を虐殺している。彼らが残酷であるとか、鬼畜であるという話ではない。やらねばやられる環境で生きてきた生物にとって、残酷こそが生存戦略であり、親切は自殺行為なのである。


 しかし、資源に恵まれた土地では、親切を働いた方が結果的に生存に有利に働く事を我々の遺伝子は知っている。

 火山は我々の祖先に「和」の精神を与えた。これは自分達を美化する民族主義で言っているのではなく、単純に生物としての合理的選択だったのである。この一見、利他的な行動はまわりまわって、遺伝子の多様性を確保し、自分達が窮地に陥った時の生存可能性を上げている。


 この言葉を聞いた事はないだろうか?

 「かつて縄文時代は戦争のない時代だった」


 これは少しオーバーな表現だと思うが、戦乱が極端に少なかったのは出土状況から判明している。

 縄文1万3000年の間、避難と助け合いが繰り返され、あちこちの村が血縁や恩で繋がり、交易で繋がり、遠方の土地にも顔見知りができたりした結果なのではないかと考えている。



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