過ぎ去りし日々に 終-ニーファの記憶-



 急に呼び止められて振り返った先には、とても良く似た顔立ちの男女がいた。真昼の太陽の元で煌めく金髪が、とても眩しい2人。

 彼らは自らを守護者と名乗り、私の話を聞きたいと言った。


 顔から血の気が引くようだった。


 もうすぐ……もうすぐ目的が果たされるのに、ここに来てどうして守護者が現れるのか。彼らが私に聞きたいことなんて、鏡像のこと以外に何も思い付かない。


 落ち着いて話をするという名目で、近くの事務室へ2人を案内した。


 歩いているうちに冷静さを取り戻すことができた私は考える。

 私に話を聞きにきた可能性として高いのは、鏡像が増えてきた話を町のどこかで聞いたパターンだ。エミリオの鏡像のことがバレたわけではないだろう。それなら女の方が私を気遣う素振りを見せるわけがないし、こんな子どもを向かわせることなんてないと思うから。


 やるべきことはそう難しくない。些細ささいな問題について先に素直に非を認めればいい。

 大事なのは、本来の目的がバレないことだ。


 案の定、この2人は視察で偶然鏡像を見かけたのをきっかけに、最近のリンデンベルグの状況を住人に聞いたらしい。それが誰なのかは言葉を濁していてわからなかったけれど。

 事務室に着いてすぐ、鏡像の出現を隠していた旨を誠心誠意謝罪すればそれ以上強く詰められることもなかった。


「町のヒトを危険に晒すかもしれないのに、なんで早く連絡をしなかったんすか?」

「仰る通り、いつか収まるだろうと甘く見ていた私達が悪いのは事実です」


 子どもに頭を下げるのは少々しゃくではあるが、秘書という立場を担った時点でこれくらいは何度か経験している。

 私にとって重要なのはプライドではなく目的が果たされるかだ。その過程で私の評価がどうなろうが、最後には無くなるのだからもはや関係ない。


「勝手すぎんじゃない?街の利益のためなら、住民の命なんて危険に晒してもよかったって事すか?」

「いえ、そんな事は……!」

「だってそういう事だろ?現に───」

「ヴェル!!」


 段々と語調が強くなる男を、女が強くいさめた。頭を下げた視界で、女の方が男の服の裾を引いているのだけが見える。表情はわからないけれど、不満そうに息を吐き出す音はしっかり耳に届いていた。


「弟の言動は謝ります」

「いいえ、責められて仕方がない事は重々に分かっています」

「だけどこんな素敵な町が、平和が……壊れてしまう事を危惧する気持ちに嘘はないので」


 ……素敵な町?


 エミリオから時計守を奪おうとしたこの町が?私からエミリオを奪ったこの町が?大事な時計塔の音が変わったことにも気付かない、この町のどこが素敵だとほざくのか。


 思わず顔を上げて女───姉の方を見れば、その瞳は私を真っ直ぐに見つめていた。


 真摯な瞳。

 森の緑でもなく海の蒼でもなく、どこまでも深く澄んだみどりの輝き。

 私が見たことのない色の瞳がこの身を貫いている。


 なぜか全て見透かされそうな気持ちになって、私は目線を逸らすためにも無理矢理に頷いた。


「───はい」


 これなら、彼女の弟のように最初から睨み続けていてくれた方がマシですらある。


「それでも」


 早くこの場を切り上げたかった。何故だか急に、私のやっていることが全て間違っていると思ってしまいそうで。

 だから私は意を決して顔を上げる。


「それでも、町を優先したつもりは本当にないんです」


 嘘ではなかった。ただ、彼らの求めているような"ヒトよりも町を優先したのか"という問いへの答えではないだけ。

 町もヒトも、もはや私にとって優先すべきものではない。だから嘘では決してない。


「それだけは信じてください」


 私の言葉に、それ以上2人が何かを言うことはなかった。










 エミリオの家へ急いで向かうと、鏡像は執務室で明らかな焦りを見せていた。書いていただろう回路の変更案を握りつぶして、苛立ちを隠しもしていない。


「くそ……なんでこの時期に守護者なんかが来るんだ……!?」

「こちらにも来たのですか?」

「そうとも、デカいのが1匹な!!」

「私のところにも子どもが2人来ましたが……」

「ああ、言っていたよ!あと2人居るってな!緘口令はしっかり出していたんだろう!?」

「彼らの話を鵜呑みにするなら……偶然この町に訪れたタイミングで、逃げ出した鏡像に遭遇したようですよ」

「くそっ……間の悪い……」


 髪の毛をぐしゃぐしゃと掻き乱すそれは、口調を取り繕う様子すらなく剣呑けんのんな瞳を私に向けた。


「どこかのタイミングで殺すか。町の状況を持ち帰られては、更に他の守護者が来かねん」

「では今から呼び出してみましょうか」

「いや、誤魔化すために私が倒れたフリをした。後で来ると言っていたからそのときでいい」


 大きな嘆息が部屋中に響いた。2、3呼吸を整えてそれが再び顔を上げれば、その表情にはもう苛立ちは見えない。


「念の為です、やるのは貴女にしてください」

「何が……ですか?」

「デカブツをやるのは、です。私はこのまま奴を迎え入れるフリをするので、貴女はその扉にでも隠れて後ろから頭を殴ってください。鈍そうな男でしたので、不意をつけば貴女でもやれるでしょう」

「できると思っているんですか?」

「やるのですよ。最悪、どこかで失敗したときには貴女が全てを背負うのです」


 つまり私は捨て駒でもあるということ。

 それ自体は当然なので理解できた。こいつさえいればそのうち人形は制御を失い、町を破壊することができるのだから。我々の最終目的はそこにある。

 ただ、ヒトを実際に手にかけるという事実に私の心にはどこか躊躇いが生じていた。





 だからなのか、後ろから男を殴り倒すときにも僅かに力が緩んだのかもしれない。


 鏡像の言葉通り、日が暮れてまもなくエミリオの家へ訪れた男は警戒もせずにノコノコと家に入ってきた。

 を気遣いながら執務机に向かうその後頭部に向かって、力任せにパイプを振り下ろす。思った以上に鈍い音がして、男は前のめりに倒れ伏した。


「はぁ……はぁ……」


 手が震える。ヒトを殴ったのなんて初めてだ。


「う、う……」


 呻き声が聞こえた。男はまだ生きていた。

 暗がりの中、震える瞳が私を見上げてきた。焦点は合っていなくて意識が朦朧もうろうとしていることはわかる。けど、致命傷ではない。


 駄目だ、もう一度。


 ふたたびパイプを振り上げた瞬間、消え入りそうな男の声に私は動きを止めざるを得なかった。


「俺が……、俺が死ねば、他の守護者が、すぐに来る手筈になっている……」

「!?」

「やれる、もんなら……」


 男の意識はそこで途絶えた。後に残ったのは振り上げた姿勢のまま止まる私と、顔をしかめた鏡像だけ。

 それはチッ、と一度舌打ちをすると男の元へ向かいその顔を覗き込んだ。


「死んでない……か。しかし厄介ですね、ハッタリなのか本当なのか」


 事が進むにつれ、状況は刻一刻と複雑になっている気がする。胸に不安が広がり、先のビジョンがもう見えなくなり始めていた。

 私は本当に、目的を達成できるのかしら。




 いや、


 私は本当にこんなことを望んでいるのかしら。




「ニーファ」


 それに呼ばれて私はびくりと肩を震わせた。


 エミリオと同じ声、エミリオと同じ呼び方。

 脱力した手からパイプが滑り落ちて、床を跳ねた。


「"これ"を時計塔に運びます。少し計画を変えましょう」

「……え、ええ」

「子どもの守護者もどうなのかはわからないので、一度捕らえます。恐らく、この男が帰って来ないと分かり次第でここへ向かうでしょうから、いつぞやの嘆願書を見えるところに置いて下さい」


 鏡像がいとも容易くその巨躯きょくを片手で掴み上げた。


「この男は地下ホールの何処かに放り込みます。貴女は私とこの男を縛って、近くに潜んでいてください。今と同じ要領で1人を昏倒させてください」

「もう1人は?」

「別々に来た場合は同様に。しかし同時に来た場合───貴女では相手ができないでしょう?私も、2人を相手にして殺さずにいられる自信がありませんから、そのときは私に近い方をなんとかします。どのみち、仲間がやられたのを見て冷静を保ったままではいないでしょうから、貴女は背後を見せた方の頭を殴ればいい」


 これからの行動を言葉にしながらそれが窓から外を窺っていた。

 日はもう落ち外には街灯が輝いている。もう少し時間が経てば露店は完全に閉まり、外を歩く人間はほぼ居なくなる。動くとすればそのときだった。


「それも……」


 私はポツリと口を開いた。


「それも上手くいかなかったときは?」

「とにかく時間を稼ぐことを考えてください。あと、本当に少しなのですから」


 懸念はぬぐえない。不安は消えない。

 本当に目的に向かっているのか、それすらもわからない。けれど溢れた水は盆に戻らない。さいは既に投げられている。


 私は、もう、ここで止まることはできないのだ。












 振り返った先には、地下の鈍い灯りの中でも輝く金髪。

 森の緑でもなく海の蒼でもなく、どこまでも深く澄んだみどりの輝きが激しい怒りを宿して私を見つめている。





 ───私は駄目な女だ。結局、最後の一手もやり損ねてしまったのだから。





 恐らくあの鏡像は心底苛立っているだろうが、もう後のない私にはあれの心境なんておもんばかるつもりもない。


 あと残りの時間で、私ができることといえば───。


「私は、この街がとても憎いのですよ。平和というぬるま湯に浸り、流されるまま時を刻むことしかできないこの街が。鐘がどれだけ歌声を変えても、気付かずに生きているこの街の人間が」


 あと私ができることといえば、この守護者たちと心中をするか……もしくはそう。叶わなかったとしても、騒動の中心を私に向けて彼らの目を少しばかり誤魔化すことぐらいだろうか。


 最奥の部屋の前で私は指を組む。

 守護者の子どもが、私への攻撃を悩み足を止めた。




 そう。ちゃんと私の言葉を聞きなさい。

 これが全て、私が招いたものだと思うように。




「憎くて憎くて堪らないのです。あの人を追い込んだこの街も、あの人を救えなかった私自身も、全てが憎い」


 鉄格子が開く。

 後ろから沢山の"何か"が蠢く気配がする。


「私の鏡像も生まれていたのでしょうか?せめて……せめてそうであれば」


 そうであれば───その手でエミリオのために、エミリオを奪った全てを壊す事ができたのかしら。




 黒が、一瞬にして私の周りを取り囲む。




 ねえ、エミリオ。

 貴方の作品を使って、かつて貴方の愛した町を壊すことは間違っていたのかしら。私にはもう、分からないの。

 この心の内に残るのは、鬱憤のぶつけ先に迷う虚無感だけ。


 ねえ、エミリオ。

 本当は貴方の遺した作品をけがしたくなんてなかった。でも、今更その気持ちに気づいてももう遅いわよね。


 ねえ、エミリオ。

 ごめんなさい、愛していたわ。もっと貴方に伝えておけば良かった。



 冷たい無数の手が、歯が、舌が、全身を這って。



 私の意識は、そこで途絶えた。

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