Noble Purpose

 ◆


「また現れたのですか? その『のっぺらぼう』は」

「ええ。どうも監視というか…私達をつける事で妖怪を探しているみたいです」


 いつも通り、空が白んだ頃に帰ってきた妻子たちに義母が重苦しい声で質問を飛ばしている。


 裕也が毛羽毛現を退治してからおよそ二か月が経った頃。Mr.Facelessは神邊家は元より真鈴周辺で活動をする退治屋集団の一番の注目株となっていた。


 連日連夜に渡って裕也はMr.Facelessとして密かに活動をしていた。いくら留守にしても家では腫れ物扱いを受けている裕也を訪ねる家人は一人もいないのが幸いしていたのだ。


 ほとんどの退治屋たちがMr.Facelessの目的、正体、能力などについて調査をしていたが、尻尾すらつかめていない。


 彼らの立場からすれば決して愉快な存在ではない。


 けれども大衆にとって見れば、奇想天外かつ新進気鋭の存在であるMr.Facelessは一部でカルト的な人気を集めるほどになっていた。


 退治屋は妖怪から市民を守るという大義を掲げる反面、少々横柄に対応するきらいのある者が多く、手放しで喜ばれる存在ではなかったのだ。反面、Mr.Facelessとして振る舞う裕也は長らく思い描いていたヒーロー像を投影して演じきることに徹していた。顔が見えない分、変身願望はいとも容易く満たされ、普段なら決してできないであろう言行もすることができていた。それが町の人間にはすんなりと受け入れられていたのだ。


「何か分かったことはありましたか?」

「いえ、何も。お母さまは?」

「他家の祓い人にも聞いてみましたが、やはり同じ答えでした。他の家でも手を拱いているそうです」


 二人は焦りや困惑や怒りなどが詰まった陰鬱な雰囲気を纏ったのだが、それを子供たちが無邪気な声と意見で打ち消す。


「お母さんもお婆様も何を気にしてんのさ。妖怪退治してくれるんだから俺達の味方だろ?」

「かっこいいしね、『のっぺらぼう』さん」

「ミスターフェイスレスでしょ」


 発想が柔軟なのか、自分達の立場を正しく理解していないのかは分からないが子供たちはMr.Faceless に対して大きな嫌悪感を持っていない。退治屋たちとの溝を埋められずにやきもきしている裕也にとっては、この事実はとても大きなものだった。


 しかし、それも最愛にして尤もMr.Facelessを理解して受けいれてほしい人に一蹴されてしまう。


「敵か味方かの判断はともかく、あの『のっぺらぼう』は危険な事には変わりないわ」

「危険?」

「ええ」


 危険、という言葉がやけに引っ掛かった。裕也は妖怪退治をしている上で何度も人を助けてきた。少なくとも人間相手に敵対している関係ではないことは十分に伝えられているはず・・・他の退治屋と違って裕也の集めた名声を妬んでいる訳でもない。正体が分からない不安をそう表しただけなのだろうか。


 裕也がその言葉の真意を確かめようとヤキモキしていると、不意に夏臣に声をかけられた。


「ねえ、父さん」

「え? どうしたの」


 その言葉に裕也のみならず、操も姉妹たちも家人全員が驚いた。子供らが裕也に声をかけるというのはそれほどまでに稀有なことになっていたのだ。


「そのMr.Faceleesが俺達一門を見かけると軽い挨拶してからブレイカレグって言ってから去るんだけど、意味分かる?」

「ああ、”Break a leg”だね。『御武運を』とか『幸運を祈る』みたいな意味の言葉で、演劇とかコンサートの本番を迎える人に使ったりするんだけど」

「演劇やコンサート、ね」


 ぼそり、と操が呟く。その顔は先程に輪をかけて陰鬱としたものになっていた。


「かっこいい。俺、あの人に英語教えてもらおっかな」

「馬鹿を言うんじゃありません。むやみにあの『のっぺらぼう』に近づかないこと」


 そこまで声を張ることか、と言いたくなるくらい操は声を荒げて夏臣を叱咤した。あまりの事に夏臣は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして目を泳がせている。そして操は返事のない様子を今度は優しく諌めるように言った。


「いいわね、夏臣」

「…うん」

「あなたたちもよ」

「わかってるよ」


 そうして神邊家の今日が終わった。


 自室に戻った裕也はMr.Facelessに変じると、姿見を見つつ自問自答した。


「何だか溝が深まるばかりだなぁ」


 仮の姿であっても大衆や子供たちからMr.Facelessが認められているというのは本当に嬉しい。しかし一番に認めてもらいたいのは・・・。


「こうなったら操さんに直接打ち明けるべきか?」


 しかし、それは今さらというものだ。敵対、とまではいかなくても操は誰の目に見ても明らかにMr.Facelessを拒絶している。そして拒絶をする理由が裕也にはまるで検討がついていない。このまま正体を明かしたところで、事態が好転する未来が見えない。


 怒られるか、貶されるか、もう辞めるように諭されるか。


 いや。それだけならまだしもMr.Facelessに対する拒絶を裕也本人にまで波及されでもしたら・・・?


 それだけは何としても避けたい。


 そうなると打ち明ける前に、ワンクッション挟ませてみるしかない。裕也は数日前から思い付いていた計画を実行するべく、もう一度策を練り直すことにした。


 裕也の計画の発端は偶然に知り得た情報からだった。神邊の一門の誰かが操が直々に対処を試みている妖怪がいると噂しているのを耳にしたのだ。


 その妖怪は名を「元興寺」と言った。


 それを知ってからいくつかの目論見が生まれていた。


 操が直々に狙うということは相当な力を持った妖怪であることが伺い知れる。ともすれば実力の伴わない者を遠ざけるから二人きりになれる可能性が増す。うまく助力することができればMr.Facelessに対しての認識や考え方を改めるかもしれない。いや、この際他の門徒に邪魔されずに話ができる状況を作れるだけでもいい。操にさえ自分のやっていることを打ち明けられさえすれば、彼女にだけ認められればそれは神邊家に認められたのと同義になるはずだ。


 裕也はその一念で、最近は大胆な行動をするようになっていた。


 今までは操たちが日々の見廻りに出た後、しばらく間をあけたり、一日ごとに間隔を設けたりしてから町へ繰り出していた。操たちの留守中に呼び出されたり、誰かが部屋を訪ねてくることなど数年に一度あるかないかの珍事であるのに、いざ自分がこっそり抜け出すようになると、妙な不安に苛まれていたからである。


 しかし案の定というべきか、裕也のことを気に止める者は操を除いて誰もいない。悲観的な事実であったが、こうやって忍んで動かなければならない状況と事情があるならば逆にありがたいと、裕也は自虐的な笑みをこぼして神邊家の塀を越えていった。


 神邊の屋敷は近隣の住宅の中でも取り分け高い地区にあったので、町に向かうにはどの道を使おうとも下っていくことになる。その上、神邊家の移動用の車は黒塗りの高級車、それが複数台が連なって走行していくので見間違えることもない。家を出るタイミングさえ違えなければ追跡は全く困難ではない。


 屋根から屋根への忍者気分をしばらくは堪能していたが、次第に街灯や電飾が多くなってくると神邊家以外の目も気になってくる。


「町に入ってからならビルに紛れられるけど、そこに行くまでが少し厄介だな」


 思わず自分の心情を吐露する。しかし裕也の心配は杞憂に終わる。神邊家の一団は街に最短で向かう道を使わずに大きく迂回するように進んでいく。道すがらビルまではいかずともマンションや人家が密集してくれているお陰で尾行に手間取ることはなかった。


そして推察するに今日の見回りはどうやらオフィス街や繁華街ではなく、この町のベッドタウンの方へと向かっているようだ。


 やがて数台の車が停まると、神邊の一門たちがぞろぞろと降り始めた。その到着した場所を見て裕也は呟く。


「澄好団地か・・・」


 それは須丹区に存在する廃団地の名前だった。


 この辺りは神邊の屋敷がある地区と比べれば見劣りするものの、それでも名の知れた高級住宅地だ。新興住宅や施設がどんどんと建築されている中で、その澄好団地は異質なオーラを放っている。再開発のために昭和時代に建てられたほとんどの建築物や民家は買収された後に更地にされるか、新しい家や施設が建ち並ぶ。


 しかし買収が進む一方で、立ち退きをしたのにも拘らず買い手が付かないで空き家が残るばかりの一角が存在していた。きらびやかな都会の一等地にありながら、そこだけ時間に取り残されたような雰囲気が残る。澄好団地はそんな廃墟廃屋の親玉とも言えるような巨大な廃墟だった。


 操は子供たちと一門の教導役の数名に慣れたように指示を出した。操を除き四組に分かれた神邊一門は澄好団地の敷地内を取り囲むように配置についていく。数分の後、操は錫杖を固く握りしめて一人団地の中に入っていった。


 裕也は神邊一門が団地を取り囲み始める少し前にそれを予見すると、いち早く近くのマンションの屋上から飛び出して団地の中に忍び込んでいた。


 あの様子を見るにこの団地に巣くう妖怪の退治は操に一任され、万が一の取りこぼしを無くすために四方を取り囲んだと見ていいだろう。つまりは操と二人きりで話ができる絶好の機会が訪れたということ。


 その事実に裕也は心躍った。


 するとその思いに答えようとしたのか、肌に抽出させている粘菌に反応があった。どうやら自分のいるよりも下の階に目的の妖怪がいるらしい。元興寺は齧った程度の知識しかないが、伝承を鑑みるに大きな警戒が必要な妖怪ではない。どうやって戦うかよりも、むしろ操との接触にどう利用すべきかという事の方が重要だ。


 ともかく元興寺を見つければ遅かれ早かれ操と会う事ができる。できることなら共闘を願いたいところだが、ここからさきは行き当たりばったりでこなすしかない。


 裕也は粘菌の反応に身を委ねて下の階へ降りていった。


 ◇


 澄好団地は十三棟の集合住宅が斜めに折り重なりながら、敷地内にある広場を取り囲むように建てられている。その広場は子供たちが遊べるような広場、花壇、散歩コースなどがあり、ここが団地として機能して頃は住民たちの憩いの場になっていた事だろう。しかし今となっては雑草の楽園というべき有様だ。


 裕也が気配に導かれるままに下の階に降りると元興寺はいとも容易く見つかった。


 十三棟の住宅は七棟と六棟に別れており、それぞれは奇数階にある連絡橋で繋がっていた。元興寺は三階の三号棟と四号棟の連絡通路をのそのそと移動していたのである。


 てっきり隠れているのもだと思っていた裕也は端的に言って油断していた。何の捻りもなく階段を降りて角を曲がったところ出合い頭で元興寺と鉢合わせたのだった。けれども元興寺の方は裕也の存在に気が付いていたようで、咆哮と共に襲い掛かって来た。


 元興寺は鬼の一種である。ボロ布で全身を覆っていたが赤黒く鋭い歯と爪が異様な殺気を孕んでいた。


「Wait,Wait,Wait!!」


 そんな制止などは聞く耳持たず、元興寺は裕也への歯と爪の猛攻を繰り出してくる。先手を取られタイミングも体勢も悪かったが、一つだけ裕也の味方になってくれるものがあった。通路の狭さだ。


 ざっと見積もっても元興寺は人間の体格の倍はある。団地の通路は元興寺にとっては手狭な空間であり、今一つ動きが本調子ではない。それは向こうも感じていた事の様で、向かって右側にある転落防止用の欄干を壊しながら襲い掛かってくる。


 それを見た裕也はこれ幸いと思い、欄干を乗り越えて下にある中央の広場に向かって飛び降りた。そのタイミングに合わせて裕也は腕を伸ばし、元興寺の羽織を掴むと思いきり力を入れた。


 元興寺からしてみれば理外の攻撃だったようで、重さ以外のほとんどの抵抗を見せずに投げられる結果となった。落下の速度を上乗せした投げ飛ばしは鮮やかに決まり、二、三本の木々をへし折るほどの威力となる。とは言え相手も妖怪であるので、それほどの攻撃でも多少のダメージにはなっても致命傷には至っていなかった。


 それどころか逆上した元興寺は形振り構わず裕也に殺意を当ててくる。しかし、広々とした広場にあっては避けたり防いだりするのに何の障害も生まれなかった。


 元興寺は火を吐いたり、雷を放ったりというような攻撃方法は一切見せず牙で噛みつくか、爪で切り裂くといった単純な攻撃しかしてこない。尤もそれであってもまともに喰らえば十分致命的なのだが。


(言ってしまえば怪力が特徴の妖怪か。驚異的ではあるけど得体の知れない妖術を使う妖怪に比べれば見劣りするな…少しつまらない)


 そんな考えが過ぎった時、突如として元興寺が青白く光る光球に包まれてしまった。

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