Unfulfilled Desires 1


 高台にある真鈴町からは繁華街の出す光が星空のように輝いているのが見えた。旧家や如何にも富裕層の住んでいるような住宅街の景色は、下るにつれどんどんと鉄筋とコンクリートで作られたビル街へと変貌していく。


 住宅地を飛び跳ねている間は、時間帯のせいで人気は薄かったのだが町にまでで来るとそうはいかなかった。須丹区は全国でも有数の歓楽街であり、地域の住民は元より観光やビジネス目的で多種多様な賑わいを見せているのだ。真鈴町からやってくると、大きな川にぶつかり、そこには自動車用の橋と鉄道用の橋が数本掛かっている。これを伝って向こう岸まで辿り着くといよいよ中心部に辿り着く。


 裕也は操たちの動向を確認して、普段はどのような活動をしているのかを調べることを今日の目的としていた。正体を明かすことはやぶさかではなかったのだが、何となく劇的な演出にしたいと欲が出ていたのだ。だからなるたけ人目を避けて秘密裏に動きたかった。そうでなくともこの見た目は妖怪と言って差し支えないのだ。誰かに見られでもしたらパニックを引き起こすかも知れない。


 そう思い立つと地力の跳躍だけでの移動を制限し、鉄道の高架線の下を通った。靴の底から滲み出た粘菌はペタペタという感触と共に橋の裏側に張り付き、まるで古い西洋映画に出てくる吸血鬼のように逆さまになりながら進んでいける。重力は勿論感じるのだが、それをものともしない程に力強い筋肉と体組織が備わっているとひしひしと感じていた。


 やがて橋を渡りきった裕也は、川沿いの端にある電気の消えたビルの屋上へと向かった。そそり立つ壁は今の裕也に取っては平坦な道と何も変わらない存在だ。


 中心部に行くほどネオンの光は輝きを増している。それを眺めながら裕也はどうやって操たちを見つけようかと思案していた。が、しばらく考え込んでも妙案は思いつかず、結局は町を縦横無尽に飛び回って探すことにした。門下の者も含めれば百人程度の規模でパトロールしているはず。この街にして見れば誤差の範囲のような人数だが、神邊家の関係者は皆が一様に山伏を模したような黒い和装束を身にまとっているはずだから、きっと目立っていることだろう。


 街を駆け回ると言っても実際に移動するのはビルの屋上や側壁、もしくは高架道路や商店街のアーチの上だから誰かに目撃されるリスクは低くなると裕也は考えた。おまけに高いところからの方が探し物は易しくなる。


 そう決めると次に粘菌の性質を応用したアイデアが色々と湧いてきたので、裕也はそれを早速試してみようと試みたのだった。


 どこかのビルの屋上にある転落防止用のフェンスの一番上に手を掛けると、そこに粘菌を付着させて大きく後退した。粘度の高いそれはがっちりとフェンスに張り付いたまま、腕の汗腺から溢れ出ていく。傍目には裕也の腕が伸長した風にも見えた。そして粘菌を再び身体へ物凄い速度で注入させると、その勢いを利用してビルからパチンコ玉のように飛び出した。


 放物線を描き、裕也の身体は街の上を飛ぶ。


 普通ならばこの時点で恐怖にかられて悲鳴を上げるだろうが、裕也は自分でも不思議な程に落ち着き払っていた。近所に散歩に出かけたのと同じような穏やかさだった。やがて重力に引かれ、落下していくと今度は足を思い切りよく前へと蹴り出した。先ほどと同じ要領で足から抽出された粘菌は伸びていき、程よい距離にあるビルの縁に足の裏がくっついた。すると、やはり先ほどと同じ要領で身体を縮小させると今度は半ばで足を離して振り子の反動を利用して飛んだ。


 粘菌の特性について脳内に直接インプットされているせいか、手足を動かす感覚と同じように粘菌の操作ができる。それは普通の状態ではできないようなアクロバティックな動きであっても、少しの恐怖心さえも抱かせない


(すごい…!)


 陳腐な言葉だが、裕也の感じる開放感や爽快感、満足感をまとめて言い表せる言葉は到底なかった。頭の中にはすごい、という三文字と興奮とか押し寄せて裕也は叫びたい衝動を抑え込んでいた。


 いや、雄叫びを上げるという衝動さえも押し殺してしまうほどの感動だったのかも知れない。


 人工的な建造物の間をネオンに照らされて縦横無尽に飛び交うこの状況は、月明かりを頼りに森を飛び回っていただけでは気がつかなかった快感がある。中学生の頃から憧れていたアメコミの世界に飛び込んだのと同じ感覚が全身を覆っている。


 頭の中には思い出すのも追いつかない程に散々読み耽ったヒーローの姿がちらつく。


 そのいずれにも自分を重ねられて、裕也はかつてない程の興奮に支配されていた。


 その時。


 雑居ビルの合間から、黒装束をまとった者の姿が見えた。距離が開いていたので操たちかどうかまでは分からなかったが、少なくとも神邊一門であることは間違いない。


 裕也は腕から粘菌を伸ばすとどこかのビルの屋上にあった手すりを掴み、空中で強引な方向転換をする。そしてその反動を利用してロケットのような速度で急降下した。それでもビルの二、三階程度の高さで止まり、壁に張り付くと人知れずに様子を見ることに徹した。ビルの壁面には色々な店の看板が突出しており、その上側はライトアップもされていなかったので身を隠すにはもってこいだった。


 見れば黒装束は一門の者ではあったが、修行中の若輩の姿が点々としており操や子供たちの姿は見当たらない。彼らは人波を縫うようにして何かを追っている様子だ。街の人も慣れた様子で神邊一門の姿を見ると、何も言わずとも道を空けるばかりか、中には声援を飛ばす者もいた。


「いたか?」

「いや、ダメだ。見失った」

「そう遠くには行っていないはずだ。手分けして探せ」


 その会話と様子から妖怪を探しているであろうということは簡単に予想ができた。妖怪の現れるところには神邊一門があり、そこにはすなわち操たちが現れるということ。裕也は看板の隙間を縫うようにして、壁伝いに一門の後をつけることにした。


 同時に、全身に微弱ながらも悪寒が走ったことに裕也は気がついた。より正確に言うのならば、全身をくまなく覆っているアシクレイファ粘菌が違和感を覚えている。右半身の粘菌が波打ち、腕のそれに至っては動物の毛が逆立つように細かく突起していた。


 すると裕也の脳裏にはタンスの引き出しを開けたかのように、その反応についての知識が脳内に湧出してきた。


 先日に事故を起こした際に宇宙人たちのドローンが原因を簡易分析した結果、粘菌にデータを移行し、妖怪に近づくと危険察知するように自己学習させていたらしい。


(つまり、近くに妖怪がいるってことか・・・)


 裕也は粘菌の反応に導かれるように、ビルとビルの合間の路地へと壁を伝って入っていった。ネオンや街灯の光が遠いせいで、奥に行けば行くほどに暗闇の支配が濃くなっていた。


 裕也がその路地を覗き込むと、ちょうどよく裏口とおぼしきドアを開け如何にも仕事終わりのような若い女が一人出てくるところだった。女は本能的に何かを感じ取ったのか、一度身震いをすると、すぐに大通りの方に向かって歩き始める。背中には永遠に続くかのような闇を背負っていた。


 その闇の中。


蠢きながら潜む不穏な影があった。


 闇と同じ色の体毛を全身から生やしており、大きさは進むごとに少しずつ大きくなっていた。その進み方を見て、かろうじてどちらが前であるかが分かるような得体の知れない不気味さがある。


 毛むくじゃらのそれは大通りから差し込む光に徐々に照らされて風貌を露にする。それでも全身が真っ黒い毛に包まれていることと、頭と思える部分から鈍く光る二つの目があること以外の一切がわからなかった。


あれは・・・『毛羽毛現』かっ!?


 曲がりなりにも裕也は妖怪退治一家である神邊家に籍を置く身である。直接仕事に関わることは少なくとも妖怪に対する知識は持ち合わせていた。


 その名の通り、全身を毛に覆われた謎の多い妖怪である。毛羽毛現は稀有怪訝を捩ってつけられた名前といわれ、現れることそのものが稀な妖怪だ。しかし一度現れると人間に災いをなし、多くの場合は病をつれてくると言われている。


 毛羽毛現は誰の目にも明らかに前を歩く女を背後から襲うつもりでいた。けれども焦りが出たのか、それとも恐怖を煽りたかったのか、毛羽毛現は路地の端にあったゴミの固まりにぶつかると盛大な物音を立てた。


 女は猫のような機敏さで後ろを振り返った。そして後ろにいた妖怪を目視すると甲高い悲鳴を上げて逃げ出した。命の危機が迫った逃走は驚くべき早さであったが、毛羽毛現の黒い体毛はそれよりも素早く延びてきた。


「誰かっ! 助けてっ!!」


 どうにか大通りに出た女は形振り構わずにそう叫んだ。


 通りには繁華街の名に違わぬほど人がいたのだが、同じく悲鳴を上げて逃げ出すか、さもなくば女の声がした方を見るばかりで誰も近づこうとすらしていなかった。


「アレ、ヤバくね?」

「退治屋呼んだ方が」

「いや、間に合わねえだろ…」


 妖怪が女一人をターゲットにして、自分達に害が及ばないだろうと高みの見物気分になった群衆たちは、口々にそんなことを囁いては事のなり行きを静観し、あまつさえスマートフォンで現状を撮影する者もいた。


 この町の者達は悪い意味で妖怪に慣れてしまっている。この町で妖怪に襲われることは非日常ではないのだ。


 女は鬼気の形相で必死に自分に絡み付き、路地に引きずり込もうとしている毛羽毛現に抵抗している。だがそれも時間稼ぎにしかなっていない。


 咄嗟の出来事に裕也は壁に張り付いたまま、石のように固まってしまっていた。その時、女がもう一度だけ「助けて」と叫んだことで我に返った。さもなくば多くの群衆と共に傍観者の一人になり下がるところだった自分に心の中で喝を入れる。そして気を取り直すと、壁を思いきり蹴り、獲物を襲う鷹のごとき勢いで女を助けにいった。

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