第18話 明日、7時集合

 静かだった中庭に比べ、室内はガヤガヤと賑やかだ。

 1階に教室がある1年生も学校に慣れてきたのだろう。


 階段を2つ上り、3階へと到着した俺達は、すぐ隣りにある教室に入ろうとする――はずだったのだが、


「美味しかった?」

「まじで美味しかったぞ。これなら毎日食べたいぐらいだ」

「なら毎日作っちゃおっかなぁ〜」

「まじで!?」


 屋上に続く階段から、できれば聞きたくない声と、できれば聞きたくなかった言葉が立て続けに俺達の耳に入ってきたのだ。


 ピタッと教室へと入ろうとしていた足を二人して止め、登ってきた階段を数段降りて聞き耳を立てる。


 嫌ならば聞かなければ良い。聞きたくないならすぐに逃げれば良い。

 それは俺達だって分かっている。だが、出会ってしまったのも運の尽き。後から何を話したのかモヤモヤするぐらいなら、今全部聞こうという思考に陥ったのだ。


「ほんと〜。よかったら明日も作ってきてあげるよ?」

「まじ!?」

「大まじ〜」

「元々楽しみだった遊園地がもっと楽しみになった!」

「そんなに私の料理が嬉しいの?」

「彼女の料理が食べられるってだけで嬉しいのに、初デートで遊園地に行けるんだぞ?もしかしたら今日寝れないかも……」

「明日は1日中遊ぶんだからいっぱい寝てよ〜?私も手の凝ったお弁当作ってくるからさ」

「その言葉で寝れなくなる……!!」


 二人の顔は見えないが、どうせ微笑み合いながら会話してるんだろう。

 俺と話しているときよりも美緒の話し声はあからさまに楽しそうで、男の方も癪なことにも嬉しそうだ。


 でも、そうか……。

 二人は明日、遊園地に行くんだな?

 なるほど、なるほど。遊園地に行くんだな?二人で。初デートで。


「「ふーん」」


 自然と溢れた言葉が重なる。

 誰と重なったかなんて、言わなくても分かるだろう。


「お前まさか、ついて行くなんて考えてないだろうな?」

「しないよ?ていうかそっちこそストーカーなんてしないよね?」

「しねーよ」

「ふーん」


 腹を探り合う会話は熱の籠もらない声で行われ、すぐに幕を閉じる。

 それはなぜかって?理由なんて一つしかないだろう?


「――7時に駅前に集合ね?」

「おう!」


 確認のために言ったであろう集合時間と集合場所が美緒の口から漏れ、階段を伝って俺達の耳がキャッチする。

 そして口から放たれた速球は口を揃え、


「「はっや!!」」


 多少声が張ってしまったが、完全に二人の世界に入っている上のカップルには聞こえていないだろう。

 現に、不思議がる声は何一つとして落ちてこない。


 にんしても早すぎないか……?確かに1日中一緒にいると美緒が言っていたが、それにしても早すぎないか!?朝の7時だろ?……いや早いな。


 ポケットからスマホを取り出し、パスワードを入れてロックを解除すると、俺はすぐさま時計のアイコンのアプリを開く。


 いつもは7時に設定していたアラームを少し前――5時30分にセットし、電源を落としてポケットに戻す。

 なぜか同じような行動を藍沢もしていたが、なにか連絡でも来たのだろう。


「……なに?」

「なにも?なにか連絡でもきたのかなぁ〜って思っただけ」

「あ、あぁ〜そういうことね。うん。連絡きたんだよね」


 藍沢から睨みを飛ばされたので素直に答えてみれば、なぜか藍沢が動揺してしまう。

 連絡じゃないのか?だとしたらなんだ――


「――そろそろチャイム鳴るから教室戻ろっか」

「もう1回……いや、何回でも言うけど、美緒のお弁当が一番美味しいよ」

「ほんと何回でも言うね〜。そんなに美味しいって言ってくれるなら、私も作った甲斐があったわ〜」


 惚気とともに降りてくるカップルは、下で慌てふためく俺の方を見ることなく、二人並んで教室の方へと歩き去って行く。


 二人のローファーの音が聞こえなくなると、すぐに隣から「はぁ……」なんてため息が聞こえてくる。

 俺も安堵のため息を吐きながら手すりに肘をつき、体重を預け、


「俺だって毎回美味しいって言ってたし」


 嫉妬の眼差しを二人が去っていった方向に向ける。

 あの男は精々手作り弁当をもらったのは5回程度だろう。残念だが俺は16回も作ってもらっている。最高の手作り弁当をな!


 胸を張り、フンッと鼻を鳴らした俺はもう一度二人が去っていった方向を、勝ち誇った眼差しで見やる。

 だがそんな俺とは裏腹に、階段に腰を下ろす藍沢は膝を抱え、か細い声で言葉を漏らす。


「私だって頑張ってたのに……」


 膝に顎を乗せ、今にも泣き出しそうな藍沢は階段の先をジッと見つめていた。


 唐揚げを食べさせられた時、藍沢は料理には自信があると言っていた。聞いてなんてないのに。ましてや頂戴なんて言ってないのに。

 でも、誇らしげに胸を張って言っていた藍沢は、冗談抜きで自信があったはずだ。


 だが階段を降りてくる前、あの男は『美緒の弁当が一番美味しい』と口にしてしまった。


 俺とて最初からその言葉に気づいていたわけではない。今、藍沢の顔を見てはっとしたのだ。

 慌てていたのは俺だけだということと、この言葉がどれだけ藍沢の心を抉るかということに。


「小さい頃からずっと頑張ってたのに……」


 俺が見る藍沢の口からはネガティブな言葉が溢れてくる。それどころか、目からも何かが溢れ出しそうになっている。


 スッとポケットからスマホを出し、時間を確認した俺は体重を預けていた手すりから身体を動かし、スマホをしまいながら藍沢の前に立つ。


「藍沢?」

「なに……」


 いつもの声色で言葉を落としても、返ってくるのはか細いもの。

 顔を上げることなく、遠い目をする藍沢の視界に入るように腰を曲げた俺は口を開く。


「あの男のために料理の練習してたのか?」

「……うん」

「小学の頃から?」

「ん……」

「なら大成功してるぞ」


 首だけを動かして答えてくる藍沢に、花柄の弁当袋を指さしながら言葉を紡ぐ。


「俺が食ってきた唐揚げの中で、藍沢の唐揚げが一番美味かったぞ」


 絶対に口を割らないと思っていた言葉だったのだが、すんなりと口からこぼれてしまった。


 別に藍沢が気の毒だからとか、こういう言葉をかけるべきなのだろうと思ったからではない。

 ただ純粋な本音が口から溢れ出たのだ。


「今の私は、好きな人以外の『一番美味しかった』って言葉は求めてないんだけどな」

「なんだお前。絶対に口にしないって思ってた言葉を言ってやったんだぞ?光栄に思え」

「自分が勝手に言ったじゃん」


 俺の言葉でいつもの調子を取り戻したのか、はたまた自分の中で整理がついたのかは知らないが、普段通りの声色に戻った藍沢は、顔こそこちらに向けることはなかったがフニっと頬を緩ませる。


「前にも言ったけど、私は弱みに付け込んできても好きにならないからね」

「分かってるよ。そんなこと」


 振られた男に対してこんなにも悲しんでいるのだ。すぐに乗り換えられても反応に困るし、まず絶対に乗り換えないだろう。


 腰を持ち上げた俺は階段を上り――瞬間、お昼休みの終わりを告げるチャイムが学校を包みこんだ。

 それを気に藍沢も抱えていた膝から手を離し、お尻を階段から離す。


「先生が来てなかったらラッキーだな」

「次って数学だよね?絶対来てるじゃん……」

「一緒に怒られるか?」

「え?全然嫌。1人で怒られて」

「……調子が戻ったようで何よりです……」

「おかげさまで〜」


 納得のいかない返事に眉を顰める俺だが、藍沢は気が楽そうな顔で俺の隣を通り抜けて教室へと入っていく。

 その後ろに続いて俺も教室に入り――


「――おい善田。遅刻だぞ」

「なんで俺だけ!?」


 1秒前に入った藍沢は怒られず、なぜか俺だけが怒られたことに対して、更に眉を顰めた俺は、席に着いた藍沢の背中にデコピンをかますのだった。

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