シーン4
2.チャラ男だった君は何故
「旅行にでも出かけようか」
ヒカルが僕の手を取る。最近はこの部屋に入り浸って、ほとんど家には帰っていない。しょっちゅう会ってるのに、まだ僕と出かけようと思ってくれるんだ。その優しさにふと涙腺が緩んで、
「いいよ、そんなの。今でも充分楽しいし」
目を擦ってたら、そういうのやめろってとため息をつかれた。
「俺が茜と行きたいんだよ。気を遣ってる訳じゃないから」
「でもヒカル、外に出ると目立つし」
「……旅行、行きたくないの?」
眉をひそめたヒカルの顔を見ると、何故か言葉が出なくなって、僕は必死で首を横に振る。
最近、自分の思考がネガティブ気味で、こうやって何度もヒカルを困らせている。わかっているけど変えられない。ごめんねと謝ると、そうじゃないよと呟いた。
あ、ダメだ。
不意に気づいた。
これは魔だ。自分の中の闇が広がって、良くない未来に向かっている。
カバンを手にして立ち上がり、
「今日は帰るよ」と言い捨てて家を出た。追いかけてくるかなって一瞬思ったけど、ヒカルも呆れてしまったようだ。
足早に駅まで歩き、久しぶりに電車に乗る。というか、外に出るのはおそらく一ヶ月ぶりだ。
前期の試験が終わるのと同時に、僕は引きこもりになった。
相良からの連絡がウザくて、スマホも触っていない。バイトも辞めたのでお金が無くて、ヒカルの部屋で一日中ごろごろしていた。
彼が帰ってきたらごはんを作って、一緒にお風呂に入って寝る前にセックスして、眠って起きたら昼過ぎで、映画を観てたらヒカルが帰ってきて……の繰り返し。
何にも考えたくなくて、何もしたくなかった。ただヒカルのそばにいて、甘く愛されたいと思ってた。
だからきっと、これは魔なのだ。
このままじゃ僕だけじゃなくて、ヒカルもダメになる。
家に帰って電気を付ける。しばらくぼーっとしてたら、チャイムが鳴った。
ヒカルかなと思ってドアを開けたら、何故か透夜が立っていた。
「あれ? どうしたの?」
「それは僕の台詞だな」
ズカズカと部屋に入って、透夜は僕のベッドに座った。そして手招きする。
「え、透夜とはしないよ?」
「何言ってんの。いいからこっち」
急かされてムッとする。
「何だよ急に」
「明日、僕と一緒に実家に帰ろう」
意味がわからない。
「なんで?」
「……茜の今の状況は、僕の責任でもあるから」
そう言われて、話を聞きたくなった。透夜の隣に座ると、
「先に謝っとく。僕は以前から茜のことを知ってた」
「どういうこと?」
「……前に磯山くんから、写真を見せてもらったことがある。茜と彼が付き合ってる頃に」
驚いた。磯山、という単語に胸がズキズキして、僕は透夜に再度、どういうことと詰め寄った。
「ちゃんと話すよ。……高校生の頃、磯山くんとはバイトが同じで、わりと仲良くしてたんだ。恋バナが好きなスタッフと3人で話してた時、僕が恋愛に疎いと言ったら、磯山くんは茜のことを自慢げに話し始めた」
「自慢げ?」
違和感があったので口を挟むと、そうだよと透夜は微笑んだ。
「僕は幼くて、男同士の関係がそもそも新鮮で。それで余計に、茜に興味を持った。高2の秋にバイトを辞めて、そのまま音信不通になったんだけど。一年後ぐらいに、久しぶりにバイト先の店に行ったら、彼が亡くなったって店長から聞かされたんだ。すぐに茜のことを思い出したよ。大丈夫かなって気になってた」
でも、兄貴と三人で会ったのは本当に偶然だと、透夜はいつもの真顔で言った。
「元々、人のことに深い興味が無くてさ。でも茜のことは、何故か心に残ってた。茜原五月っていう名前も印象的だったし。だからあの偶然がすごく嬉しくて、また会いたいと思った。それで……」
透夜は一瞬言い淀んで、
「ヒカルに会わせたんだ。彼は雰囲気が少し、磯山くんに似てるから。一度動画を見たら気になって僕に連絡してくると思ったんだ」
あっけに取られて、言葉が出てこない。
まさか、磯山と透夜が友達だとは。そして、意図的にヒカルと出会わせた、なんて。
「……なるほどね。透夜が謝る理由は分かったよ。でもそれが実家に帰ることと、どう繋がるの?」
ようやく疑問を口にする。
すると透夜は、うむむと言いながら頭を掻いて、
「実家っていうか。磯山くんの家に、一緒に行ってみないか? 僕はお墓参りがしたいんだけど、茜はまだ、難しい?」
「いや……。ううん。僕も行きたい」
ネガティブになってる僕が、磯山のお墓参りって。ホント言うと賭けだ。でもこのままじゃ、おそらく前に進めない。
そして、ずっと知りたかったこと。
磯山の彼氏である播磨さんの、自殺の原因がわかるなら――。この機会を逃したら、もう二度と行けないかもしれない。
そう思うと、透夜の提案も悪くないように感じた。
次の日、僕と透夜は新幹線に乗っていた。
席に着いてから透夜はずっと眠っている。
アイドル業が軌道に乗ったのはいいんだけど、学業の方は大変そうで。
昨日もあれから遅くまで授業の復習をしてたらしい。
お弁当を広げて一口食べる。なんとなく周りを見ると、平日のお昼前なのに人がたくさん乗っている。
ビジネスマンも多いけど、学生っぽい人もいて、自分を棚に上げるけど何してんだって思う。
この旅行が終わったら大学に戻らなくちゃな。
一ヶ月のロスはかなり大きい。考えだすと不安になるので、何とかなると自分に言い聞かせてみる。
「磯山くんとの付き合いは長かったの?」 急に顔を上げて、透夜がこっちを見た。目が充血してる。寝不足ならもっと寝てればいいのに。
「まあ、それなりにね。二年ぐらい?」
「お、それは長い」
「そう?」
「ちなみに僕は一度も人と付き合ったことが無いから、想像するしか出来ないんだけど。高校生活の三分の二を、同じ誰かと過ごすのは、長いと感じるもんじゃないの?」
「それは人に寄るかもね。僕らはちょっと違ってたし」
うーん。上手く説明できるかな。
「磯山は中学の時に好きな奴がいて、僕と付き合ってる間も、そいつのことをずっと好きなままだったんだ。付き合えるならそれでもいいって、最初は思ってたんだけどね。段々しんどくなってきて、結局上手くいかなくなっちゃった」
あの頃のことはもう過去で、今は痛みもないけど。当時は本当に辛くて、磯山のことを憎いとさえ思ってた。
「高校を卒業したら、その子に会いに行くって言ってたのに。どうすれ違ったのか、違う人と心中してさ。なんかそれも悲しいっていうか」
「時系列でいうと?」
「えーっと、高1の夏から高3の春まで付き合ってて、その年の秋に亡くなった。ちょうど今頃」
「てことは、2年前?」
「ああ、そっか。そうなるんだ」
もう2年経つのか。
あれは文化祭が終わって次の週だった。朝学校に来たら隣のクラスがざわついてて、先生も廊下を走ってるし何かあったのかなって、何にも知らずに、ただ不穏な空気だけを感じてた。
磯山の死を知ってからの数日は、記憶の中でぽっかり抜け落ちている。だからなのか、最近の出来事のような、でも遠い昔のような変な曖昧さがある。
受験を乗り越え、高校を卒業して。
進学のために上京してからはもう、新生活を軌道に乗せるのに必死で、でも時折思い出しては苦しくなって。それでも、どうにか折り合いを付けて、平気なふりして過ごしてきたのだ。
新幹線を降りてローカルの沿線を乗り継ぎ、地元に一番近い大きめの駅に降り立つ。
「磯山くんの家、覚えてる?」
「もちろん」
「じゃあ任せる」
快速電車に乗ってすぐ、透夜は目を閉じた。
それにしても、銀縁のメガネがめちゃくちゃ似合っている。
アイドルになったとて、オーラの薄さは変わらないんだなと感心していたら、ぎゅっと腕をつかまれた。
「さすがに気づくから。窓でもしばらく眺めてなよ」
そう言い捨てて、ぷいと横を向く。仕方ないので車窓を見ると海が広がってて、思わず歓声を上げた。
「海好き?」
「好き好き。毎日見てたけど、やっぱ癒される」
自然に笑顔になって透夜を見ると、良かったと言って彼も微笑んだ。
「この旅に付き合わせたのは、海を見せたかったってとこもある」
「うん。なんかわかる。地元愛だよね」
「まあ、そんなもん」
駅名を告げるアナウンスの後、電車は静かに止まって僕たちを促した。
磯山の家は、駅からバスに乗って20分ぐらいの、山を切り開いた住宅地にある一軒家だ。
チャイムを鳴らすとおばさんが出てきて、僕を見て懐かしいと笑顔を見せた。
リビングに入ると、顔を見てあげてと仏壇に誘われた。
「もうすぐ三回忌なのよ。だから来てくれて本当に嬉しいわ」
チェストの上に置かれた、可愛らしい仏壇に手を合わせ、その横の遺影を眺める。 横と後ろを、少し刈り上げた茶髪にピアス。
相変わらずチャラそうで、でも神経質そうな目元が印象的で、そういうアンバランスな魅力のある奴だった。
「いい写真ですね」
透夜がおばさんに話す。チャラいよねーと彼女は笑いながら、
「でもこの写真、いい顔してるのよ。小学生まではこの部屋で、こんな顔して笑ってたんだけどね。中学入ってからヤンチャになっちゃって、家ではほとんど笑わなくなってたから」
「僕の印象ですけど。強くならなきゃって頑張ってる人だと思ってました。見た目より真面目というか、優しくて気配りができる人で」
「わかる。なんか年上みたいだったよね。背も高くてクールで、カッコよかった」
「ちょっと、褒め過ぎじゃない?」
おばさんが明るく笑う。
「後悔、めっちゃしてるんです」
僕はまっすぐおばさんの顔を見た。
「あの時、僕が何か気づいてたら。止められたんじゃないかってずっと、ホントにずっと思ってます。高三になってから、連絡取らなくなったことも、ずっと後悔してて……」
「茜原くん」
ヤバい。ちょっと泣きそう。
「いやあの、すみません」
「ありがとう」
おばさんは僕の手を握った。
「あなたのせいじゃない。後悔なんてしなくていいのよ。あの子の人生は、あの子のもの。私たちはそれを受け入れて、あの子を忘れずに生きていけばいいの」
「忘れずに?」
「うん。出来ればずっと覚えていてあげて」
忘れることなんて今は考えられないけど、僕は大きく頷いた。
帰り支度をしていてふと、心中相手の播磨さんのことが気になって、
「あの。播磨さんの家とは連絡取ったりしてますか?」
そう尋ねると、おばさんがサッと顔色を変えた。あ、やっぱ無理だったか。
「すみません。どうせならそちらも、お墓参りさせてもらえたらと思って……」
「いいのよ。ううん、連絡は取ってないし、お墓の場所も知らないわ。でも職場の店名を知ってるから、そこで聞いてみたらどうかしら」
播磨さんの職場は確か、雷神カフェというお店だっけ。駅前のデパートに2号店があって、僕も前に利用したことがある。地元ではちょっと有名な店だ。
お礼を言って磯山の家を出る。そのままバスに乗って墓地に向かった。
「透夜はお墓参り、したことある?」
なんとなく聞いてみたら、首を横に振った。おや? 何故か素っ気ない。
「お線香は持ってきたけど、他にお花とかいるんだっけ」
「知らない。ネットで調べたら?」
僕はちょっと寝るから。そう付け加えて透夜は目をつぶった。
なんだよ急に。僕も窓に目を向けて、ぼんやりした景色を眺める。
磯山の家に行って、本当に良かった。
勝手に背負ってた重い石を、ここで下ろしていいよとおばさんに言われたような気がして。
僕はこの言葉を聞くために帰ってきたのかもしれないなとふと、思った。
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