第16話 天井下がりと紳士な探偵

 天井から落下したのは、郵便配達員のような恰好をした男性の上半身だった。

 ただし、落下と言っても床に落ちた訳じゃなくて、下半身は天井に埋まったまま止まっている。それでも衝撃はあったらしく、彼は咄嗟に帽子と肩掛け鞄を押さえていた。


「サガリ、盗み聞きしたということは、手伝う意志があるということか?」


「いやいや、俺は手紙を届けに来ただけだよー」


「そういえば、セージにはまだ紹介していなかったな。この男はサガリ、盗み聞きと噂話をこよなく愛する下賤な怪異だ」


「郵便配達のついでに探偵と助手君のお仕事見学をしてた、妖怪・【天井下がり】です~。天井からぶら下がって人を驚かす、愛嬌たっぷりの怪異って覚えといてね」


 サガリと呼ばれた逆さまの怪異は焦ったように手をバタつかせて、その拍子に鞄の中身がバラバラと零れ落ちた。


「手紙が落ちましたよ。はい」


 僕は咄嗟に空中でそれらをキャッチしてサガリさんに返した。けど、なぜかサガリさんは唖然とした表情を僕に向けた。


「いやいやいや、おかしくない~!? バラバラに落ちた手紙十通以上、全部空中でキャッチしちゃうっておかしいよね? ねえ探偵、セージ君って天狗の混ざりものか何か!?」


「これくらい普通じゃないですか?」

「普通じゃないよ! 天井から生えてる俺がびっくりするくらいだよー!」


 サガリさんの言うびっくりの基準がよくわからない。


「村での活躍を知らないのか? セージの身体能力は並外れているよ。子供の頃から、狭い蔵の中でふゑありから逃げ切る程の俊敏さを身に付けていたんだ。先日も成人男性を背負ったまま全力疾走して、迫りくるふゑありの群れから逃げ切る芸当を夜通しやってのけた」


「誰にでもできる事だからやらせたんじゃなかったんですか?」

「セージだからこそ、やらせたつもりだったんだがね」


「僕は、ちょっと運動神経がいいだけですよ。それに、たまたま運動する機会に恵まれただけです。

 高校の頃、謝礼金を出すから部活動を掛け持ちして欲しいって部長達に頼まれて、空手や柔道、剣道とかをかじったんですよ。うち弟妹がたくさんいるから、学費に困ってたんです。でも最近は、バイトが忙しくてあまり練習できてません」


「掛け持ちで県大会優勝、有名警備会社からのスカウト——謙遜も過ぎれば嫌味になるというものだ、セージ……」


「運が良かっただけですよ」


「へえぇ。驚かせるつもりが、こっちがびっくりさせられっぱなしでつまんないなー」


「やっぱりそのつもりで潜んでいたのか、サガリ」


「妖怪にとっちゃ挨拶みたいなもんでしょ。手伝うから許して~。セージ君は許してくれるよね~?」


 ぶら下がったままウインクするサガリさんに、僕は苦笑いしながら頷いた。


「よし、サガリの気が変わらないうちに転移しよう。魔法陣を描くから、メモした住所を教えてくれ」


 転移ってあれか、部屋に瞬間移動するつもりなのか。


「今回は書斎のドアとマンションのドアを繋げないんですか? そういえばこの間、僕の実家に行くときも、わざわざ外から入りましたよね」


 スマホ画面を見せながら、僕は思ったことを口にした。


「ドアの魔法は、内にいる者に呼んでもらえないと使えないんだ。あそこは君の実家だが、君は今あそこに住んでいないから、ドアの魔法は使えなかった」


「じゃあ今回は、内間さんが住んでいる部屋にはドアで行けるけど、もう一つの部屋は大家の許可がないからドアが使えないんですね」


「そういう事だ。融通が利かなくてすまないね」


「あんまり無茶言わないでやってよー。魔法や薬でごまかしてるだけで、探偵は本来、歓迎されないところには行けない難儀な体質なんだからさー」


 チョークが砕ける音がした。

 魔法陣を書く手を止め、万屋さんがサガリさんを睨んでいる。


「人聞きが悪いな。せめて紳士的だと言いたまえ」

「なんだっけそれ、リンカーン? 本物は『招かれぬ所へは出向かぬ紳士』かもしれないけどさ、探偵は喚ばれなくても平気で訪ねて行くじゃん。本物よりたち悪くない?」


「シロアリにでも変身させてやろうか」

「ごめんて」


 サガリさんはあまり気にしてなさそうだけど、万屋さんがこんなに怒るって、よっぽど酷い悪口だったのか? 言葉の意味は全く分からなかったけど。


「セージ、そいつの言ったことは気にしないでくれ」


 万屋さんは書斎の床にチョークで魔法陣を描く作業に戻っていた。


「ドアの内側と外側は別の場所だろ? つまり、ドアは異なる世界を隔てる結界で、あわい横丁と同じような性質を持っているんだ。私はドアのそういう性質を使い、ドアの向こうを目的地にセットして移動している。


 でも、あの魔法は外の世界と行き来するのには適さないんだ。外から横丁に戻るのは簡単だが、横丁から外に繋げるには協力者が必要になる。例えば仕事をくれた依頼人とかね。

 しかも、外から外にあるドアへは絶対に繋げられない。使い勝手が悪いから、現世に行く時はあまり使いたくないんだよ」


「つまり、現世ではあわい横丁の中みたいに、ドアを使っての移動ができないってことですね。もし使うなら、依頼人の協力が必要になると」

「そういう事だ」


「怪異探偵に依頼をするって事は、契約を交わして仕事をさせるって事だからねー。初めて話した時、探偵はかなり慎重だったでしょ。本物みたいに人の心の中にある欲望を見透かせないから、下手すると依頼人に騙されて殺され——っと。ごめんて」


 万屋さんに睨まれ、サガリさんは自分の口を押えた。その様子を見て何かを諦めた万屋さんは深い溜息を吐いて立ち上がった。


「魔法陣が完成した。二人とも、円の中に入ってくれ」

 

 そっと足を入れると、天井から降ってきたサガリさんが横に立った。普通に二足歩行できるのかよ……。


「私は無垢なる者の為に心臓を捧げ、鷹の翼を折り、蛇の毒牙を抜き、像のように口を閉ざす、狼の皮を剥いだ子羊である。故に正体はなく、あわいこそが我が魂の檻となる。聡明なる辻の守護神よ、空の躯を通し給え」


 万屋さんが呪文を唱えると、魔法陣が緑色に光り輝いた。

 そういえば、万屋さんは魔法使いなんだよな。いつも呪文も無しに杖を振り回すせいで、そうっぽく見えないけど。


 眩暈のような感覚の後に、僕達は知らない部屋に立っていた。どうやら転移は成功したらしい。


「そういえば、魔法で移動するかどうか以前に、大家さんに許可取らないと入っちゃいけない場所ですよね?」


「そうとも。見つからない内に捜査を済ませてしまおう」

 万屋さんはニッコリ笑った。


 勢いに流されて不法侵入しちゃったな……。


 しょうがないので、開き直って辺りを見回した。

 家具のない空き部屋だ。埃臭さと僅かに下水の匂いも漂っている。床の上には虫の死骸。あまり管理は行き届いてなさそうだ。


 ふと、僕は押入れを開けた――誰もいない。


「セージ?」

「すみません、視線を感じた気がして」


 今もそうだ。誰もいないはずなのに、何かに見られている気がする。

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