12 全ては腹の中



「例えば君がおいしい牛肉を食べたいとして、自分で牛を育てるところから始めるとする。スーパーなんかでは売ってない、極上でとびっきりのが欲しくてね」


 肘をついてその手の甲に片頬を乗せ、青年が講釈を垂れる。男性にしては長めのブロンドが重力に従い垂れ下がり、同様にもう半分の黒髪が顔をわずかに隠した。


「さて、そうして手に入れた家畜をおいしく育てるためには、何が必要だと思う?」


 もう片方の手で人差し指を軽く立て、「一個挙げるとするなら、だ」と条件を付け足す。返事を求めているわけではない。それが分かっていたから、ユユは黙って続きが述べられるのを待って、


「とっておき、こだわりの飼料だよ。あそこで──『メリの惠』で行われていたのは、飼育だ」


 彼は淡々とした断定口調で事実を語る。その感情の窺えない君月きみつきの顔に、ユユはあの時のことを思い返していた。



 ◆


 殺さないでと、そう懇願するユユの声に手を止めた美曙みあけ。その機を逃さず、『神』は吐き捨てるように笑うと──降参、そう大声で告げた。


 刀はしまわず判断を仰ぐように美曙が見やった先、いつの間にかその横にいたけいに支えられながら。


 溜息を吐いた君月が嫌そうにしつつも頷いたのが、やけに長かったその日、ユユの覚えている最後の記憶だった。



「──改めて、本郷鼎ほんごう かなえです。よろしくお願いします」


「嘘つき」


「慣れとけよ。オレはこれからもコレで通すつもりだぜ」


 一瞬にして被っていた猫をはぎ取り、『神』──改め、本の希望に則って鼎が口角を上げる。その髪は、今も変わらず色を失ったままだ。


 夜が明け、場所は変わって再びの神宿しんじゅく相談所。ソファにはそっぽを向くユユとにやつく鼎、ローテーブルを挟んだもう一台には憮然とした表情の君月、そしていつもと変わらない美曙が座っていた。

 その後ろには淹れた茶を人数分、テーブルの上に配り終えた景がたたずんでいる。誰も何も言わないため、恐らく定位置なのだろうとユユは察した。


 唇を尖らせながら、ユユはぶつぶつと続ける。


「なんか言ってたでしょ、本名っぽいの……トウテツ、とか」


「スマホ見してみろ、ユユ」


 言われた通りユユが自身のスマートフォンを渡すと、鼎は『設定』を開き、その画面を見せてきた。


「これだこれ。トウテツってのはあれだ。機種だとか、型番」


「僕は今でも、殺しといた方がいいと思うんだけど」


 要領を得ているのかいないのかよく分からない解説を遮り、君月が無情な提案をする。もっともな話だった。


 殺人鬼とはいえ──大まかな事情についてはユユも説明を受け、古関こせきという人物がゾンビ関連の主犯ということは既に理解している──人を一人、殺して食べている。


「私。かなちゃんを探してたのは嘘じゃないんです。ただ、あの時いなくなったのが『誰』なのかは……言いませんでした。まだ、考えてた途中だったので」


 目を伏せ、ユユはどう伝えるべきかを考えながら、ゆっくりと釈明するかのように言葉を重ねていく。スマートフォンを回収してから、横に座る鼎には目を向けていない。今、どんな顔をしているのか、見たくもなかった。


「だから、私が探してたのはこいつです。──そういうことに、してください」


「君はそれでいいのかい?」


 こくりと頷く。


 恐怖を与える存在だ。

 見せつけられた、『神』を名乗るのも頷ける、その肉体と精神の尋常のなさ。ことここに至るまで、本性を隠し通していたという事実も気味の悪さの一端を担う。


 在りし日と変わらないその見た目に騙されているだけ、それも大いにあり得るだろう。あの顔一つにほだされたユユではないが、あれが尾を引いているのではないかと問われれば、それは大人しく認めようと思う。


 全部話してもらう、という決意の行く先も、あの瞬間に閉ざされたままで、もう一度振り絞る勇気は出そうにない。


 ──けれど一番の理由は、その存在が失われるかと思ったとき、自分の覚えた感情にまだ、説明がつきそうにないから。


「ワガママ言ってすいません。だから、私が……ユユが見張ります」


「従業員が増えるのはありがたいけど。いいのかい、福利厚生ないよ?」


 つまりはそういうことになった。

 「今のバさきもないので今更です」と切ない事情をぶつけつつ、ユユは決め手に至った考えを今一度、再確認のために思い浮かべる。


 ──ユユが近くにいる限り、鼎は非道に走らない。というか、見せたがらない。


 思えば諸々の所業は全てわざわざ隠れて陰で行っていたわけで、しかも大層なことを言っておきながら最後は防戦一方。勘でしかないが、ユユはそう確信めいたものを感じたのだ。

 そう思っているのを知って知らずか、鼎が目を逸らしたような気配がしたのでその後頭部に睨みを利かす。


「嬉しいわ、今まで男しかいなかったからむさくるしくて。よろしくね、ユユちゃん」


「あ、はい……」


 にこりと美曙が優雅に微笑みかける。手にしたカップに片手を添え、小指を立てる姿は一枚の絵画のようだが、人外相手に日本刀を振り回す姿を目の当たりにした現在、ユユとしてはどちらかというと畏れの方が勝るのが実際のところだった。


 それはそうと、気になることが一つあったのだ。ユユはおずおずと片手を挙げて意思を表明する。


「聞いてなかったんですけど、他にバイトって」


「ああ、一人いるよ。今何してんだっけ?」


「テスト期間中ですよ。中間の」


「えっ、年近いんですか? その、ユユと」


「いや? 大学、」


「一年です」


「一年だそうだ」


「なんも覚えてないじゃないですか」


 景にフォローされるばかりの、素知らぬ顔の君月にツッコミを入れ、と思いきや彼が腹を押さえるので、ユユはちょっと悪いことをしたような気持ちになった。

 その体に暴行を受けた形跡があったのは、朧げな記憶の中でもきちんと残っているからだ。


「後で知り合いに頼むよ。問題なし……いたた。注意を引く必要があったし、殺害現場も知りたかったからしょうがないけど。つくづく暴れやがったよなあ、あの男。古関隆司」


「あれってどうなるんですか? 犯人……いないし、教会めちゃくちゃになってましたけど」


 「めちゃくちゃ」の一翼を担い、犯人を食べた存在がまさに真横にいるわけだが。

 それは置いておくと、ユユはあの小屋での一幕後すぐに倒れており、至極当然といえる疑問を受けた君月が逡巡。

 「ま、働くんだったら言っといた方がいいか」と軽く自己解決した様子を見せ、


「この手の事件には刑事じゃなく公安が動くことになってる。元々カルトの担当もそっちだし、危険性からしても妥当だね。その分、手が回らず初動は遅くなり──というか、ぶっちゃけて言うとほとんど放置されてる」


「今回の場合は例の小屋においてゾンビの消失が起きたため、物的証拠はそれこそ、遺体にしか存在し得ないでしょうね。もしくはあのゴミ捨て場から辿っていくか……被害は現時点で死者六名、重軽傷者は十数名だそうです」


 立て続けに語られたその発言に、ただでさえ容量の小さめなユユの脳みそはちゃんとパンクした。とりあえず、嫌な顔を作る。というか何それ、という顔だ。

 それには君月も一言あるどころではないようで、彼は初めて見る渋い表情をすると、


「だって裁けないし。死体が残るケースの方が稀だし。だから僕らみたいなのがいるんだよ──こういうのをとっとと殺すためにね」


「ガワは間違いなくニンゲンだぜ? ちィと変わっちゃいるが」


 後半で視線を向けられた鼎がとぼけてみせる。その片脚には切り落とされたはずの足が何事もなかったかのように付いていて、「ちょっと」どころではなさそうだとユユは半眼。


 加えて、説明が足りなすぎる。話せ、というユユを含めた暗黙の圧に、鼎はただでさえ細い目をさらに細めると大儀そうに語りだした。


「あー、六年前だったか。道にたまたま死体が落ちててな。ちょうどいいから被らせてもらった」


 ──六年。


 あっさりと明かされたその年数は、覚悟していたとはいえユユを打ちのめすのには十分だった。 


「その少女の死因は? お前が殺したっていうのは」


「──。知らねエ。車にでも轢かれたんだろ」


 口をつぐんだユユの代わりに君月が問い、すげなく返される。それ以上追及されるのを防ぐように、鼎はようやく事の次第を語り始めた。


「ニンゲンやってみたはいいが、なかなか食事にありつける機会がなくてな。気づいたら大した力もねえし、面倒だが教団作って適当な肉で人釣って、イロイロあって古関の野郎にバレた。んで、弱ったところを信仰拗らせたアイツに取っ捕まってた。──ま、ウマかったから許すが」


「三行ちょっとで分かる解説ありがとう。随分と間抜けな化け物だね」


「バケモンじゃねえ『神』だ。──なんならオマエ、試してみるか?」


 顎を逸らして君月を威圧する鼎。やってみなよと皮肉げに君月が煽り返し、相談所内は急速に一触即発の様相を呈す。

 そこに茶をすする美曙がこともなげに、


「次は腕を飛ばすわよ。惜しかったらやめときなさい。ミツキも」


「あいあい、やんねーよ。契約しちまったし、ユユが世話んなったみてエだしな」


「何目線……」


 半眼のままユユが溢し、それを皮切りに緊張感は残されてはいるがやや緩んだ雰囲気になる。溜息を一つ落とし、再び頬杖をついた君月が「もう一回聞くけど」と前置きし、


「マジで、ここでいいのかい? 雇用待遇どころか安全も保証できないよ? 保険ないよ? 労災下りないよ? ていうかここ、多分結構君が思ってるよりグレーっていうか、具体的にはその、開業届も出してないっていうか、」


「ユユバカなので分かんないです。よろしくお願いします」


「……最低賃金だけは守るから。よろしく、甘蔗あまつらくん」


 ようやく呼ばれたその名前に、ユユは一拍置いて、ふっ。という、なんとも気の抜けた──本当に悪気はなかったのだが、悪く言えば鼻で笑うような響きがこだました。



 ◆



「オレの信者にユユが襲われた、っていうのは事実か? あの教会に来るより前に」


 ユユ、そして実家に戻る美曙が帰った後。自ら居残りを希望した鼎がいやにまじめな口調で問いただした。相対するのは君月で、彼は瞬きを一つすると、


「信者……ゾンビか。ああ、そこを美曙が助けた──いや。なるほど」


 自らの肉体を食らったものに復讐を果たすと、未練をなくしたかのように消えていったゾンビ。信者と称されたそれに一瞬不快そうに顔をしかめた君月だったが、鼎が言わんとすることを理解すると表情を変える。彼は顎に手を当て、


「あの時点での彼女に、『恵み』の摂食経験はないはずだ」


 鼎が唱えた疑問を、顔つきを真剣なものにした君月が肯定する。


 ユユにとっての最初の晩の襲撃。『恵み』──神の肉とやらを狙うはずのゾンビが何故、ことを起こしたのか。確かにそれは現時点でもなお、不明なままだった。


「となると、下手に放置しておくわけにもいかないな……結果論だけど、うちに来てもらって正解かもしれない」


 本人に伝えるべきかは悩むところだが。「にしても異例すぎるけど」と溢したその呟きに他人事のような相槌を打つ鼎に、──お前もだよ。という意味の目線を君月が向ける。


「契約だ。僕らがお前に『まち』製の人工人肉を提供する代わり、お前は人に仇なさない。 ──いいね? 化け物」


 抑えきれない敵意を視線に込め、君月は再度確認する。『神』を名乗るだけの人外にとって、契約は絶対。それは前提で、むしろ鼎が一切拒む様子を見せなかったところにも疑問は湧くが。


「分かってるってエ」


「……今からでも殺されてくんない? ねえ」


「契約で縛った意味ねーだろ。それにユユに頼まれちまったからなァ。死なないでくれって」


 ひらひらと手を振ったかと思えば目を窄め、遠くを見やる鼎。その表情はどこか慈しむようにも、愛おしいものに向けるもののようにも見えて。

 それを見て一瞬勘違いしかけたが、これ相手に情のありなしを論ずるのは無意味と思い直す。君月は変わらず雰囲気を硬いままにし、


「あれが本気じゃないのはとっくに僕らも理解してる。誤魔化せると思うなよ」


「だァから食ったばっかだったからよ」


 手応えがなさすぎた。

 交戦のち、そう言って首を傾げた美曙の姿を思い起こす。

 やや踏み込みすぎかと思われる牽制までしたが、飄々と受け流された。本日何度目か分からない溜息を吐き、君月はぼやくように言った。


「まさか本当に、人に対する害意の全てが消えたわけじゃないだろう。そこまでする、お前にとっての彼女って一体なんなんだい」


「さてな。あの時点でオレの目的は達していたから、後のことはどうだっていい。とかじゃねエの」


 まさに暖簾に腕押し。ついに真意を探ることを諦めた君月が、燻る腹の内ごと飲み下すようにグイとカップを傾け、一息に茶を飲み干す。


「──ともあれ、くみしてやろうよ。ニンゲン」


 そのカップが音を立ててテーブルの上に戻されたのと同時。


 全ては語らずに、押しとどめたのは誰にも知られぬ腹の中。それをものともせず、鼎が『神』──否、化け物然としたあくどい表情を見せる。


 全ての化け物を殺し、三十五年前に崩れ去った人の世を取り戻す。

 相変わらず前途多難な道行きに、溜息をこぼす──という段階は既に過ぎ去った君月の、青年らしからぬ子供じみた舌打ちが一つ、落とされたのだった。


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