4 掘り出し物



「着いた、と思うんですけど」


「疑問系だね」


 翌日。ユユは君月きみつきけいを伴って、かなえが残した位置情報を頼りに昨日の現場付近へと足を運んでいた。

 ちなみに合流後、美曙みあけがいないことを不思議に思ったユユが尋ねると、戻ってきたのは「今は本業やってる」という意外な返事だった。


「美曙にとってはこっちは副業。昨日は例外、ちょっとお願いして来てもらってただけさ」


 さらりとややこしそうな事情を述べた君月は今、しげしげとあるもの・・を眺めている。

 裏路地をいくつも通り抜けた先。地図上では神宿しんじゅくから東にずっと行ったところ、四ツ道よつみちの端の方。


 ユユのスマートフォンには『到着しました』と表示されていて、間違いなくここがくだんの失踪現場──のはずなのだが。


「ゴミ置き場ですか」


「随分な有り様だなあ。ここの住人の民度はあまり良くないらしい」


 景が見たままを、君月が細かい描写を付け足す。

 目の前には明らかに放置されきったゴミ収集庫。狭い路地の幅のほとんどをデカデカと埋め、無惨なその姿を晒していた。


「一応聞くけど、そもそも場所が間違ってる可能性は?」


「結構正確……っていうか、精度は高いはずです。有料のやつなので」


「有料なんだ。そっちの方が驚いたよ」


 などと呑気に話しているが、実際予想外の状況であることに違いはない。

 ユユはというと、そもそもが君月曰く「確認作業」のために呼ばれただけの立場。だが、もしかしたらこの手がかりが物凄く役に立って、犯人なりなりがパッと見つかったり──などと期待していた部分もあったのだ。


 しかし現実にはそう上手くいかず、任せるしかないユユはどうするつもりかと彼らの様子を伺い、


「ま、とっとと探そうか。景、」


「はい」


 はたしてこれは指示と言っていいものか。


 超速で君月の言わんとすることを理解したらしい彼は、手早く手袋の上に更にビニール手袋を装着。そして懐から黒い棒──金属探知機らしい──を取り出して準備完了。


 やけに準備万端な様子に一瞬引いたが、なんのことはない。遅れて理解したユユは半眼になる。

 理解というか、そもそもどういう心づもりだったのかを悟ったのだ。


「不燃ゴミの方かな、パッとやっといてくれ」


 とどのつまり、彼らにとっては予想外でもなんでもなかったらしい。


 再度言葉少なに了承した景が、ぽちぽちと起動した金属探知機をゴミ袋にかざし始める。

 横並びでそれを眺める君月とユユ。「一個しかないんだ」「無関係の袋を漁るのも問題だしね」と早々にサボりではないことを主張する彼に、まだ何も言っていなかったユユは適当に応じる。


「告白させてもらうと、まあこうなるんじゃないかとは予想してた」


 「こうなる」とは、梨の礫とはいかないまでも肩透かしな現状への言葉だろう。ユユは小さくため息をつき、


「見てたら分かります。用意いいし。……ていうかむしろ、ユユが考えなしでした」


「いや、プランBを考えるのもこっちの仕事のうちだ。君が反省する必要はないよ」


「なら……あと、もう業者とかに回収されてたりってこと、ないんですか?」


「記録は四日前のものだろ? この地区の収集日は二週間ごと、で前回のがちょうど一週間前。十中八九残ってるはずだよ──第三者の介入がなければね」


 意味深に締めくくると、君月は腕を組む。

 一方、景の一人きりの作業は順調とは言い難い様子だった。ゴミ袋を持ち上げてはその表面に金属探知機を滑らせ、反応がないことを確認してから元に戻す。その繰り返し。


 直接手ではないにしても、青年がゴミを漁る、シュールな光景だ。なんとなしにユユは視線を逸らし、とそこで口火を切った君月にそのまま吸い寄せられる。


「ここらで一回整理しよう。前提として、彼女が自ら望んで姿を消したという可能性は一旦省く、でいいね?」


「はい」


「そしたら考えられる線は二つ。誘拐か、」


 言葉を切り、君月は難しい顔を作る。彼はひどく言いづらいことを告げるかのように口ごもり、たっぷり言い淀んでから、


「何らかの超常的な存在の関与により、既に死ん……いや亡く……この世から……あー、去ってしまった、か」


「そんな気使わなくても大丈夫です。ユユだって、覚悟してなくもないので」


「そうかい? なら続けよう」


 気遣われた、でいいのだろうか。意外な人間性を見せた君月だったが、必要ないと言われるとあっさり翻した。


 まるで、誰かにそうしろと言われたからしただけのような不自然な言動。が、しかしユユに深入りするつもりはないので、スルーすることにする。


「こほん。前者の場合、例のゾンビとの関係が分からなくなってくる。君が襲われた理由もね」


「──」


「だが位置情報の謎は解決だ。真っ先に思いつくのはその子が危機を察知して設定し、犯人により携帯ごと捨てられた、という筋書き」


「犯人……」


「後者なら、まさにそのゾンビに遭遇したと考えるのが手っ取り早い。ただし、携帯の方は謎が残る」


 軽く提示された一つ目だが、はっきり言って話を根本からひっくり返すような説だ。元々、ユユでは対処できない異物ゾンビが混ざり込んだがゆえに、こんな怪しい集団を頼ったのだ。

 それが『犯人やっぱり人間かも』となれば、ユユとしては納得いかない部分がある。


 次、後者。君月の言うようにゾンビに襲われた経験からすると、こちらの方が少しだけしっくりくる。あくまで少しだ。


 正直どちらもピンとはこない。特に後者は、頼むから違っていてほしいと考えてしまう。


 ──だから、ユユが考えを巡らすのはだ。


「もし……その子が」


 どこか後ろめたそうな顔をしたユユが、ぽつりと「本当は、」と小さく呟いた、その直後。


「──甘蔗あまつらさん。ちょっとこちらに来てください」


「っ、はい!」


 景に手招きをされ、ユユは勢いよく振り向いた。バタバタと忙しなく駆け寄ると、顔を険しくした彼が手を開いて見せ、


「これに見覚えはありますか?」


「──!」


 差し出された、ひび割れた白のスマートフォン。それを目にしたユユは驚きに目を見張る。


「かなちゃんの……その子が待ってたスマホです。……これ、中に入ってたんですか?」


「空き缶等のゴミに混ぜられ、袋に詰められていました。──人為的、作為的なものですね」


 景が淡々と告げる。余談だが、常に浮かべていた笑みを消すと、その相貌はますます彫刻じみて見えた。


 ユユが固唾を呑む中、全体を丁寧に拭われ、スマートフォンが君月の手に移る。

 指紋がつかないようにという配慮だろう。いつの間にか彼も手袋を嵌めており、ボタンをいじったりひっくり返したりといった簡易的な確認を終えると、


「電源は切れてるね。目立った付着物もなし。壊されてもいないな、後はこっちで持ち帰って調べてみよう」


 ビニール袋にそれを回収。したところで、彼は言外に解散を宣言した。


 ──あ、終わり?


 一拍遅れて、ユユはぽかんと口を開ける。立ち尽くすユユをよそに、景はビニール手袋を外し、君月と何事か話し出す。場はいよいよ本格的にお開きの流れだった。


「い、やいや……」


 持ち帰って調べて、と君月は言った。


「いつになるの、それ」


 化物に追われて、死にかけてまで目指した手掛かりがこれだけ、なんて個人的な不満はまだ置いておける。

 それよりもこの、辿ってきた糸がぷつりと切れたような感覚が。道が急に失われたような錯覚が、無性にユユの不安を掻き立てた。


 焦ってもどうしようもないことは分かっている。ユユは十七歳の可愛いだけの女の子で、本当にそれだけで。


 分かっていても消えることのない、あてもない焦燥感に突き動かされ、未練たらしくゴミ収集庫を覗き込む。当たり前だが、どこを見ても視界にはゴミしか映らない。

 生ゴミの置かれた区画から強烈な匂いが漂ってきて、うぇ、と鼻を曲げた。


 ──そういえば、こちらは探していただろうか。


 確か景が見ていたのは不燃物の方だけだ。

 何に勘付いたわけでもない。なんとなく思い立ち、ふとゴミ箱の縁に置かれていた金属探知機を手にとって、そちらへ向けてみた。


 その結果に、ユユは首を捻る。


「あの、なんか光ったんですけど」


「うん?」


 突然ランプが作動した探知機を見せながら、君月を呼ぶ。


「おかしいな。そう簡単に反応しないよう設定してあるはず」


「多分、この袋に反応して……燃えるゴミのなんですけど」


 近づいてきた君月に対し、ユユは鼻を摘みつつゴミ袋を指さした。瞬間、


「ふむ」


「えっ」


 君月の手により、なんの躊躇もなく振るわれたカッターナイフが袋の表面を切り裂く。


 ──そこから、ぐちゃりと黒いものが溢れ落ち、


「──失礼します」

「わ、ちょっ」


 目の前が突如暗転する。否、目を塞がれている。気を遣ってか、触れない程度に。

 咄嗟に身構えるも、頭の上で景の声がしたことから状況を察した。察したが、それ以外はさっぱりだ。


 彼は手短に謝意を述べると、真剣な口調で、


「少しの間、ご容赦ください。それとできれば動かないで。……君月さん、」


「うん。これは驚いた。大手柄だよ、依頼人」


 「あの見えないんですけど」と一人置いていかれるユユ。褒められたところで何の事かも分からない。というか、あのカッターナイフはどこから出したのだろう。


 真っ暗な視界の中、聞こえるのはガサガサという物音だけ。そろそろ抗議しようかとユユが考え始めた矢先、冷静な声が止めに入る。


「見なくて結構。彼に感謝するといい」


「えぇ……? ほんとになんなんですか、」


「──強いて言うなら、人体の一部だ」


 ひ、と掠れた声がユユの喉から搾り出された。



 ◆



「血中の鉄分に反応したんだろう。人の体内に分散していれば起こり得ないが、これだけの量なら確かに理屈は通る」


 と、君月は語った。

 その他にも一通り彼から説明を受けたのち、ユユは物凄く嫌な顔になった。具体的に言うと、ちょっと吐きそうになった。


 あの黒いものの正体は血液だった。袋を何重にも重ね、フェイク用のゴミを混ぜ、その内側に紙類に染み込ませた状態で詰め込まれていたらしい。

 乾いたことで褐色に変化した血液が、更に幾重にも重なることで黒に見えたのだろうと。


 それだけでも異様な光景だが、ユユが更に顔を顰めたのは。


「助かる。確認するけど、この毛髪は友達のものではないんだね?」


「……はい。もっと癖っ毛で……あと、色もこんなに濃くなかったと思います」


 なぜ、彼が一目見ただけで人間のものと断定できたのかというと、すなわちそういう理由だった。


「ざっと見た限りですが、色や形に大きく違いがないため全て同一人物のものか……少なくとも、ご友人のではないでしょうね」


 と、景に断定されたユユが、盛大に安堵のため息をついたのは言うまでもないだろう。

 君月は一面の黒褐色とに混ざっていた、大量の黒い糸状の物体──髪を一本持ち上げる。それをしげしげと見つめ、


「ところで君が昨日見たゾンビ、性別はどっちだった?」


「え? それは──」


 唐突な質問に対し、目を瞑り、顔を顰めてユユは考え込んだ。あの異形に、性別なんかあっただろうか。

 十秒、二十秒。その間ユユの頭は必死に回転を続け、しかしいくら思い出そうとしても答えには辿りつけず、


「……覚えてないです。すいません」


「やはりね。──これは想像だけど、そいつの頭。髪がなかったんじゃないかい?」


「あ」


 言われた途端、先ほどまでの苦労が嘘のように、記憶が鮮明に蘇る。

 間近に迫った千切れかけの首、空っぽの眼窩、血がこびりついた口元。


 ──そして、ぼこぼこと凹凸だけが残された頭部。


「昨日の夜、ゾンビの性別について君が言及しなかったのが引っかかってね。人型なら普通、まずそこが特徴になるだろ? それが一言もなかったということは、判別自体が難しい状態だったんじゃないかと推測したんだ」


 見る間にサッと色を変えたユユの表情が、その推測を何よりも裏付けていた。

 瞠目し固まる少女を前に、君月は満足げに解説を述べ、


「美曙は斬った相手のことは忘れるし。覚えていてくれて助かった」


 ユユからすればなんとも言い難い理由で、感謝の意を表し締め括った。


「……えっ、じゃあこれって」


 嫌な想像が込み上げる。恐る恐る問いかけたそれを彼は否定も肯定もせず、


「昨日、この周辺だけゾンビの発生数が多いと言ったね」


「……はい」


「墓地や火葬場は調べたんだが、ゴミ箱は盲点だった、ということになる」


 はっきりと断言されるより、遠回しに言われる方がきつい場合もあるのだと、その時ユユは知った。

 下手に配慮された婉曲表現のせいで、思わず想像してしまう。──何者かに殺され、捨てられたゴミ箱から這い出る亡者たちの姿を。


 思いっきり顔を顰めたユユに、君月は曖昧な笑みを浮かべた。


「とりあえず、通報だけして帰ろうか」


 

 ◆



 警察への対応を一人任された景を置いて、ユユと君月は帰路についていた。

 ゆっくりと朱色に染まり始めた空。昨夜のことを考えると長居はしたくないユユに、


「後は彼に任せてとっととずらかろう。早くしないとサツが来る」


 と、そう爽やかに言い放った君月を止めるほどの度胸はなかった。


 いつものことなのか、再び顔に笑みを貼り付けた景になんとも言えない気持ちになりつつ。それでも、己の身が大事だった。


「見た感じ、ブツが入れられていたのはあの袋だけだった。さっきも言ったように、ゴミ袋回収の周期から考えても、現時点でその少女は無事な可能性が高い。と僕は思う」


 希望的観測を言っているわけではなさそうだった。単に筋道を立て思考した結果といった風な、情緒もへったくれもない物言い──逆にいえば、下手な慰めよりありがたい面もあって。

 だから、ユユが引っかかったのは、そういった言い方とは別の部分だった。


「『犯人』って、やっぱり人間なんじゃないですか。神、様がどうとか、全然関係ない……どっちでもいいけど」


「結論を出すにはまだ早い」


 本音の出た後半は口の中で呟き、と耳聡くその言葉を聞き逃さなかった君月が、ちっちっち。と芝居かかった仕草で指を振ってみせる。


「僕らの専門は、この『神世』における宗教トラブル。昨日伝えたのは、どちらかというと経験に基づいた、いわば類推した結果でね。そりゃあ可能性自体は色々あるよ」


「……適当言った、ってだけにも聞こえます」


「それに、多分もう美曙が言ってると思うんだけど」


 前を歩く君月の、表情は窺い知れない。


「困ってる未成年がいたらちゃんと助ける。他人を頼りづらい世の中だけど、仕事以前に、僕らも大人だからさ」


「言われるほど子どもじゃないです。ユユ、一人で生きてるし。ていうか聞きたかったんですけど、歳いくつなんですか」


「二十二」


「あんま変わんないじゃないですか」


「付け加えると景も二十二。美曙はもうちょっと上」


「っ、こんなこと話してる場合じゃなくて!」


 喋りながら徐々に速度を上げていたユユが、ついに君月を追い越した。

 拳を握り締めた、その顔は今にも泣きそうに歪んでいる。昨夜から──もしくは、鼎の消えた四日前からずっと──堪えてきた緊張と不安とが、ついに爆発したのだ。


「なん……です、けど」


 それでも当たり散らすまではしない。感情に任せて喚いたが最後、言った言葉がそのまま自分に返ってくることを、理解しているから。


「──分かってるよ、依頼人」


 その少女の賢明さを、彼は肯定する。

 足を止めたユユを抜かすと、彼は特段軽いとも重いともいえない、つまりは変わらない調子で続けた。


「出来る限り急ぐけど、携帯の解析には半日はかかる。早くて明日の午前中……」


 君月はトントンと指で頭を叩き、途中で計算が面倒になったのか「あー」と唸った後、


「とにかく手がかりが見つかり次第、連絡する。携帯はいつでも取れるようにしておいてほしい」


「……。……分かり、まし、──?」


 諸々をぐっと飲み込んだユユが、重い足取りで歩き出した直後。ふと、背中に視線を感じた気がして振り返る。


 注意して見渡すも、それこそ自分たち以外には誰もおらず、視界には夕日に照らされるアスファルトがただ延々と続くだけだった。


「今、誰かいませんでした?」


「いや、特には……ふむ。見られていたとすると、その理由は?」


「ユユがかわいくて……」


「もう持ち芸の域だなあ、それ」


 言いながら自信がなくなってきたため、ユユは気まずい雰囲気への誤魔化しも含め、自分から言い出したことだが適当に流す。


「ま、不安になるのも分かるけどね」


「あ、そっちは割と大丈夫です。ユユ、スタンガン買ったので」


「あれ意外と効かないよ」


 その後、その話題が再び取り上げられることはなく。家まで送り届けようと言う君月を「そんなことより早く解析やってください」と追い返す一幕もありつつ、そうして日が暮れる前にユユは無事帰宅した。



 ──その夜、一人目のゾンビによる犠牲者が出た。


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