第4話 殺したのは

 その日、僕は32万おろして指定された場所に行った。今度次回の塾の特別講習の費用と同じ額。塾には特別講習を受けたことにしてもらうよう先生に言っておいた。何せ東大医学部合格間違いなしの僕の言うことを塾は聞いてくれる。こうやって僕はお金と時間を確保していた。しかし、家からそう遠くないところにこんな木々が鬱蒼とした寺があるとは知らなかった。地蔵が並ぶ道を歩き境内に着くと、腰が少し曲がった巫女装束を着た婆さんが待っていた。


「手くらい清めんか。」


「貴方がイタコの方ですか?」


「そうじゃ。手を清めて、お参りしてからついて来い。」


 不躾な婆さんだが、僕は「わかりました。」と丁寧に手を清める。こういうところの作法も一般常識として知識にはいれていた。寺だから願い事をいうものではないことも知っている。ただ、そもそも願い事を真剣に願う人の気持ちが僕にはわからない。欲しいものがわかっていて、神頼みする前に動かない人の気持ちもよくわからない。新年のお参りで長蛇の列ができるニュースを見るたびに、有象無象の列だと僕は思った。先祖や両親への感謝も参る気がしない。手だけ合わせて、僕はじっと僕の動きを見ていた婆さんの側にやってくる。


「終わりました。」


「うん、ついておいで。」


 そう言って、歩き出す婆さんに僕は付いていく。靴を脱げと言われ、境内の中に入り、そこからさらに裏に回ると、階段ともう一つ小さい箱の様な境内があった。寺の後ろにもこういうものがあるのかと初めて知った。婆さんが扉を開くと真ん中に手がたくさんある仏像と大きなろうそくが二つ、すでに火が点いていた。光源はこの二つだけであった。


「携帯などの通信機器はこの階段に置いて入れ。電波は邪魔でな。」


 スマホを携帯というあたり婆さんだな、と思った。大丈夫だろうか。スマホをこんなところに置いて、中に入ってる間に何かされるんじゃないかとちょっと心配になる。


「安心せい。今ここには私らしかおらん。まあそれでも心配なら、ここで中止にしてもいい。」


 心の中を読まれた居心地の悪さで、僕は「そんな心配してないですよ」と笑顔で言って、スマホを置いて中に入った。中に入った途端ひやりとした。気持ち悪いものではなくどちらかと言うと、滝口に立ったような清涼感のある冷たさだった。婆さんは像を背にして座り、僕を対面に座るよう促した。


「では、約束のものは持ってきたかね。」


「はい。」


「ではここに並べなさい。」


 僕は30万と印刷した優子の写真と、一応書いておいた彼女の名前の紙をだした。婆さんは写真を手に取り、じっくりと、でもぼんやりと見ていた。


「なるほど。四十九日も過ぎてないな。これは簡単に呼び出せる。」


「本当ですか!?」


「ああ、しかし、あまりそなたに会いたくはないようだが。何故呼び出す?」


「…聞きたいことがあるんです。どうしても。だから、呼び出してください。」


「ふん。まあいい。じゃあ呼び込むから、聞きたいことはしっかりと聞くがいい。」


 婆さんはそのまま座って、うつむきがちになにやらぶつぶつと唱え始めた。意外と地味なんだな、と僕はぼんやり思いながら、本当に優子と話せるのかという緊張感で手が汗ばんだ。5分ほどたったろうか。突然、先ほどの婆さんと全く違う声でこう言われた。


「ひろ君。」


 それは、優子の声だった。


「ゆうちゃん?」


「…そうだよ。どうして、呼び出したの?私、もう、ゆっくり休みたいな。」


 優子の言い方だった。声まで優しい、優子だ。


「ゆうちゃん、どうしてなんだ。どうして自殺になってるんだ!?君は僕が殺したはずなのに!!」


 僕は覚えている。あの夏の暑い日、僕が家に来たのに、玄関に出迎えにこず、パソコンの前で仕事していた君を怒り任せに近くのスカーフで君の首を絞めたことを。それなのに、まったく抵抗せずに、僕の中で力尽きた君を。首を絞めた時の力と、君の体温の低い背中の温かみと僕の中で崩れ落ちた君のゆがんだ顔を僕ははっきりと覚えている。君が冷たくなってしまうまで、僕は君を膝枕し、ずっと子守歌を歌ったことも覚えているのに。


「ゆうちゃんが来るちょっと前に、毒を飲んで先に死んでたの。毒って駄目なんだね。苦しかった。でも、一瞬だったから、今までの地獄に比べたら簡単だったよ。」


「そんな…バカな・・・。」


 僕は君を殺してから、ずっと待っていた。警察が来るのを。僕を捕まえてくるのを。今か今かと楽しみに待っていたのに。


「ゆうちゃんを人殺しにしたくなかったから。」


「何を、言ってるんだ?」


「私は、そういう風にしかできない。人のためにしか、動けない。」


「君は一体なんなんだ。どうして、そこまで。」


「そんな自分にとうに疲れていたの。だから、これでいいの。私のお願いは一つだけ。眠らせて。ゆっくり。もう呼び出したりなんて、しないでね。」


「待ってくれ、優子、僕はまだ君と話したいことがある!君が何なのか、僕には全然わからない。」


「私の役目は終わり。ひろ君。後は頑張ってね。」


「まって、優子!優子!」


 婆さんはゴン、と音を立てて崩れた。数分もしないうちに、起き上がり、「哀れな魂だ」とぼそりと言った。


「この子、自殺じゃったか。」


「違う、僕が殺した。僕が、この手で。」


「まあいい。そういうのは管轄外だ。この子は私が成仏できるようにしてあげよう。せめてな。」


「待ってください。お金ならまた用意しますから、どうかまた。」


「死者と何度も話すものではない。」


「だけど、このままじゃ、僕は一生何もわからないままだ!」


「超えてはならない線なんだよ。死と生の狭間は。考えろ。自分でどうにかしろ。彼女の想いを無駄にしたくないのならな。」


 どうにかって、何をどうすればいいのだろう。僕の前にはレールがあって、ただそこをゆっくり進むしか道がなくて。外れようと思ったのに、それすらできなくて。


「出ていきな。それが何か自分で掴めんようなら、一生お前はそのままだ。」


 僕は渋々寺を後にした。夕日が真っ赤に染まっていた。優子、優子。君は一体なんなんだ。優しいだけの君の中に、僕は何も見いだせない。

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