言葉が伝わならなくても

市街地の外れに物騒ぶっそうが現れた。

そうヘルプを求められたシエリアは早速、郊外こうがいへと向かった。


するといつのまにか生じた荒れ地にその樹木は植わっていた。

かなり大きな木で、枝の先端には骸骨やミイラがぶらさがっている。


「あれは…エルヴン・トレントかな? なんでこんなところに?」


トレントとは木の姿をした巨大な精霊である。

普段は温厚で社交的な種族である。

特にエルヴンの名をかんするものはエルフの面倒を見るとされている。

しかし、瘴気しょうきさらされると、こんな姿になる。


シエリアは樹の周りをぐるりと回りつつ表皮を観察した。

すると裏側の方にちいさく老人の顔が浮き出ている。

木の枝が伸びたのっぽの鼻に白いヒゲが生えていた。

彼は苦しみにもだえていた。


(うう、迂闊うかつじゃった。こんなところまで来てしもうた。まったく情けないわい)


老人はまゆをしかめて表情をゆがませた。


「おじいさん、気を確かに!! 少し待っていて!!」


シエリアは治療の経験はなかったが、トレントの研究論文には目を通したことがあった。

彼女は雑貨屋に戻るとあれやこれやと道具を取り出して、再び枯れ木の元へ戻った。


「まずは、荒れ地を浄化しないと…」


店主は自転車の空気入れの機構のような道具を出してきた。

針の先頭を地面に刺すとシュポシュポとレバーを押した。

すると、どす黒かった地面は豊かな茶色に変色した。


「よし!!」


今度は木の根本を鋭利えいりなナイフで切りつけた。


(ううっ!!)


思わず樹人じゅじんは声を上げた。

だが、その言葉は少女には届かない。


「ちょっと我慢してください!!」


すると根の切れ目から紫の樹液が吹き出してきた。

それはまるで返り血のように少女をけがした。

それに怖気づくこと無く、彼女はクリーム状の薬をすり込んだ。

そして素早く傷口をメディカルテープで塞ぐ。


それを何回、何十回と少女は繰り返した。

これがかなりの重労働で、一通り処置が終わる頃には、少女は疲れ果てていた。

地べたに大の字に寝そべってしまうくらいである。


かなり人だかりが出来ていたが、連絡を聞きつけたお巡りさんが彼らをはけさせた。

そして栄養剤を飲んだシエリアは立ち上がった。

裏側に回り込んでからトレントに向けて語りかける。


「ひとまずこれでOKです。薬がに行き渡るまではじっとしていてください。けがれが取れれば枝先の不純物は落ちます。芽が出てくるまでは辛抱しんぼうしてください」


少女は顔にベッタリとくっついた樹液をぬぐった。

美しいピンクのミディアムヘアもドロドロである。


(うっうう……どうして…ここまで…)


誰にも聞こえなかったが、彼はすすり泣いていた。

それは少女の献身的けんしんてきな治療に感銘かんめいを受けてのものだった。

それから毎日、雑貨屋は早めに店を切り上げて、老木の元へ通った。


彼の元へ着くとテープをがして、薬を塗り直した。

それを全ての根に繰り返した。

すると、今度は木のみきに虫除け剤を塗って弱った身体をわれないように保護した。


枝が生え変わってくると、そこをトリミングして切り口には防腐剤を塗った。

そのような処置を続けていると、ようやく彼は芽吹めぶき始めた。


今まで不気味なとして住民達は近寄らなかった。

だが、老人が持つ持ち前の生命力は人々を癒やした。

その期待に答えるように、樹人じゅじんは緑に満ちあふれた。


やがて、小さかったトレントの顔も元のようにもどったらしく、樹の半分を覆う程度になった。

彼はしゃべることこそ出来ないもの、いつもにこやかでやってくる人をなごませた。


運動音痴うんどうおんちのシエリアもしばしば遊びに来ては、枝に乗せてもらって木登り気分になったりした。


「シエリアねーちゃん水玉パンツー!!」


少女は顔を真赤にしてスカートのすそを押さえつけた。

更に活性化が進むと彼は真っ白な樹の実を実らせるようになった。

形はリンゴに似ているが、ジュースのように濃厚で甘い。

そして食べると元気になれると評判になった。


実が無くなってしまうと懸念されたが、セポールの人々は優しかった。

無闇矢鱈むやみやたらに採集することはしなかったのである。

それよりも優しい大樹と触れ合うことができる。

それで満足だったのだ。


樹は思った。

ここの居心地は非常に良い。必要とされてもいる。

だが、それでもどこかしら虚無感きょむかんがあった。

自分は本来、エルフの面倒を見る役割がある。

それに、この白い実はエルフの生活に欠かせないものでもある。


別に自分が戻らなくても困ることはないのかもしれないが、としての使命をまっとうしたい。

エルヴントレントの老人はそう強く思うようになっていた。

そんな理由もあったが、なにより彼に無力感を感じさせることがあった。


いくら慕したわれてもこちらからの声は全く届かないのだ。

人間の言葉は理解できるが、一方通行でしか無い。

だが、エルフとなら双方向そうほうこうの会話ができる。


本来、人間の街には存在すべきでない存在。

樹人じゅじんは改めてそういう現実を思い知らされた。

あわよくばここで朽くちるまで人とともに生活しようとも思えた。


しかし、やはり故郷が恋しくなるのは人間と同じだった。

そして彼は旅立ちを決めた。


その日の深夜、シエリアが熟睡じゅくすいしていると急にザラザラと屋根から音がした。

雨にしては大きすぎる音で少女は飛び起きた。

寝間着ねまきのまま店先に出る。


すると、街のはずれから枝が一本伸びてきていた。

その葉が屋根を揺らしていたのだった。

シエリアは目をまんまるにして驚いていたが、すぐに樹人じゅじんだとわかった。

そして少女は優しい顔をして微笑んだ。


「そうか…。お帰りになるんですね。瘴気しょうきにはお気をつけて…」


雑貨屋はひらひらと手を振って彼を見送った。

そのあおい瞳は潤んでいた。

翌日、セポールから大樹が消えた。


住民たちはただ驚くしか無かった。

あんな樹を動かせるわけもないし、盗むことも出来る訳がない。

樹自体が動くという発想がまず無かった。

実際は這はうようにして根っこで動けるのだが。


トレントの移動速度はお世辞にも速いとは言えない。

ここからエルフの隠れ里は気が遠くなるほどの距離がある。

順調に旅をしていったとしても5年以上はかかる。


だが、今の彼ならそれも達成できそうな気がした。

セポールの皆から元気を分けてもらったからだ。


決して樹人じゅじんはこの街に嫌気がさしたわけではなかった。

その証拠に昨日の夜、愛おしげに各家の屋根をなでていったのだから。

人知らず風のように。


…トレントさんの処置はしたことが無かったけど、成功してよかったです。

エルフの樹ですから、人気者になってもいつか旅立ってしまうんだろうなと思っていました。


…あっ…す、スカートの中、のぞかないでください!!…というお話でした。

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