芸術ニ死ス

今日は割と平穏なシエリアの店。

そこに子どもたちがやってきた。

学校の絵を描く課題で、絵の具を買いに来たのだ。


店主は雑貨の棚を引き出した。


「はいは〜い。ゆっくり見ていってね〜」


少年少女は楽しげに色とりどりのカラーを選んでいた。

そして店主は子どもたちの帰りを見送った。


一息つくと路地の影から瓶底眼鏡びんぞこめがねの男性が出てきた。

身長は高いが、ガリガリでヒョロヒョロである。

彼は突然、スケッチするように指でスケールを作り出した。

それに少女をとらえる。


「チェリーブロッサムの髪、サファイアの如き瞳。そして醸かもし出される少女の可憐かれんさ!!思わず印象を超えて写実したくなるビジュアルッ!!」


どうみても変質者だ。少女は数歩、後退あとずさった。

逃げ出しそうな彼女を見て、青年は必死に呼び止めた。


「待った!!待ってください!!ここが例のウワサの店なんでしょう⁉」


叫んで逃げる気だった店主はそれを聞いて踏みとどまった。


「おっ、お客さんですか? 話をお聞きします。こちらへ」


2人ともカウンター奥の小さな椅子いすに座った。

見たところ、自分より年上のようだ。

観察していると依頼主がしゃべりだした。


「名乗るのが遅れてしまってすいません。僕はレージントンと言います。シシュー藝術げいじゅつ大学の学生です」


シシューといえば国内トップクラスの美術大学だ。

多くの国際的芸術家を輩出はいしゅつしている名門中の名門である。

思わずシエリアは感心して声をあげた。


「それはすごい!! で、どんな絵をお描きになるんですか?」


そう尋ねられたレージントンはスケッチブックを取り出した。

そこには滅茶苦茶めちゃくちゃに筆を走らせたせてあったり、幾何学模様きかがくもようが殴り書きされていた。


「こ……これは?」


難解な絵画に思わずシエリアは黙り込んだ。


「僕が描くのは印象派です。内なるパッションを開放し、かつそれにセンチメンタリズムをも内包した……」


青年は長いこと語ったあと、本題に移った。


「このお店はなんでも揃うと聞いてやってきました。私は絵の具が欲しくてですね……」


シエリアは首をかしげた。


「う〜ん、でも、美術のメッカであるシシューの絵の具に勝るものがこの店にあるとは思えないんですけど……」


美大学生はクイッとメガネを持ち上げた。


「雑貨屋さん。小さい頃、クレヨンやクレバス、クーピーを食べる子はいませんでしたか?」


少女はあごに指を当てた。


「ええ。確かにそんな子、いましたね。でもそれが何か?」


レージントンは真剣な顔つきになった。


「彼ら彼女はその"味"に言及していませんでしたか? 美味しいものと、まずいものに分かれていたのでは?」


思い起こせば白色のクーピーを"ほんのり甘い"とよく食べていた男の子がいた。

美大生のメガネがキラリと光る。


「これは経験則なんですが、美味おいしい絵の具というのは非常に色の乗りがいいんです。つまり、上質であるということ。私はそういった美味びみな絵の具を探しているのです!!」


そんなバカな。シエリアの口から思わず声が漏れた。


「えぇ〜〜………」


彼女の懐疑的な反応に対して画家は動いた。


カウンターに小銭を置くと、店の絵の具を一本取り出したのだ。


「一本失礼」


そう言うと彼はチューブに口をつけて青い絵の具をヂュッと吸った。

これは"マジな依頼"だと感じ取ると、少女の顔はきりりと引き締まった。


「そ、それの味はどうですか?」


レージントンは首を左右に振った。


「不味くはないですが、おいしくはない……」


それもそのはずで、彼が口にしたのは子ども向けの安価なものだった。

幼児などが食べてもいいように、天然素材で作られているのも原因かもしれない。

やはり危ない橋を渡らないと依頼のブツは得られないようだ。


彼によれば質の良い顔料は自おのずと美味しくなるということらしい。

しかし、たとえ味が良くても人の毒になる原料は多い。

青年の身を案じてシエリアは意見した。


「でも……それを続けていたらレージントンさんの身体は……」


芸術家はメガネをクイッと上げた。その表情は晴れ晴れとしていた。


「表現のために死ねるなら望むところ!!お願いします。ただ、くれぐれもお嬢さんは原料の味見などはしないでください。そこまで迷惑はかけられませんから……」


依頼を受けて、さっそくトラブル・ブレイカーは色のもとのカタログを取り寄せた。

5冊の本には数え切れないほどの絵の具の見本が乗っている。

その原料を調べながら彼女はチェックをつけていった。

味が良さそうなものをピックアップするのである。


だが、中には巨大なキマイラの致死量を超えるくらいの毒物もあった。

油断と妥協はできない。人の命に関わる重責だ。


(こっ、これは毒があるの? 無いの!?)


特に、鉱物には苦戦した。毒は避けられても味がわからない。

シエリアは冷や汗をかきながら神経と睡眠時間をすり減らして取り組んだ。

試行錯誤しながら絵の具を取り寄せては調合や中和を繰り返した。


数日後、レージントンは店にやってきた。

覚悟を決めた漢の凛々りりしい顔つきである。

シエリアもベストを尽くしてそれに答えた。


「努力はしましたが、味を重視するあまり毒を取り除けなかったものもあります…」


青年に迷いはなかった。


「じゃあ、味あわせてもらいます。まずは作り手の味がでる白から!!」


画家は白のチューブを手にして吸い込んだ。


「ムッ!! とても甘い!! 竜巻シュガーのようだ!! お、おいしい……」


彼は滝のように額に汗をかき、それを拭った。

次に黒ゴマ色の顔料を吸い上げた。


「はぁ、はぁ……次は黒!! うーん!! コーヒーあんこの控えめな甘さ!! あ〜頭痛がしてきたぞ……」


今度は緑のチューブを吸った。


「これは……カエル・ホウレンソウの絶妙な塩味!! ベーコンの味もする!! うまい!!」


すると芸術家は足取りがあやしくなってフラフラし始めた。


「次はオレンジ‼ おお、おお!! 太陽の、太陽が、太陽するぞーッ!!」


蓄積された毒素にやられたのか、彼は前後不覚に陥ってしまった。


「やっぱり無茶だよ!! レージントンさん、もうやめて!! 死んじゃうよ!!」


青年は更に多くの絵の具を飲み込んでいた。

そして、彼は路地にドサリと倒れこんでしまった。


「レージントンさーーーんッッ!!!」


少女は碧眼へきがんをうるませた。


……結局、シエリアがやった毒素の中和はほぼ成功していた。

レージントンはただの寝不足だったのだ。

なんでも依頼した絵の具に興奮しすぎて、ここ数日の間は一睡いっすいもできなかったらしい。


完成した顔料は納得のいく味と質だったようで、彼は満足げにそれを買って帰っていった。


……毒物騒ぎにならず、本当に良かったと思います。

でも、ゲージュツに命をかけるってのはよくわからないなぁ……というお話でした。


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