新米女優 南 渚
春彦は、渚を真剣な表情で見守っていた。
(吉永真子の演技は、あくまでジャンヌダルク役を演じる吉永真子だ。吉永が長年の子役経験で身に着けた、自分自身を個性として最大限に活かす術。今の日本でドラマに出ようと思ったら、一番重要な演技能力だ。だが、俺が渚に求めるのはそんなものを全部ぶっ壊すぐらいの爆発力を持った演技。見せてみろ渚、お前のポテンシャルを)
幕が開け、観客の前に渚の姿が現れた。
同時に、体育館内にどよめきが起こる。
「どうなってんだあれ?」
「大丈夫か?」
そういった声が聞こえてくるのも無理はない。
渚は、舞台の真ん中でうつ伏せに倒れていた。
眠っているようにも、死んでいるようにも見える。
幕が開けてもしばらく動き始めない渚。
真子の演技の始まりも、「ただ立っている」という場面から始まった。それと似た始まりではありながら、一方は魅了、もう一方は不安と、観客に全く逆の印象を与えていた。
渚は静かに目を開けた。ゆっくりと体を起こし、正座の状態で座りこむと、周りを見渡す。視線は一定せず、何かに怯えている様だ。両手は胸の前で、祈る様に強く握られいる。
「夢を、見ていました。どこか知らない世界。争いの無い世界で、誰とも争わずに静かに過ごす。でも、そんな夢を願うには、私の両手は血で汚れすぎてしまったのかもしれません」
突然、両手を左右に振り回したかと思うと、何度も倒れては起き上がり、舞台の後ろへと動く渚。観客の目に映ったのは、処刑人たちが嫌がる渚を無理やり引きずっている姿。
もちろん、現在舞台に立っているのは渚一人だ。他に誰かがいるわけも無い。だが、観客一人一人の眼には、明確にそれが映っていた。
「いや、私はまだ……死ねない。死にたくない。死にたくないよぉ……」
処刑台の位置に投げつけられるように、その場で倒れ込む渚。顔を床に擦りつけながらユラユラと立ち上がる。
やつれた顔。涙を浮かべたままの両目は、自分は無実だと必至に訴えかけている。
「ああ、神よ!私が間違っていたのでしょうか?民のため、この身を捧げた私は、罪人なのでしょうか?私は聖女では無く、魔女だったのでしょうか?」
空を見上げる渚。縛られたままの両手を、必至に天へと伸ばす。
乱れる呼吸。
足元からは火が少しずつ勢いをまし、祈る両手を引きずり下ろすために迫って来る。
震える両手を、それでも渚は懸命に伸ばしていた。
「はぁ……はぁ……熱い。熱い。人も、神も、私の言葉には誰も耳を貸さない。どうして……どうして!!!!死にたくない死にたくない死にたくない。このまま死ぬなんて……あんまりじゃない。……でも、これが運命だとするのなら、私が受け入れるべき定めなのだとするなら、次の世界では……もし私が次の世界に生まれ変わる事を許されるのなら、こんないがみ合い、争いの絶えない世界でなく、あの夢で見た、平和な世界へ……」
力を使い果たした渚は、その場に倒れた。
息を呑む会場。誰一人として声を上げる者はいない。
幕が下りた。
渚はまだ倒れたままだ。
「おい渚!もう終わったぞ!」
春彦は慌てて渚の元へと駆け寄ると、その体を起こした。
春彦は何度も渚の体を揺する。
すると、息を吹き返したように渚は目覚めた。春彦に気付くと、
「あれ?私どうなったの?」
と半分寝ぼけた様子で言った。
「ああ、想像以上だったよ」
春彦のその言葉は渚の耳には入らなかった。なぜなら、ふと横を見た時に見えた真子の目が、小学生の時に見た沈黙の観客たちの目と同じだったから。
トラウマというものは、前を向く努力をし始めた時にこそ足を引っ張るものだ。
渚の中で、あの時の記憶がフラッシュバックする。
「駄目だったんだやっぱり。私が演技なんて、しちゃ駄目だったんだ」
「おい待て渚。お前、なんか勘違いして……」
「離して!」
春彦を強引に振り払い、渚は逃げる様に体育館を飛び出した。
「演技後の不安定さ。純粋さゆえの、役に入り込む弊害か」
春彦はポツリとこぼした。
「ねえ、あなた。もしかして宇田川 春彦?」
腕を組み、不機嫌そうに立つ真子。
「ああ。俺の事知ってんだ」
「そりゃそうでしょ。今の芸能界で絶対的な権力を持つ最大手の俳優事務所”バーンズ”の元トップスター。十五年前にある日突然引退して、出演作品が全て一斉に全メディアから消されたいわくつきの俳優。まさかこんな所で会うなんて思ってもみなかったけど」
「偉く詳しいこって」
「私の事務所(ブロッサム)の社長がよく話してたのよ『あいつより凄い俳優は今後出てこない』って。裏で保存してた映像もよく見せられたわ。まあそんな事はいいわ。でっ?ナギに何を教えたの?」
春彦はさっぱりだと首を傾げ、両手を広げて見せる。
「ほとんどまだなーんにも。これからってところだよ。でさ、わりいんだけど、あいつの事、迎えに行ってやってくんねえかな?オッサンが行くよりも若い子同士の方がこういう時はいいってもんだろ?」
「その必要はないわ。悔しいけど、どうせもう……」
その頃渚は、学校を出てある場所に到着していた。
昨日も訪れた、辛くなった時にすがる様に辿り着く河川敷だ。
(私は演技に憧れちゃいけない人間なんだ。それなのに勘違いしちゃって。私のバカバカバカ!!!)
全力で走ったせいで切れた息と、疲れた体を預ける様に河川敷に倒れ込んだ。
そんな渚の元に近寄る足音が一つ。しばらくして、その足音は渚の頭上で止まった。
「おっ、速いじゃん」
「えっ?」
そこに居たのは、圭だった。
「なんでここって分かったの?」
圭は「何言ってんだ?」と、渚の横に座った。
「なんかあったらいっつもここに居んじゃん」
「そんなの、覚えてたんだ」
「べつに……当たり前だろ」
少しの沈黙が二人を包む。
渚は迷っていた。
何を話したらいいのか分からない。
今日の演技の事を聞くのが怖い。
渚にとって最後の防波堤の様な存在から、否定されてしまえばそれこそ自分が終わってしまう気がして。
しかし、沈黙を破ったのは圭だった。
「今日の演技、よかったぜ」
意外な一言。圭に褒められた経験など、渚の十五年の歴史上一度も無い。いつもツンツンしているか素っ気ない態度の男のその一言に、渚は面食らった。
三角座りをぎゅっと小さくしながら、渚は涙ながらにこう言った。
「で……でも、真子ちゃんの私を見る目が、凄い引いてる感じだったって言うかなんというか……」
「ん?あ~なるほど。そういうことか。ずっと不思議だったんだよ。何でお前があの後から演技やめちまったのかって。お前、たぶん勘違いしてるぞ」
「勘違い?」
「あれは引いてんじゃねえよ。お前の演技に圧倒されてんだよ」
圭の笑顔が、赤く染まり出した陽の光よりも明るく見える。
「ほんとバカだなお前」
「痛っ!」
渚にデコピンをかます圭。
「お前さ、悩むのは勝手だけど、俺も真子も超能力者じゃねえんだから、お前の心の奥まで分かるわけねえだろ」
「ご……ごめんなさい」
「まあいいや。今日久しぶりに演技してどうだったんだよ」
どうだった……。口に出してはいけないと思っていた。心の奥に秘めておかなければならないと思っていた。でも、少しだけ本音を言っていいのなら……。それが許されるのなら、これだけは言いたい。
「楽しかった」
渚は自然と溢れてくる涙を堪え切れず、恥ずかしげも無く泣きじゃくった。
「だったらいいじゃん。今度はやめんなよ」
「うん、うん、もうやめない。私、頑張る」
「死ぬ気で付いて来いよ。俺と真子に追いつくのは簡単じゃねえぞ」
どれだけ涙を流したのか分からない。
気が付けば日は暮れていた。
渚は圭と共に、今日の礼を伝えるため、宇田川演技スクールを訪れた。
扉を開けた二人を迎えたのは春彦と……真子であった。
「真子ちゃん?何でここにいるの?」
不思議そうに真子に尋ねる渚。
「あんたが圭君とここに来ると思ってたから待ってたのよ。そもそもあんたねえ……」
少し不服そうな真子であったが、それを遮るように春彦が話し出す。
「渚!断言する、お前には才能がある。俺がお前を一流の女優に育ててやる。後はお前の意思次第だ。どうする?」
既に一流の道を歩む圭と真子。その二人を前にして、渚はこう言い切った。
「私は、上瀬ユイみたいな、この世界で一番の女優になります」
女優 南 渚 誕生の瞬間であった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます