紅い瞳のメシアと碧眼のリベリオン~秘密匣もののけ奇譚~

みなみのねこ🐈

第1話 カイリと匣

 日輪国。


 私の生まれたこの国は、四方を海に囲まれ独特の文化を育んできた島国である。


 蝦夷地、本州、四国、九州と四つの島から成り立っており、この地に芽吹いた草花たちは、巡る四季を繰り返しながら、色とりどりの姿で私たちの目や耳、それと心を楽しませてくれる。


 そんな美しい日輪国は、海の向こうの大陸の様に地続きではない為、他国からの脅威に晒される事があまりなかったと文献では伝えられている。


 そして、京の都におわす天子様を中心に、公家や武家のお偉い方々が、人々の生活をより良くしていこうとまつりごとを執り行ってきたそうだ。


 ならば、さぞかし争いのない平和な国だったのだろう……と、思われるかもしれない。だが、実際はそうでもない。


 寧ろ、私が生まれるまでに幾多の戦争が起こり、多くの武士や罪もない人々が血を流し、大切な人を残したまま、その生涯を閉じていった。


 ある者は国や主君の為、或いは誇りの為、そして家族の為。


 それぞれの立場と目的の為に、人は同じ人同士で争い合ってきた歴史がある。


 だが、そんな表の歴史と並行して、裏の歴史とでも言うべき不可思議なモノたちとの戦いもあった。


 人々を苦しめる異形と、それを討ち払うべく戦う陰祓師かげはらしと呼ばれる者達。


 面妖な術で襲ってくるモノノケに対して、人々は知恵と道具で対抗して来た。


 裏も表も、千年以上も変わらず血が流れる争いが続いていてきた日輪国。


 しかし、半世紀前に起こった大きな革命をキッカケに、西洋諸国から大量の異文化が流れ込んできて、人々の文化や生活は一変し始めていた。


 変わりゆく国の在り方と、変わらない戦いの日々。


 そんな世界で、私は今を生きている。


                 ◇◆◇◆


 西洋歴せいようれき 千九百二十二年 泰正たいしょう 十一年、六月現在。


 暦の上では、天より恵みの雨が降りしきる入梅にゅうばいから、太陽が一番高くなる夏至げしと呼ばれる日へと近づいていた。


 早朝より降り続いていた小雨がようやく止み、雲の切れ間から幾つもの陽光が零れている。


 「……綺麗ね」


 そんな宝石にも似た輝きを放つ光たちは、空気中の水滴を通して飛散し、暗がりの曇天に七色に煌めく虹を架けていた。


 良い事があるかもしれない。


 そう思わせてくれる虹を緋色の瞳で見つめながら、私は薄っすらと霧に包まれた竹林へと足を踏み入れた。

 

 雨上がりの湿気を含んだ空気が、露出した地肌にねっとりと纏わりついてくる。


 一歩、また一歩と足を踏み出す度に、後ろで一つ結いにした漆黒の髪と、腰にぶら下げたはこが不規則に揺れていた。


 辺の長さ十センチの正方形の秘密匣ひみつばこ


 その匣の中には一切入ってはおらず、寄木よせぎで組み上げられた故の幾何学模様きかがくもようが、複雑な色合いと存在感を誇張している。


 「カイリ、息があがっていますよ?」


 匣の中から聞こえてくる籠った女性の様な声。


 私は相棒に体調を心配されながらも、雨でぬかるんだ悪路を進んでいく。


 地面には落ちた笹の葉が敷物の様に敷き詰められており、歩く度に水気を含んだ重い土が音を立てた。


 「でも……元凶はもう叩いたし、後は女の子を探すだけだから」


 急を要する件とはいえ、早朝からせわしなく駆けずり回ったせいで、すでに疲労困憊であった。


 元々、体力にはかなり自信がある方なのだが、ここ数日は休む間もなく仕事と移動の繰り返しで、まともに睡眠もとれていないと言った状況だ。


 本当なら今頃は、ボロい我が家で心置きなく熟睡しているはずだったのに……


 「人間とは、不便な生き物ですね」


 どうやら、先ほどの『息があがっていますよ?』と言う言葉は、私のことを心配して言ってくれたものではなかった様で、上から目線での言葉だった。


 『休憩してはどうですか?』と都合よく受け取った私の勘違いだったっぽい。


 「いや、あんたにだけは言われたくない。ただ、私の腰にぶら下がってるだけなんだから、そりゃ楽でしょうよ」


 自分の足で歩く事をしない私の相棒は、他人の立場に立って物を考える事も出来ない困った奴なのである。


 そんな匣はさておいて、私は泥だらけであろう脚絆きゃはん草鞋わらじへと視線を落とした。


 「うわぁ、もうぐっちゃぐちゃ。蜥蜴とかげの異形との戦闘で、あっちにもここっちにも泥が飛んでる……ホント、信じらんない」


 仕事用にあつらえた肩周りの露出した上衣じょういは、先ほどまで降っていた雨でビッショリに濡れてしまい、たっつけばかまにも脚絆や草鞋と同様に泥が跳ねて汚れていた。


 今着ている仕事着は、麻織物で仕立てており、上下ともに藍染で深い紺色に染色してある。藍染は皮膚病や毒虫、汗臭さえも防いでくれて非常に快適な上に、回数を重ねて染め上げれば、深い色合いが汚れを目立たなくしてくれる。


 ……のだが、それでも目立つ泥汚れに、思わず愚痴が零れ出ていた。


 「これ、地味な仕事着だけど、結構お気に入りなんだよ? そりゃ、多少は濡れたり、汚れたり、破れたりするのは覚悟出来てるけどさぁ」


 「覚悟出来ているのなら、別に気にしなくても良いのでは?」


 「いや、まぁ、そうなんだけど。それでも、こんなになっちゃうと気分が滅入るもんなの……」


 「なるほど?」


 「なるほど? じゃないよ。私のこの気持ちは、匣のあんたには一生わかんないかもね」


 「ええ、そうですね。実際に理解出来ません」


 「まぁでしょうねぇ、ったく……これ以上の着替えって無いんだけどなぁ」


 とある事件の為に、私は自分が住んでいる藤棚ふじだなの里を出発してから、早二か月が過ぎようとしていた。


 そもそも、当初はこんなにも時の掛かる仕事ではなかった。


 確かに、現場が遠く離れた地域だったとはいえ、半月もあれば行って帰って来られる距離と仕事内容だった。だがしかし、後から追加で仕事があれよあれよと増えていき、気づいた時には五件も引き受けていた。


 そうしてようやく、最後の仕事である人攫いの事件、その解決まで後一歩と言う所まできていた。


 「一応、念の為に気配を探っておこ」


 私は一旦足を止めて、赤いひもで後ろに一つ結びにした黒髪を振り解いた。頭皮に直接触れてくる冷たい空気に、体をぶるっと震わせる。


 「さむ……」


 そうして大きく深呼吸し、心を引き締め、集中する。


 微かな風に揺れる笹の音と竹の軋む音。


 私以外、耳鳴りが痛いほどに感じる静寂の中、緋色の眼を瞑り、心を落ち着けて辺りの気配を探っていく。


 ──異形のモノ、人のモノ。


 近くにはどちらの気配も全くしない、誰もいない静かな竹林。


 危険な気配が無い事を確認した私は、ゆっくりと目を開くと、小さく息を吐いた。

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