第32話 相対する男

 約束の時間より10分早く、玄関チャイムが軽やかな音をたてた。


「お邪魔いたします」


 先に入ってきたのは編集長らしき男だった。

 差し出した名刺を受け取り、リビングに案内する。

 リビングで若い方の男から名刺を受け取り、ソファーを勧めた。


「先日は突然お伺いいたしまして、大変失礼いたしました。私は伊豆タウンマガジンの営業を担当しております山﨑孝志と申します」

 

「コーヒーでいいですか?」


「恐れ入ります。どうぞお構いなく」


 コーヒーメーカーをセットしている間、さり気なく様子を伺う。

 大きな窓から見える景色に感嘆しつつも、調度品などをチラチラと見ている二人。

 初めて来た編集者が見せる態度とほとんど同じだ。

 コーヒーをテーブルに並べ、徒然は一人掛けのソファーに腰をおろした。


「改めまして、お時間をいただき感謝いたします。素晴らしいお住まいですね」


「この家は父から受け継いだもので、子供の頃から夏になるとよく来ていた好きな場所です。そういう意味では伊豆に縁が無いとは言えないですから、お話を伺うことにしたのですよ」


「左様でしたか。この下の海岸で山﨑が先生をお見掛けしたと申すもので、これを流す手は無いと思い、不躾ながらご連絡を差し上げました。こちらが弊社の発行しているタウン誌です」


 編集長の声に、山﨑が数冊の雑誌をテーブルに並べた。


「拝見します」


 パラパラと紙を捲る音に混じり、微かに波が岩を洗う音がする。


「なるほど。伊豆の観光案内とお得情報というところですね? これに私のコラムを?」


「はい。発行部数は3万部で、毎月10日に書店に並び、販売価格は600円です」


「そうですか」


 思っていたよりずっと内容がしっかりしていると徒然は思った。

 伊豆在住の有名人に取材をしたり、地域に密着した情報もちゃんと掲載されている。


「3万部と言われましたか? 失礼だが地域特化タイプの雑誌としては、かなり健闘されているようだ。内容も思っていたより随分充実していると感じました」


「ありがとうございます。お陰様で定期購読をして下さる読者さんも増えてきましたが、私と山﨑、そしてカメラマンと編集担当が数人の小さな所帯ですので、なんとか続いているようなものですよ」


「少数先鋭ということですね。そういえば山﨑さん、昨日は運動会に参加されたとか?」


 孝志が苦笑いで頭を搔いた。


「ええ、うちはひとり親家庭ですが、なるべくそういった行事には参加するようにしています。生まれた時から母親のいない子供なので」


 生まれた時から?


「立ち入ったことを聞きました。すみません」


「いえ、とんでもないです」


 徒然は一石を投じることにした。


「それにしても海岸で私を見かけられたとのことでしたが、私は顔を晒すことがほとんどないのに、よくご存じでしたね」


 孝志の背筋が伸びた。


「正直に申し上げます。先生のお顔を存じていたわけではありません。先生のお連れの方が、私のよく知る人物に瓜二つだったのです。その方が先生の名を呼んでおられたのを聞きました。翌日その話を編集長にすると本田先生ではないかと言いだしまして」


 編集長が後を続ける。


「珍しいお名前ですし、あの辺りに別荘をお持ちだということは知っていましたので、繋がったというわけです」


「ははは! そういうことですか」


 孝志が意を決したように声を出した。


「あの女性は先生のご友人ですか?」


 来た!

 徒然の眉がぴくっと動く。


「あなたが見かけたと言われるのは、妻の美咲ですね。彼女としか来ていませんから間違いない」


 孝志がひゅっと息をのんだ。

 編集長が慌ててフォローに入る。


「失礼しました。山﨑が興奮したように『ものすごくきれいな人だった』というものですから、不躾ながら私も興味を持ってしまいまして。そうですか、奥様は美咲さんと仰るのですか。今日はこちらには?」


「妻は来ていません。今頃は母親と一緒にショッピングでも楽しんでいるのではないでしょうか。今回は急ぎの仕事を片づけるために一人できました。終わればすぐに戻るつもりです」


「そうでしたか」


「彼女は私の乳母をしていた女性の子供でしてね。家政婦としてずっと住み込んでもらっていましたので、娘である美咲もずっと同じ家で暮らしてきました。なんというか身近かにあり過ぎて、結婚を申し込んだのはつい最近なのですよ。まだ入籍もしていませんが、早急に届け出るつもりですし、対外的には妻として紹介も済ませています」


 孝志がギュッと拳を握った。

 徒然が追い打ちを掛ける。


「そんなに似ているのですか?」


 孝志が勢いよく顔を上げた。


「はい、裕子という女性です。そうですか……先生の奥様は美咲さんと仰るのですね」


 その言葉には返事をせず、徒然はコーヒーに手を伸ばした。

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