11 マイナスからのスタート



 その顔面に清楚で可憐な深窓の令嬢風メッキを美しく施して、ラファエル公爵のお出迎えに気の乗らない重い足取りで嫌々やってきたアイリスは。


 にっこりと可愛らしく微笑んだ。


「お帰りなさいませ……公爵様」


 ラファエル公爵に可愛らしく微笑むアイリスの姿は、傍から見れば愛する夫の帰宅に喜んで出迎えにきた貞淑な妻に見えた。


 だが実際の所は。

 普段世話になっている執事リカルドの顔をアイリスは立てているだけだったし、嫌々出迎えに来た訳であって。

 ラファエル公爵の事はお財布くらいにしか思っていないし、帰宅を喜んでない。


 それに愛してなどいないし、普通に嫌いだが。


「え? ああ……ただいま、アイリス」


 そしてお出迎えされたラファエル公爵は。

 まさかアイリスがお出迎えしてくれるなんて思ってもみなかったから、目を丸くして驚いた。


 基本的にこの男は無表情なのでとてもわかりにくいが、アイリスのお出迎えに内心めちゃくちゃ喜んでいる。


 そして対称的な二人の間に長い長い沈黙が訪れた。


 それもまあ、仕方のないこと。


 この夫婦は片手で事足りる程度にしか顔を会わせたことが無いし、話したことも殆どない。


 だからお互いの事もほぼ知らないし、共通の話題もなければ年も10以上離れている。


 アイリスが現在十八歳。


 ラファエル公爵は現在二十九歳。


 夫婦といっても書類手続き上の夫婦であって、愛も無ければ信頼もない。

 それに初夜をしていないので肉体関係も勿論ないし、手すら碌に直接握った事がない。


 なのでお互い何を話せばいいのかわからない。


 それにアイリスに至っては、そもそもラファエル公爵と和やかに話す気がない。


 言われたから来ただけ。


 そもそも何故自分がラファエル公爵のお出迎えに来なければいけないのかと、現在不満たらたらである。


 一応体裁は整えるつもりだが、ラファエル公爵と仲良くなんてするつもりがアイリスには一欠片もない。


 アイリスにとってもラファエル公爵との婚姻は、ただの契約結婚。


「あ……おかえりなさいませラファエル様、晩餐のご用意が出来ております、良ければ奥様もご一緒に……旦那様と晩餐はいかがですか?」


 ここでその沈黙に執事リカルドが助け船を出す。


 それに対して一瞬アイリスは嫌そうな顔をする。


「え……っと、私などがご一緒では公爵様がお疲れになってしまうんじゃないかしら?」


 だがアイリスはすぐに笑顔を張り付けて。

 ラファエル公爵を気遣ってるように装い、やんわりと一緒の晩餐をお断りするが。


「えっ? いや、そんな事はない。……アイリス、私と一緒に食事をしないか? 一人で食べるより二人で食べた方が食事は楽しいと……思う」


「一人より二人……楽しい、ですか」


 一人よりも二人が楽しい……か。


 ……私をひとり領地に3年も追いやった癖に。

 よくそんな事がぬけぬけと言えるなと、アイリスは拳を強く握りしめる。


「ああ、それにアイリスと一緒でも私は疲れないよ」


 公爵と食事なんて私が疲れるし、嫌な顔を見ながらなんて考えただけで食欲を失くす。

 公爵と食事するくらいならばいっそのこと、一人静かに誰にも邪魔されることなくゆっくりと食べたい。


 でもそんな事を言えるわけがないし、こちらから断れるもっともな理由が何も見つからない。

 それに下手に断れば、公爵を怒らせてしまうかもしれない。

 そんな危険な橋はアイリスには渡れない。


「……かしこまりました、では私も公爵様とご一緒させていただきますね」


 にっこりとアイリスは笑って晩餐に向かう。



 テーブルに並べられるお料理の数々は、領地のお屋敷では見たことがないくらいとても豪華で量が多く。

 少食のアイリスを苦しめた。


 貧乏な男爵家で育ったアイリスの身体は、豪華な肉料理の油を受け付けない。

 それにその細く華奢な身体では、量もあまり食べられない。


 領地の屋敷で雇われた料理長には、アイリスが肉料理をあまり食べられない体質だと伝えられていたし。

 野菜中心で量を減らすようにと実家の男爵家より最初から指示がされていた。


 だが、こちらの料理長にはそれが伝わらなかった。


 それもそのはずで。

 お飾りの妻であるアイリスが領地の屋敷を出て、こちらに住む事など全く想定されていなかったからだ。


 一生を領地の屋敷でお飾りの妻として囲われて、アイリスは一人過ごしていくと皆がそう思っていた。

 

 だからアイリスの情報は、共有されていなかった。


 少しの量ならば問題なく食べる事が出来る。

 けれど晩餐の豪華なフルコースは、アイリスにはただの苦行だった。


 アイリスは少しだけ食べてフォークを置いた。


「どうしたアイリス、口に合わなかったのか? 昨日の夜も朝食もほとんど君は食べていなかったようだが……」


 フォークを置いてじっと俯いているアイリスに、ラファエル公爵が気付きどうしたのかと声をかける。


「あ、……申し訳ございません公爵様、私あまり沢山食べられなくて、それとその……お肉が、苦手です」


「前にも言ったが君を責めている訳ではない、アイリスは肉が苦手なのか……。そうか、じゃあ野菜は好きか? 菓子はどうだ? 他に苦手なものはあるか?」

 

「はい、野菜は好きです、甘いものも好きです、苦手なのは……味の濃いものと油っこいものです」


「……今日は肉ばかりだな。……すまないアイリス、突然君をこちらに連れてきてしまったから、不自由させてしまっているようだな。君がここで暮らしやすいように、すぐに整えさせよう」


 ……え、この人、今なんて、言った?


 こんな事で私に……謝った?


 ラファエル公爵が私に今……。


 『すまない』って言った?


 うそ、この人……謝る事が出来るの!?


 その驚きと衝撃に困惑して。

 アイリスはラファエル公爵をじっと見つめた。

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