第七話 十連覇の覇者
あの日、僕は父さんとゼルガーさんと漁に出た。
穏やかな波は太陽の光を優しく乱反射し、網を海に放っていくゼルガーさんの逞しさに見とれていた。父さんの幼馴染で、一緒にいるときは少年のように燥ぐ二人を見てるのが好きだった。
そのあと、急に現れた、あの嵐に巻き込まれて……。
その、嵐ではぐれてしまったゼルガーさんが、目の前に仮面を被って立っている。
大きな体、手に握る剣……やはりゼルガーさんの剣だ。その鈍くギラつく剣は、まるで幾多の戦いを物語るかのように、重々しく佇んでいた。
「――始ッ!」
戸惑っているうちに試合開始の合図がされていた。一瞬の静寂の後、ゼルガーさんが爆発的な速度で動き出す。一〇メートルはあったはずの間合いが一瞬で無くなり、僕の体はゼルガーさんの影に飲み込まれた。
高く掲げられた剣が稲妻のように振り下ろされる。咄嗟に剣を水平に構え、両足で地面を掴むが、その衝撃に体が押し潰されるのを感じた。ランボルトさんの言葉の意味がようやく理解できる。これは技とか、そういう次元ではない、圧倒的な力の差だ。
僕の体は大黒柱が折れた建物のように崩れ、全身に痛みが走る。息が詰まり、糸の切れた傀儡のようにその場にへたり込んだ。追撃はなく、ゼルガーさんは「フンッ」と背を向けて歩き出す。
一〇メートルほど距離を取ったところで振り返り、再び剣を構える。かろうじて体勢を整えたが、足は立つことを拒否している。再度、一直線に猛進しながら剣を高く掲げるゼルガーさん。先ほどと同じように斬撃を受け、僕は再び地面に叩きつけられた。
立ち上がっては潰され、立ち上がっては潰される。一方的な攻撃に、観客は静まり返っている。剣がぶつかる音と地面に倒れ込む音だけが、不吉なリズムを刻んでいた。
――口の中がジャリジャリする。
息が苦しくて、視界が狭くなる。
だが、僕の心はまだ折れていない。師匠の声が脳裏に響く。『阿呆め、力みすぎじゃ』。そうだ、盗賊と戦ったときにも同じことを言われたな。
剣を杖代わりに立ち上がり、肺いっぱいに空気を吸い込む。ゆっくりと息を吐きながら、来るべき稲妻の斬撃に備える。ゼルガーさんの表情は仮面に隠されているが、ニィっと笑ったのが感じられた。
地面を蹴る音が鋭く響き、ゼルガーさんの振り上げた暴力の塊は、残像すら残す速さで振り下ろされる。真っ二つにされるかと思われたその瞬間、僕は剣を握る左手を緩め、斬撃と合わさった剣の重みを利用して体を左へ押し流した。同時に強く握り直し、地面を蹴り込む。柄頭がゼルガーさんの仮面の額を穿った。
頭蓋骨が折れてもおかしくない威力だったが、ゼルガーさんは上体を反らしたまま静止し、ガランッと剣を地面に落とす。仮面は砕け、ゼルガーさんの上空を翻った。
割れた額から血を流しながら、満面の笑みで駆け寄ってくるゼルガーさん。僕を抱きかかえ、子供のように持ち上げた。
――ちょ、ちょ!
「アルム!デカくなったなー!強くなったな―!がっはっは」
呆気にとられる観客、僕、そして審判。
「おい!審判員。俺は降参だ!」
「は……はい。え……覇者!アルムぅぅぅぅ!」
予想もしない決着に、歓声よりも、どよめきが巻起こった。
***
「表彰なんてつまらねぇから出なくていい。それより飯だ!積もる話だ!」
制止する係員を殺気まみれの一睨みで黙らせると、僕を担いで闘技場を後にする。
酒場に連れて行かれた。
覇者は『守り人』になる。後日、詳しい説明でどうせ呼び出されるから、表彰式なんて出なくてよいのだとか。さすが一〇連覇だ。
喉を鳴らしながら冷えたエールを一気に飲み干すと、僕にもエールを飲み干すように強要する。一応、僕も酒を飲める年齢ではある。
「やっと会えたな。アルム……大きくなったな」
「ゼルガーさんは……老けたね」
「がはは。そりゃそうだ一〇年ぶりに会うんだ」
「え?十年?三年じゃ……」
「……やっぱりな」
一転、表情を険しくしたゼルガーさんが語りだす。
「あの日、嵐に飲み込まれた俺は、辺境の漁村で目を覚ましたんだ……」
あの日、嵐が来るはずは無かった。長年、海に出ていると、季節や雲の動き、温度、気圧でわかる。ましてやあの規模の嵐なら前日から予測できた。一日中穏やかな波だからこそ、一三歳のアルムを連れて海に出た。
急な嵐を避ける進路を取ったが、嵐が追いかけて来て、あっという間に脱出不可能になった。アルムが海に投げ出された後、すぐにゼルガーも吹き飛ばされ、嵐はダルスを乗せた船ごと連れ去った。
辺境の漁村で目覚め、ダルスやアルムを探す旅をする中、剣闘大会のエンブレムに見覚えのある剣を見つけた。ゼルガーは、この小さな手がかりから教団都市マディアにたどり着く。しかし、エンブレムの剣は九〇年も前の覇者の物をモチーフとしたものだと知る。
もしかしたら、飛ばされた時代が違うのか……。そんな非現実的な事を考えたが、その考えには根拠もあった。それに、アルムがこのエンブレムの剣に気づき、大会に来るのではないかとも考え、毎年出場していた。
そして、今年の大会にアルムらしき姿を見つけた。
――「嬉しかったぜ!しかもすげぇ強くなってるし。で、聞いてみたら、嵐に遭ったのは三年前って言うじゃねえか。やっぱり行き着いた時代が俺達三人とも違うんだな……。ってことは、あれだ。……ダルスは百年前に行き着いたんだな」
「百年って……。じゃぁもう、父さんは……」
涙が溢れる……。視界が歪む。木製の机は僕の涙を吸い込み、暗い茶色のシミを作った。
「あ!こんなところに居たのね!アルム君」
一番、泣き顔を見られたくない人の声が聞こえた。
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